夜叉九郎な俺
第66話 上洛準備





 ――――1582年1月下旬





 ――――角館城





「いよいよ、為信殿も頃合いを見計らって動くつもりか」

 運命の年とも言うべき1582年を迎えて約、半月。
 俺は盟友である為信から届けられた書状を読みふけっていた。
 書状に書かれていた内容は遂に南部晴政が没したとの事と津軽の深浦方面に及ぶ安東家の勢力を駆逐するつもりであるとの事。
 現状での為信は俺が治水に関する事を含めて国力の強化に関する助言をしており、その成果もあってか史実よりも勢力の拡大が早い。
 既に津軽家の領土は安東家の勢力下である深浦を除けば実質的な統一が完了している。
 石高の増強により、動員可能な軍勢や財貨などが大幅に増えた事も影響しているだろう。
 後は俺が檜山の地を落とし、出羽北部を統一すれば為信とは完全な形で領地を接する事になる。
 そうなれば、宿敵である南部家との決着の準備も整い、雌雄を決する事も叶う。
 昨年(天正9年)は唐松野の戦いを最後にひたすらに国力の充実を行っただけに今の戸沢家は70万石相当の力を持つに至っている。
 領内の水田、鉱山、油田といった開発や酒田、大湊を中心とした日本海の交易による影響は顕著に現れていると言うべきかもしれない。
 史実での唯一の難点だった石高の問題が解決した事で動員出来る軍勢も増加し、いよいよ俺の方も準備が整った。
 何とか、1582年(天正10年)に間に合ったのだ。

「……後は上洛して信長様を救出すれば、俺の方も存分に動ける」

 今まで勢力を拡大し力を蓄えてきたのはこの時のため。
 本能寺の変で逝くはずの織田信長を助ける事だ。
 誰にも見えなかった天下の形を夢見、乱世を打ち砕こうとした信長が統一したこの国が如何なるかを見てみたい。
 到底、天下を望める身の丈ではない俺が目標として掲げた一つの到達点。
 態々、”朝廷からの任命”と言う形で鎮守府将軍に就任したのも幕府の成立を目指す者を阻むためだ。
 ある意味では抑制力と言うべきだろうか。
 鎮守府将軍が在る限り、同じ役割を持つ征夷大将軍は存在し得ない。
 俺自身が天下を取る事を望んでいない以上、この官職における最大の役割は其処にあると言える。
 夷狄に備える平時の将軍職である鎮守府将軍が存在するのならば、臨時の将軍職である征夷大将軍は存在する理由が無いからだ。

「……九戸政実が動いている、か」

 しかし、為信の書状の中で気になる文面が北の鬼の異名を持つ、九戸政実が斯波家を落としたと言う部分。
 これに関しては史実でもあった出来事なので驚く程の事ではないが……。
 今の時期は晴政が没したために御家騒動となるはずの頃だ。
 そんな時に政実が軍事行動を起こしているとなれば、真実を知る者で無ければその死は嘘であるとするだろう。
 事実、晴政の死に関しては俺自身の持つ記憶と為信からの書状を除けば一切、情報が広まっていない。
 恐らくは死亡した事を伏せている可能性が高いと考えられる。

「南部家と戦う時も近付いてきたのかもしれないな……」

 政実が岩手方面を攻略した事で戸沢家と南部家の距離は大きく縮まった事になる。
 角館から東にあたる花巻方面から攻め寄せてくる可能性も高い。
 だが、今の戸沢家ならば俺が5000程の軍勢を率いて上洛しても15000前後の軍勢を守りに残せるため、そう簡単に落とされる事はない。
 しかも、ギリシャの火を利用した火矢や焙烙といった特別な武器も領地の防衛用に準備が終わっている。
 最悪、安東家が大湊の奪還を目指して同時に動いてきたとしても守りきる事は不可能ではない。
 俺が上洛した際に攻め寄せてくる可能性の相手と戦うだけの準備は仕込んできたつもりだ。

「後は最上家が問題になるが……少なくともある程度の時はあるはず。天童頼貞が健在ならば義光が此方に矛先を向ける余裕はない」

 最後に問題となるとすれば真室と庄内で領地を接する事になった最上家だが……。
 此方に関しては最上八楯の天童頼貞が健在である限り、心配する必要はない。
 史実においても彼の人物を警戒する余り、義光が最上八楯を攻略したのは頼貞の死後であった事からも窺える。
 長年の確執からして、積極的に動くのは命取りだとも言える。
 また、今の戸沢家は最上家と大差の無い勢力にまで成長しているため、義光が真っ向から挑んでくるとも考えにくい。
 康成に情報収集させている結果からしても義光には目立った動きは無いとの事。
 最上八楯を懐柔する術の無い義光では戸沢家に挑むだけの準備を整える事は不可能だろう。

