夜叉九郎な俺
第65話 津軽の戌姫





 ――――1582年(天正10年)1月4日





 ――――大浦城





「……亡くなられたか」

 墜ちていく将星を見ながら沼田祐光は南部晴政がたった今、息を引き取った事を知る。
 晴政がそう長くはないという事は将星の輝きから前の段階の時点で読み取っていただけに祐光からすれば驚く事ではない。
 寧ろ、数多くの巨星の死は全て直後の段階で知ってきただけにもう慣れてしまっている。
 此処数年の間で亡くなってしまった上杉謙信、里見義弘、蘆名盛氏といった英傑と言うべき人物達の死は全て将星が教えてくれた。
 一応は将星の輝きが導く先を欺く事や肩代わりする事も不可能ではないが……晴政にはそのような真似は出来ないため、彼の人物の死は確実である。

「思えば……この津軽の地を含め、晴政様には引っ掻き回されっぱなしだった」

 晴政の死に祐光は黙す素振りも見せず、忌々しげに呟く。
 本来ならば主筋に当たる人物といっても過言ではないのだが、あくまで祐光の主君は為信であり、晴政ではない。
 それにあくまで大浦家、津軽家に仕えたのであって南部家に仕えたつもりもない。
 如何とも思ってもいない存在を敬うなど不可能な事である。

「これで、先代様も浮かばれよう。南部からの脱却には如何しても晴政様の存在は足枷でしかなかったのだから」

 故に祐光は晴政の死を喜ぶべきものとして捉えている。
 陸奥国における重鎮であり、奥州全体を見通しても強大な影響力を持つ晴政の存在が失われた事は勢力間に大きな影響を齎すのは間違いない。
   今暫くはその死を伏せて混乱を避ける方針で南部家は動くであろうが、将星を見る事の出来る祐光の前ではそれも無意味だ。
 現に祐光は晴政の死を当日どころか、死亡と同時刻に知ってしまっている。
 如何に伏せようと努めても、将星の輝きを欺く術の無い者には祐光を欺く事は出来ない。
 天文を知る者からすれば傑物の死によるその後の動きを先読みする事は造作もない事であった。

「祐光。やはり、此方でしたか」

 星を見るために外に出ていた祐光を捜していたのか、一人の小柄な女性がぱたぱたと走ってくる。
 歳の頃は10代ほどに見えるだろうか。
 傍目から見れば活発な気質を持つ可愛らしい雰囲気を持つ少女であると言っても良いかもしれない。
 しかし、この女性は既に30代前半という年齢であり、意外にも祐光の主君である為信と同い年である。
 とても外見から信じられるものではないが、事実であるだけにこればかりは何とも言えない。
 年齢の割には老成し過ぎているような人物も居れば、若々しさを保っているような人物もいる。
 この女性のように小柄で少女と見紛うかのような人物が存在する事も決して可笑しくはないだろう。
 それだけに小柄で尚且つ、若々しい姿なだけに立派な髭を持ち、6尺にも及ぶ身長の偉丈夫である為信と並ぶと親子にも見えるかもしれない。

「……戌様」

 だが、祐光は為信に対する対応と同じく、敬意を払った態度で女性に応じる。
 祐光が口にした女性の名前は――――戌。
 彼女こそが主君、為信の正室であり、この津軽家を裏から支える良妻と名高い津軽戌その人であった。
 戌は先代の津軽の領主であった大浦為則の娘で阿保良(おうら)姫とも呼ばれる事で知られている。
 久慈から津軽へと流れてきた為信とは戦国の時代では珍しい恋愛結婚で結ばれたと言われているが――――。
 これは為信と同い年であった事や積極的に世話を焼いていた事にもあるだろう。
 戌は面倒見の良い性格であり、困っている人間を放っておけない女性だった。
 そのため、戌は慣れない大浦家での生活を余儀なくされていた為信を彼方此方に連れ出したり、共に学問に励んだりもした。
 思えば、ずっと一緒に居るうちに何時しか為信に恋してしまったのかもしれない。
 為信は智勇兼備の偉丈夫なだけでなく、民を思いやる心も持ち合わせた人物だったから。
 そんな為信に戌が惹かれるのも無理はない。
 身近で民と接し、為信とは志も考え方も共感出来るほど近いものを持っている戌には為信ほど魅力的に見える人物は存在しなかった。
 だからこそ、こうして今の為信の正室という立場の戌が居る。
 外見こそ対照的な夫婦ではあったが、その姿は何時も何処か幸せそうで。
 祐光を始めとした家臣達も主君夫妻には敬意を払い、忠誠を誓っていた。
 故に戌が一人で城を抜け出し、祐光にこうして話しかけると言うのは別段、驚くような事ではないのである――――。



















