夜叉九郎な俺
第67話 滅亡を誘う道





 盛安が上洛の準備を済ませ、雪解けを待って出陣する段階にまで到達したその頃――――。
 僅か数日後の1582年(天正10年)2月1日の甲斐国の新府城では武田家を震撼させる大事件が勃発していた。





 ――――新府城





「義昌めっ! 許さぬ!」

 勝頼は織田家からの内応に応じた事が発覚した木曽義昌に対し、激怒の様子を露わにする。
 この年より、信玄の頃より慣れ親しんだ躑躅ヶ崎館から本拠地を新府城へと移して気持ちも新たに武田家の繁栄を願い、立て直しを図っていた最中。
 人質交換として、義昌から遣わされた使者の不審な行動が内応をしている事を証明した。
 使者は勝頼から今暫く滞在するようにと厳命されていたが、新府城が慌ただしいと見るや脱走を図ったのだ。
 これは長坂釣閑の指示に従った跡部勝資がわざと義昌の使者を泳がせ、真意を確かめるために行ったものだが、使者はまんまとそれにかかった。
 義昌が勝頼の命で数日前に出陣した武田信豊と対陣している事に慌てたのかもしれない。
 何れにせよ、使者は義昌が織田家に通じている事が既に勝頼にばれたと判断し、慌てて逃亡を試みたのである。
 しかし、この行動が完全に裏目に出た形となり、義昌の叛意の証拠が勝頼の知るところとなったのだ。

「今すぐにでも義昌からの人質と使者の首を刎ねよ。……明日には儂も出陣する」

「ははっ!」

 嘗ての木曽家の従属した経緯を思い返しながら勝頼は苛立ちを募らせる。
 木曽家は信玄の信濃侵攻の際に降った大名家の一つ。
 滅亡寸前にまで追い詰められていたが、本格的な戦となる前に降伏したため、特別に赦免されたという経緯がある。
 しかも、信玄は自らの娘の一人である真理姫を嫁がせ、義昌を一門衆として優遇した。
 それにも関わらず、こうして離反する行動に出たとあれば、勝頼にとっては恩を仇で返してきたとしか思えない。
 勝頼が激怒しているのも無理はないものであると言えるだろう。
 だが、一門衆である義昌が離反したという事は明確に武田家の力が弱体化している事を明言しているのと同義である。
 特に美濃から信濃における入口である木曽を所領とする義昌が織田家に通じたと言う事は彼の家がいよいよ、攻め寄せてくると言う事でもあった。
 最早、一刻の猶予もない。
 翌日までには新府城を出陣し、信濃へと入らねばならないのだ。
 織田家が侵攻が本格化するであろう事が明らかになった今、すぐにでも動かなくてはならない。
 しかし、勝頼が義昌を討伐するために出陣しようとしているのと正に同時期――――。
 天下人の後継者が率いる軍勢がいよいよ、岐阜城を出発しようとしていた。



















 ――――1582年(天正10年)2月3日





 ――――岐阜城





「先鋒は森長可、団忠正に命ずる」

 秘密裏に義昌からの救援要請を受け取り、準備を進めていた織田家は迅速とも言うべき対応を見せていた。
 鬼武蔵の異名を持つ、長可と側近である忠正に先鋒として出陣の命を下しているのは信長の嫡男である織田信忠
 父、信長より織田家の家督を譲られ、岐阜城を本拠地に取り仕切る役を任されている信忠は名実共に天下人の後継者である。
 歳の頃は20代半ばと若いが、武田家との戦では秋山信友を討ち取るなどの武名で知られ、それ以外でも松永久秀を討伐した事でも知られる歴戦の勇士。
 此度の武田家討伐の絶好の機会とも言うべき義昌の内応に対しては対武田家の最前線を領地として治めている身から一手を任される事となったのだ。

「但し、深追いだけはするな。上杉景勝からの援軍の可能性も考慮し、俺が合流するまでは義昌と共に武田を防ぐ事を目的として動け」

 信忠は勇猛で血気盛んな長可と忠正の気質を踏まえて、念を押すように両名に言い含める。
 戦場における働きに関しては天性のものを持つ長可と忠正だが、深入りし過ぎるきらいがあるからだ。

「また、目付役として河尻秀隆を付ける」

 そのため、この両名の目付けとして秀隆にも出陣を命ずる。
 信長の家臣として長い戦歴を持つ秀隆ならば血気盛んな両名の手綱を握れるだろうし、義昌との取次を請け負ったのが秀隆の指揮下にある遠山友忠であったからである。
 先鋒に任じた両名が冷静とは程遠い以上、経験豊富な者を付けるのは当然だろう。
 それに武田家と盟約を結んでいる上杉家の動向も気になる。
 現状は越中方面から柴田勝家が進軍を開始しているが、信濃に関しては介入出来ない。
 念には念を入れて飛騨方面から金森長近も此度は従軍させるつもりではあるが、それでも景勝の存在を侮る事は命取りとなる。
 義に厚い景勝ならば、援軍を送るにせよ送らないにせよ何かしらの行動を起こしてくる事は明確であるからである。
 ましてや、今の越後は完全な形で統一されている状況にあり、充分な力を持っている。
 流石に勝家が進軍している事からすると大軍を率いてくる可能性は無いが、少なくとも場合によっては障害となる可能性が充分にある。
 信長が信忠に対して深入りには気を付けるように――――と厳命しているのは間違いではない。