「……雪解けまでもう2ヶ月も無い。後少しだ」

 全ての準備が整い、上洛の時まで残りが少ない時をひしひしと感じる。
 軍勢を率いての上洛にあたり携帯食料である干飯や兵糧丸、更には梅干や味噌といった物も準備させてきただけに長期戦となる準備も万端だ。
 日本海の交易を掌握した事で日本海からの畿内への入口となる敦賀にも伝手が出来ているため、上洛してもある程度は物資の補給も可能になっている。
 そのため、俺が計画している5000前後の軍勢を連れて行ったとしても、それなりの長期戦をこなす事も出来る状態にあると言えるだろう。
 歴史の分岐点とも言うべき事件に関わろうとするのならば準備に越した事はない。
 俺は畿内に出陣するにあたっての陣触れを考えつつ、上洛の際の計画を更に練り始める事にした。



















「従軍させるべき将は矢島満安、服部康成、奥重政、白岩盛直……そして、自ら同行を志願した大宝寺義興か」

 俺が上洛するにあたって従軍させるべきは以上の武将達。
 満安は畿内の名立たる武将を相手にしても遅れを取る事はない豪勇の将。
 康成は伊賀上忍の家柄である服部氏の一門にして畿内での情報収集には欠かせない人物。
 重政は戸沢家の鉄砲隊を預かり、その運用方法を確立させた人物。
 盛直は俺の守役であり、長年に渡って仕えている家臣でも若い上に長期に渡る可能性のある遠征にも対応出来る人物。
 何れも頼りになる者達で全員が20代という年齢である。
 唯一、上洛する際には自ら志願する形で具申してきたのは義興だが……彼の場合は兄である義氏の経緯を考えれば無理もない。
 義氏の持っていた屋形号は信長が与えてくれたものであるからだ。
 その時の返礼と義を果たすために直接、面会して言葉を伝えたいとの事。
 俺の方も朝廷に軍勢を御披露目する名目での上洛だが、信長には鎮守府将軍の折に世話になった恩がある。
 改めて、御礼をしなくてはならないと思っていただけに義興の言い分は良く理解出来た。
 本来ならば大宝寺家の一門である義興を伴う事は大きなリスクを伴う事になるが……事情を考えれば否とは言えない。
 一先ず、庄内に関しては盛吉に委ねる事にする。
 義光が積極的に動けない今ならば、問題は特に無いだろう。

「率いる軍勢は5000……領地の守りに残すのは15000。父上や利信に任せれば不在の間は何とかなる。それに秀綱、昌長、重朝と言った猛者も残っている」

 軍勢の振り分けとしては戸沢家が常時運用出来る軍勢の内の4分1。
 最大まで動員をかければもっと軍勢を増やす事も出来るが、それは領民に負担を強いるために下策でしかない。
 此処、数年間をかけて既に兵農分離を済ませているだけに尚更である。
 基本的に動員出来る兵力はこれ以上は望めないと思うべきだ。
 それに俺が不在であっても先々代の当主である父、道盛を始めとして家中随一の知恵者である利信といった歴戦の者達が居る。
 元々から戸沢家を纏めてきた人間は残して行くし、昌長、重朝の率いる雑賀衆に智勇兼備の若き名将、秀綱も残して行く。
 義光が直接介入するという非常事態さえ起きなければ脅威となる相手は愛季と政実に絞られてくるので大きな問題はない。
 盟友である為信も居る事も踏まえれば、充分に上洛する事は叶うだろう。
 それ故に年が明けた際に雪解けを待って上洛する方針を示した時に大きな反対意見は出なかった。
 家中の誰もが今の戸沢家の勢力の大きさを良く理解しているからだ。
 如いていうならば利信が「……懸念する事があります故、今暫く待つべきかと存じます」と進言してきた事だろうか。
 恐らくは最上家を警戒しての事だろうが、義光と義守の確執を考えればそれは考えにくい。
 史実でも隠居後は動く事の無かった義守だ。
 義光の方も自らの才覚が義守を大きく凌駕し、広い視点で物事を見る事が出来るのを自負している。
 態々、義守が確執のある義光のために率先して動くとは考えられない。
 親子であっても一度反目すればその仲を修復する事は不可能に近い戦国という時代。
 義光との確執の深さからすれば利信の懸念こそが俺からすれば考えにくい事だ。