「祐光の事だから、星読みでもしていたのだと思うけど……如何だった?」

 戌は祐光に星を見ていたのかと尋ねる。
 陰陽道を極め、天文や占いに通じる祐光がこうしている時は大体の場合は将星を見ている場合が多い。

「はい。以前より輝きを弱めていた一つの将星が墜ちた事からしますと――――南部晴政様がたった今、亡くなられた様子」

「そう……晴政様が」

 そんな祐光が墜ちた将星から導き出した晴政の死という情報。
 夫、為信の腹心であり、懐刀である事から戌も祐光の事は深く信頼しており、それを疑う事はない。
 為信と戌が10歳を過ぎたばかりの頃から仕えてくれている忠臣の読みは何時でも的確だったからだ。
 解らない事があれば道を示してくれたし、間違った事をすれば常に諭してくれた。
 一回りほど歳上である祐光は良き師であり、保護者のような存在でもある。

「そう……これで為信も少しは楽に動けるかしら、ね……。祐光は今後の動きが如何なると見ています?」

 晴政の影響力の強さは戌も良く理解している。
 常に夫の後ろから津軽家を支え続けてきた戌は女性でありながらも情勢に機敏で政治、軍事といった分野にも精通している。
 そのため、晴政が没した事による動きにもある程度の予測は付いているが……。
 此処は軍事における専門家である祐光の方が詳しいため、戌は意見を求める。

「現状の段階では政実様が九戸党を率いて斯波を落としたところまでは掴んでおりまする。このまま晴政様の死を伏せる方向で南部家が動くのであれば……。
 花巻方面から小野寺家を目指して政実様は動く可能性が高いかと存じます。如何も……此処最近の最上義光殿の動きに乗じている様子かと」

「……戸沢家が標的と言ったところでしょうか?」

「はい、盛安様の勢力拡大の動きは義光殿からすれば放置出来るものではありませぬ故」

「……成る程」

 祐光の意見は尤もである。
 戸沢家の驚異的な勢力拡大は出羽国の南部を領する最上家からすれば看破出来るものではない。
 何しろ、庄内と真室で領地を接してしまっている段階にまで来ているのだから。
 戸沢家に敵対する意志がなくとも鎮守府将軍の官職を持っている以上、羽州探題の官職を持っていた最上家からすれば戸沢家は敵でしかない。
 鎮守府将軍が存在する限り、幕府から任命される官職である探題職は無実と化すからである。
 羽州探題である事を誇りとしていた最上家からすれば戸沢家は正に怨むべき相手と言えるだろう。
 現当主である義光が裏で動いていても全く不思議ではない。

「と言う事みたいだけど、為信?」

「……ああ、解っている」

 祐光の意見に納得した戌は何時の間にか近付いてきていた為信に言葉を投げかける。
 外に出ていた戌の後を尾けていた事を気付かれていたのは承知の事だったらしく全く驚いた様子はない。
 以心伝心と言っても過言ではない戌の事は為信も良く理解しているのだ。
 妻に見通されているのも悪くないと思いつつ、為信は戌の傍へと歩み寄るのであった。



















「祐光の星読み通り、お館が逝った事は吉報だな。俺としてもお館が居なければ何かと動き易くなる」

 戌と祐光の会話を後ろで聞いていた為信は晴政の死により動き易くなったと言う。
 南部家の大黒柱が折れたとあれば敵対している大名家からすればこれほど都合の良いものはない。