「俺も10日以内には軍勢を率いて出陣する。……然と励め!」

「ははっ! この鬼武蔵に御任せあれ!」

「承りました。この、団忠正。必ずや殿の御期待に添えましょうぞ」

 現在の状況を判断して、信忠は先鋒としては働きが期待出来るであろう長可と忠正らを先に出立させ、自身も10日以内に岐阜城を出陣する事とする。
 深入りを避ける必要があるとはいえ、一門衆である義昌が寝返った事は勝頼の威信の失墜を証明するものであり、武田家の弱体化を明確にするもの。
 しかしながら、援軍を送る事が可能な状況にある上杉家の存在や情勢が不穏とも言える信濃国内の状況については現地に出向かなければ解らない。
 一先ずは義昌の治める木曽福島城を起点にし、武田家を一気に滅ぼせるか否かを判断するべきだろう。
 信忠は武田家の現状を踏まえてそのように判断し、自身は一先ず、美濃の東部に位置し、武田家との最前線である岩村城に入って詳細を練るべきだと考えた。
 また、木曽や飛騨方面からだけではなく、三河、遠江方面からは盟友、徳川家康
 更に関東からは北条氏政に武田家の領内へと侵攻するように要請している。
 これにより、多方面の入口から攻め寄せる形となり、武田家は嫌でも戦力を分散せざるを得ない。
 例え、援軍があったとしても各個撃破してしまえば烏合の衆でしかないのだ。
 正に広大とも言えるこの戦略は流石、信長の後継者と言うべきだろうか。
 今が好機であると流れを掴み、引き寄せるには絶好の機会が到来した事を見逃さないのは紛れもなく武将として一流の証。
 信忠は先鋒を命じた者達以外にも各地を転戦した滝川一益と言った信長の下で活躍してきた武将達を率い、合計50000以上もの大軍を岐阜城から出陣させる。
 この中には武田家の人質として勝頼の傍にあった御坊丸改め、織田源三郎勝長の姿もあった。
 森長可、団忠正の出陣を皮区切りとし、織田信忠の一世一代の大戦とも言うべき武田家征伐が遂に開始される――――。



















 ――――同日





 ――――上原城





 信忠の命で長可と忠正が出陣した日と同日。
 約15000の軍勢を率いて新府城から出陣した勝頼は諏訪湖から約1里半ほど離れた位置にある上原城に入り、情報収集に躍起になっていた。
 不幸中の幸いなのは武田家には素破衆という有能な忍がおり、家臣の真田家にも戸隠衆という優れた忍が存在した事だろうか。
 そのため、情報を集める事に専念すれば現状の段階の各地の状況を調べる事は難しくない。
 だが、勝頼の下に届けられる情報はどれも織田家の本格的な侵攻が開始されようとしている事を示唆するものばかり。
 義昌が織田家に通じた事でその侵攻を招く可能性がある事は予想の範疇ではあったが、事態は想定する以上に酷い。
 木曽方面からは織田信忠、遠江方面からは徳川家康、飛騨方面からは金森長近、関東方面からは北条氏政と錚々たる面々である。
 特に氏政は現在の勝頼の正室、の兄であり、嘗ては盟友であっただけに戦いにくい。
 現在も勝頼が出陣している合間に桂が必死の交渉を行ってくれるであろうが、氏政の気質を考えると芳しい結果が得られるとは考えられなかった。

「……景勝殿に援軍を要請するしかないか。流石に織田との交渉を請け負ってくれていた義重殿を頼る事は出来ぬ」

 侵攻してくる多数の相手を前に勝頼は最終手段とも取れる上杉家へ援軍を要請する事を決断する。
 他にも応じてくれる可能性のある佐竹家への要請も考えたが、勝頼のために織田家との和睦交渉まで行ってくれた義重をこれ以上、頼る事は出来ない。
 そのため、越中から織田家の侵攻を受けているのを承知で景勝に援軍を要請するしか勝頼に手段はなかった。

「誠に遺憾だが……そうするしかないぞ、勝頼殿」

 苦肉の策とも言うべき手段に同意するのは一門衆でも上席にあたる武田信豊。
 信豊は信玄の実弟である武田信繁の子。
 多くの死傷者を出した川中島の戦いで父を失って間もない頃にその後を継ぐ事となり、同年代である勝頼とは長年に渡って共に武田家のために働いてきた人物である。
 また、偉大な父親を持つ者同士として苦楽を共にした仲であり、互いの立場も良く理解している盟友でもあった。