「……陣触れとしてはこんなものか」

 上洛の際の人選を済ませた俺は大きく一息吐く。
 信長を救う事になるか如何かの重要な行動になるだけに主な将を絞った上に領地の備えも考えうる限りの手を打った。
 本来ならば秀綱、昌長、重朝、利信も同行させたいところだが……俺が不在の間の領地を守りきるには誰一人として欠かせない。
 二方向から攻められるという事態となれば万が一は許されないからだ。
 それぞれの敵に対応するためには軍勢を分散させねばならず、充分な兵力を準備しておかなくてはならない。
 勿論、盟友である為信や景勝に援軍を要請する手段もあるが……。
 自身の目的のために巻き込むのは忍びない。
 特に景勝に至っては北上してくる柴田勝家との戦があるだけに尚更、援軍を求める訳にはいかない。
 独力で愛季、政実と言った難敵を退けなければならないのだ――――。



















 こうして、俺は雪解けの季節を見計らって上洛する計画を練り上げた。
 未だに敵対する安東家、南部家が攻め寄せる可能性がある事を考慮した上で。
 晴政が死亡した事で南部家の動きが変わってくる可能性も考えられるが、既に軍事行動を起こしているとなればそれは考えられない。
 少なくとも晴政ほどの人物ともなれば、遺言で安東家と和睦してでも戸沢家に備えよとの言葉を残す可能性も考えられるからだ。
 奥州が誇る斗星と三日月の存在を決して過小評価してはならない。
 それが例え、勝機があるだけの備えをしてあるにも関わらずだ。
 俺よりも長く戦場に生き、幾多の経験を積んできた異名を持つ人物達が甘いはずがないのは当然である。
 正直、現当主である俺が不在となる状況で凌げる相手とは言い難い。
 しかし、本能寺の変という大事件の阻止と言う目的を踏まえればそれでも動くしかなかった。
 何しろ天下人の運命がかかっているのである。
 信長の目指す天下を良しとするならば、これだけは防がなくてはならない。
 それが信長に返す事の出来る最大の恩義だ。
 雪解けの季節が訪れるまで残りも2ヶ月ほどにまで迫っている事に俺は焦りのような感覚を覚える。
 家督を継承してもう4年にもなるが、逆を言えばもうそれだけの時が経過してしまったとも言えるのである。
   目標の一つである出羽北部の統一は間近の段階まで到達しているが、最大の目標となる信長の救出は掲げた目標の中では最難関だ。
 初期の段階から上洛する事を前提に勢力の拡大と国力の充実に努めてきたが……それでも不安が拭えない。
 本能寺の変に直接、関わったのは明智光秀だが黒幕は別に居るとも言われているため、その存在次第では俺の力が及ばない可能性も高いのである。
 とりあえず、俺に鎮守府将軍を授けてくれたり、信長の申請に応じる朝廷が黒幕との可能性は余り考えにくいため、それだけが救いと言うべきだろうか。
 少なくとも光秀の動向に注視すれば範囲を絞れる。
 寧ろ、広い範囲を見過ぎれば深みに嵌ってしまうのが本能寺の変という事件だ。
 だからこそ、俺は此処暫くの間の動きを本能寺の変に備えるための準備に徹してきた。
 真相が解らない事件と言われているものであるが故に不確定要素が多いのが不安ではあるが……。
 こればかりは実際に動いてみなくては解らない。
 直接関わった事に関してのみだが、史実とは違う部分もあるのだから。
 俺が動く事で本能寺の変を防げる可能性だって決して低くはないはずだ。
 唯、信長本人はもしかするとそんな事を望んではいないかもしれないが……これは俺の我儘。
 乱世を終わらせる者の一端となるのを目指す者として天下人を助けるのは当然の事なのだから。
 それが天下統一を掲げない者が成すべき事であり、責務でもある。
 尤も、幕府という形の統一手段を潰した俺が言うの烏滸がましい事だが……。
 征夷大将軍という臨時の役職が天下を統べるのが間違っているのも道理。
 歴代の鎌倉、室町といった幕府が崩壊したのもその現れだ。
 事実、征夷大将軍を任命した朝廷は組織として健在のままなのだから。
 そのため、先代の織田信秀の頃から帝を敬い、朝廷寄りの方針を示している織田家の目の付け所は間違っていない。
 俺が直接命令を下される事がほぼ無いとはいえ、あくまで朝廷の官職という立場から外れない平時の将軍である鎮守府将軍の立場を選んだのもそれと同じようなものだ。
 万が一の事態に信長を助ける事は俺の立場からすれば矛盾しているとは言えないのである。



















 しかし、本能寺の変に備えて視点を一定の範囲に絞っているが故に俺は未だに気付かなくてはならない事を見落としている。
 義光と義守の確執の深さについては間違ってはいないが、今の出羽北部の状況が最上家からすれば非常事態宣言しなくてはならない状況にある事を――――
 義光の器量の大きさを知るが故に義守の器量を見誤り、自らの立てた計画は根本から既に崩されている事を――――
 そして、利信の懸念していた事が全て的中している事を――――
 先の事や歴史を知るが故に発生する事になる弊害をこの時の俺は未だに知る由も無かったのだ。


































 From FIN



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