「……だが、お館が死んだ事により南部が津軽を狙ってくる可能性は大きく上がる。今までは高信を討ち取った借りがあったが……それも次代となれば意味が薄れる。
 晴継様はまだしも、信直めは俺を敵として付け狙っている。機会さえ得られれば何としても討とうと考えるだろうな」

 しかし、晴政とは違い次代の南部家の者達は為信の事を敵視している。
 特に信直との因縁は父、高信と弟、政信の両名を為信が討ち取った経緯から非常に根深い。
 もし、自分が信直の立場であったならば仇討ちを考える可能性も否定は出来なかった。

「故に信直が津軽を脅かす可能性は否定出来ぬ。……だが、俺はこの機会に安東と雌雄を決し、後顧の憂いを立ちたいと考えている」

「それなら、千徳政氏殿に南部の抑えを頼むのが上策と思うのだけど……。為信の事だから既に手は回しているでしょう?」

「……当然だ。いざという時は後詰めとして政氏殿に助勢として信元を派遣するように手配を整えている。後は頃合いを見計らうのみだ」

 考えを明確に言い当てる戌に為信は笑みを浮かべる。
 信直が津軽方面を狙う際には盟友、千徳政氏の力を借りて戦うと言う方針。
 これは晴政に借りを作った段階の頃から既に構想を練っていた。
 安東家に目を向ける際の背後を任せられる数少ない人物である政氏は為信と同じく、南部家から津軽を独立させようと考えている人物の一人。
 為信が津軽の開放にその名を挙げた際には真っ先に協力を申し出てきた人物が政氏である。
 それ以来、盟友として常に為信と共にあった政氏は南部家との和睦が成立している今現在も津軽家の傘下に収まっていた。
 為信が南部家から再び離反する時を待っているのである。

「無論、動くと決めた以上は盛安殿にも伝えねばな。時期は雪解けを待ってからとする。祐光は如何、思う?」

「はっ……雪解けを見計らって動く事は妙案であると存じます。しかし……動くのは安東が先に動いた後の方が宜しいかと」

 安東家と雌雄を決するべきである事に異論はない。
 だが、祐光は動く頃合いは安東家が先に動くまで待つべきだと言う。

「……義光殿が動く可能性があると言うのが理由か」

「その通りにございます」

 盛安の動きを警戒した義光が裏で何か動いていると言う噂は為信も聞いている。
 流石に智謀の将として知られる義光であるだけに為信や祐光を以ってしても明確な情報が得られているわけではない。
 義光の将星も依然として変動している事も無いし、最上家の情報が集めにくいのも普段と全く変わらないだけに噂が出ている以上、警戒するべきである。
 ましてや、今の為信は盛安とは深い友誼を交わす盟友である。
 上洛するための準備を進めているという盛安の行動を妨害するわけにもいかない。
 祐光が頃合いを見計らうべきと言っているのは義光が万が一、動いた場合を想定しているからこそのものだろう。

「確かに義光殿の動きが読めないのは拙い。盛安殿も庄内と真室で所領を接する段階にある故、此方もその動き次第では状況が変わってくる。
 安東との決着は盛安殿としても無論、臨むところであろうから俺が動けば何かしらの反応を示すだろうが……」

「盛安殿が上洛の準備を進めている現状ではそれも無さそうね。為信、祐光の言う通り時期を見計らった方が良いと思うのだけど……」

 戌も祐光の意見に同意する。
 盛安が上洛の準備を進めている以上、機先を制した行動は逆に首を絞める可能性があるのは戌も懸念していた事であったからだ。
 
「しかし……軍勢を率いて上洛するつもりとは盛安殿も思い切った事を考える。……俺でも解らぬものが畿内にあるのだろうか?」

 為信は盛安の行動方針に何かがあるのかと考える。
 勢力の地盤が整い奥州でも大勢力の一角となったからこそ、軍勢を率いた上での上洛という芸当が可能なのだが……。
 如何しても今の時期で無ければ駄目な理由があるのかもしれない。
 為信の見た盛安という人物は決して無意味な行動を取る人物では無いからだ。
 何か理由が無ければこのような大掛かりとも言うべき行動をする理由が見い出せない。