「信豊もそう思うか……やはり、仕方あるまいな」

 心境を察しつつも頷く信豊に勝頼も苦々しく応じる。
 信豊も織田家の侵攻の前には援軍を要請するしかないと判断しているのだ。
 報告では各方面から敵が攻め寄せてくるとの事で戦力を集中させる事が出来ない以上、別の所から軍勢を持ってくるしかない。
 しかし、今の上杉家は越中で勝家率いる軍勢と交戦中であり、その他の有力な武将である新発田重家や本庄繁長もそれぞれが蘆名家、伊達家、最上家に備えている。
 領内の情勢こそ安定している上杉家ではあるが、織田家の軍勢を撃退するには景勝自らが率いる主戦力を無くしては成し得ない。
 勝家とは”越後の鍾馗”の異名を持つ、斉藤朝信が対陣しているが、両名共に名将と名高い人物であり、緊迫した状況が続くのは明白。
 そのため、景勝は自らが軍勢を率いて越中へと出陣する事になるであろう。
 もし、武田家に援軍が来るとすれば越中にて景勝と入れ替わる形となる朝信だが、援軍に間に合うかまでは解らない。
 上杉家との同盟を締結する際に深く関わり、交渉の相手を務めた彼の人物の気質からすれば無理をしてでも援軍に駆け付けてくれる可能性は高かった。

「……なれど、此処は独力でも体制を整える事も前提とせねば如何ともし難い。勝頼殿、各地の守りを任せる者達の人選は決めてあるのだろう?」

「うむ……上野の安房(真田昌幸)を始めとした者達に各方面を任せるつもりだ」

 だが、幾ら上杉家が援軍を送ってくれる可能性があるとはいえ、それは今すぐではない。
 勝頼と信豊が援軍として派遣されるであろうと予想している朝信が来るまでは時間がかかる。
 今から要請しても到着するのは早くても今月の中旬から下旬以降となるであろう。
 そのため、勝頼は武田家だけでも状況を打破せんがために対応策を練り上げていた。
 北条家が侵攻するであろう上野国は真田昌幸。
 徳川家が侵攻するであろう駿遠国境は穴山信君。
 それに加え、北条家がもう一つの道として進軍する可能性のある駿豆国境は曽根昌世、高坂信達。
 甲斐本国は小山田信茂――――と多数の軍勢を率いる事の出来る有力な家臣達に各方面を任せる。
 そして、自らは上原城に本陣を構え、信濃防衛の陣頭指揮を執る事とした。
 長篠の戦い以来、多くの有力な武将達を失ってきた今現在の武田家は深刻な人材不足であり、多数の軍勢を預かれる武将はそう多くはない。
 事実、防衛の計画の際に勝頼が名を上げた者達は信玄の代から活躍してきた者であり、多くの戦歴を重ねてきた者。
 駿河を任されている信君を除けば一門衆である人物は一人も居らず、正に歴戦の者達であると言うべきである。
 これは勝頼が不在でも充分に指揮を執る事が可能な猛者達ならば、多方面から攻め寄せる相手とも上手く戦えるとの判断であった。
 特にこの中でも昌幸と昌世は信玄の眼と呼ばれた武田家屈指の戦上手である。
 両名共に多数の軍勢を相手取る事に長けており、軍勢の数だけが戦を決する要素では無い事を地で行く者達。
 信玄の愛弟子である昌幸と昌世はある意味では信玄が残した貴重な遺産であると言っても良い。
 だが、この両名が揃って織田家の侵攻が始まろうとしている現状において傍に居ない事は勝頼に一抹の不安を抱かせる。
 自身の立てた戦略は敵の主力を飯田を始めとした諸城で防ぎつつ、後詰となる部隊を繰り出し、相手を消耗させる事で追い落とすというもの。
 これに関しては最善の策であると思える。
 しかしながら勝頼は何処かに見落としがある可能性を捨て切れない。
 一門衆の一人である義昌が裏切った事は武田家中でも疑心暗鬼を招く大きな要因となっているからだ。
 昌幸や昌世のような知恵者が傍に居ない事はこういった機敏を看破出来ないという懸念を勝頼に強く抱かせる。
 無論、この場に居る信豊や高遠城を拠点とする実弟、仁科盛信の事を信頼していない訳ではないが、敵は織田家である。
 如何なる搦手を用いてくるか知れたものではない。
 もしかすると、義昌の内応以外にも勝頼の預かり知らぬところで既に手を打っている可能性も考えられる。
 こうした相手に対しても的確な対応手段を次々と生み出す事の出来る昌幸と昌世の不在は正に大きな痛手であり不安材料。
 嘗てない強大な敵を前にして万全な体勢を整えて、待ち構える事が出来ないのである。
 勝頼は嫌な予感がする事をひしひしと感じつつも迎え撃つ準備を進めるしかない。
 最早、織田家の侵攻が始まったのならば迎撃する以外の選択肢は無いのだから――――。


































 From FIN



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