「……恐れながら、今現在で見える将星の輝きに盛安様が動く理由があるように見受けます」

 だが、天文を知る祐光には盛安が上洛しようとしている理由が解ると言う。

「申してみよ。俺も流石に将星については詳しいとは言えぬ」

「……私も気になります、祐光」

 流石の為信と戌も祐光のように将星を深く知る者ではないだけにそれは気になる。
 盛安ほどの人物が此処までの大きな行動を起こそうと準備を進めているのだ。
 理由があるのは当然の事だと思っていたが……。
 それが解っているとなれば是非とも聞きたいと思うのも無理はない。
 為信と戌の反応は当然だと言うべきだろう。

「それでは……申し上げます。将星の輝きを見るに現状の段階で不自然な輝きを示す将星が四つ――――。
 一つめは武田勝頼様。二つめは織田信忠様。三つめは我が師、細川藤孝様の盟友、明智光秀殿。そして――――最後の一つは織田信長公にございまする」

「……そう、か。他には何か解るか? 祐光」

 祐光の口にした名に驚きを見せつつ、為信は更に詳細を尋ねる。
 名前の上がった人物は何れも何処かで名を聞いた事のある人物で特に信長は最も天下に近い人物として知られている。
 勝頼以外は全員が畿内で活動しており、盛安が上洛すると言うのはこの中の何れかの人物に関わっている可能性が高い。

「いえ……あくまで現状の段階での将星の輝きから推察したにすぎませぬ故、これ以上は判断が出来ませぬ。
 鎮守府将軍に就任した経緯から察するに盛安様が上洛しようとしているのは信長公の将星が影響しているものであるとしか言えません」

「相、解った。それだけ明らかになっているならば充分だ。……盛安殿が動こうとしている理由が相応のものである事が解っただけで良い」

 盛安が上洛しようとしている理由にある程度の予測が付いているのならば充分だと為信は納得する。
 天下人と言うべき信長の将星が不自然な輝きを示しているのに対する盛安の行動――――。
 恐らくは信長の身に何かある可能性を察しての事だろう。
 先見の明がある盛安ならばその動きは決して在り得ない事ではない。
 それに鎮守府将軍に就任するのに一役かってくれたであろう信長の事を義理堅い盛安が放っておくはずがないのだ。
 勿論、将星が示すものが懸念であればそれにこした事は無いが、恩を返すと言う意味でも盛安が動く理由としては充分過ぎる。
 為信はそういった人物像であるからこそ、盛安の事を好ましい人物であると思っているだけに逆に嬉しくもある。
 盛安が尽く、自分の見込み通りの人間であるからだ。
 政実と戦う可能性があるとしても盟友となっただけのものを盛安が持っている事が為信には堪らなく嬉しかった。

「この新たな年は鬼門と成り得るかもしれぬな――――」

 だからこそ、奥州の情勢が不安定である事が気にかかる。
 特に為信と祐光でも動きを完全に把握する事の出来ない最上家――――義光の存在が余りにも大きい。
 着実に動き始めているのは間違いないだろうが……予測が出来ない事が余りにも恐ろしく感じられる。
 為信からすれば謀略の師とも言うべき義光の存在が盛安の動きの影響に直結するのではないかと思わずには居られない。
 将星の輝きが示す道筋は確かに間違いでは無いのであろうが――――。
 晴政からの死から始まった1582年(天正10年)は為信の言う通り、鬼門と成り得るかもしれない。
 改めて情勢を見極めた上で動かなくては命取りになる事を察する。
 果たして、盟友である盛安は何処まで先を見通しているのだろうか――――。
 為信は盛安の居る角館の方角を見据えながら、動くべき時が少しずつ近付いて来ている事を実感するのであった。


































 From FIN



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