夜叉九郎な俺
第61話 甲斐姫の憂鬱





 ――――1581年11月




 ――――白河城




 相馬義胤殿からの要請で出陣した義重様に従い、迎えた初陣から約8ヶ月。
 盛安様との婚姻が正式に決まった私は奥州の情勢を見極めるために白河城に滞在させて貰っています。

(本能寺の変まで、もう残り半年と少し……盛安様は如何するつもり?)

 金山、丸森を巡る戦いを終えた後の奥州の動きを自分なりに考えてみたけれど、盛安様の思惑は本能寺の変に向いているのは間違いない。
 湊安東家を傘下に加えて、檜山安東家と再び分裂させた後は領内の整備に従事していたから。
 これは多分、盛安様が自分が不在であっても領内の経営が回るようにと考えているからこそのもの。
 もし、本能寺の変が史実通りに起こるとするのなら、私達のように先を知っている人が介入しなければ歴史を変えられない。
 盛安様は奥州の歴史が変わっても、畿内の歴史までは流石に変えられない事を自覚しているんだと思う。
 例え、鎮守府将軍の官職が後の江戸幕府の成立を妨げるものであっても、信長公の末路を変える事は出来ない。
 だけど、本能寺の変の時に史実の時とは違うイレギュラーが存在したとしたら――――?

(少なくとも過程か結果のどちらかくらいは変わるはず)

 と、私はそう思う。
 いや……寧ろ、一度上洛した時に盛安様は布石を打っているかもしれない。
 誰かに万が一の事態が起きた場合に如何に動くべきであるかと言う事を。
 私の知る彼の気質からすれば、それは間違いない。
 幾つかの手を打っているのは私でも容易に想像がつく。

(でも、盛安様の近くにはあの最上義光殿が居る。しかも、今は領土も接している段階だから……)

 盛安様本人が動くのは博打に近いかもしれない。
 確かにクーデターとも言うべきあの事件に対してその身一つで動くとも考えられない。
 現在、軍勢を準備しているとの話も聞いているけれど……きっとそれは事件に備えてのもので。
 軍を率いて、信長公に降りかかる火の粉を払おうとしているんじゃないかと思う。
 だけど、軍勢を動かした状態で領地から出るのは義光殿に絶好の機会を与える事になる。
 勿論、盛安様の事だからそれを前提として領内の整備や足場を固めているんだろうけど……。
 相手が義光殿である限り、安心は出来ない。
 幸いにして盛安様は義光殿が調略しそうな豪族を全て排除しているので寝返り等は心配はないけれど……。

(何処か見落としがあるような気がする)

 幾ら対策を練っていても何処かに穴がある可能性を否定しきれない。
 私達では到底、気付かないような抜け道を義光殿ならば持っていそうだから。
 それに盛安様の配下にはそういったものを看破出来る策士が一人も居ない。
 如いていうならば、盛安様本人が智謀に優れた人なのだけど……正攻法を重視する気質のせいか搦手の対処が上手いとは言えなくて。
 本格的に義光殿と渡り合う事になれば、分が悪いのは盛安様の方になる。
 それが例え、軍事力で勝っていたのだとしても。
 出羽の驍将の異名を持つ、義光殿の恐ろしさは途方も無いものがあるし、家臣の氏家守棟殿らも怖い存在。

(しかも、盛安様も本能寺の変の方に意識を向けているから……)

 些細な動きしかしなかった場合または意外な一手を打ってきた場合だと盛安様が気付かない可能性は高い。
 本当は今すぐにでも盛安様の助けになりたいけれど、流石に其処までは私も勝手に動く事は出来なくて。
 まだ、多少の時間はあるはずなのに如何も嫌な予感が拭えない。
 私の予感が外れてくれれば良いのだけど――――。



















「甲斐殿。遠く北の方角を見つめて何を考えているのですか?」

 私が盛安様の事で物思いに耽っていると、何時の間にか近くにまで来ていた人物が声をかけてくる。
 近くに来ているのは私よりも3つほど歳下の7歳前後の少年。
 まだ、幼いと言っても良い年齢だけど早くから白河を治めるために教育をうけているためか、聡明そうな雰囲気を纏っている。

「義広殿……」

 この少年の名前は佐竹義広殿。
 現在は白河家の養子となって家督を継承している身で白河義広と名乗っています。
 史実では後に蘆名家の当主となる事で有名だけど……。
 如何も従兄である伊達政宗殿に摺上原の戦いで敗北した人物としての印象が強いためか、今一つ評価されていない。
 だけど、実際は江戸幕府成立後の角館の領内整備を行った政治家として名高く、義重様の子として恥じない人物。
 蘆名家の家督を継承していた時は家中を掌握出来ていなかった事から先の時代でも暗愚と思われているのが残念です。

「私には甲斐殿が戸沢殿の事を御考えである事しか解りません……。兄上のように察しが良い訳ではありませんので」

「いえ、こうして滞在させて貰っているのは義広殿の気遣いがあってのものです。……感謝します」

 私の様子を見かねて義広殿が気遣ってくれる。
 お兄様である義宣殿も気配りの出来る人だけど、弟の義広殿もそれは同じで。
 人の良さは兄弟譲りなのかもしれない。

「構いません。奥州の情勢を見極めるのは奥州の入口とも言うべき、この白河の地が最も適しているのは私も理解していますから」

 義広殿は柔らかく笑みを浮かべながら私と同じく北の方角を見据える。
 盛安様の活躍は義広殿も良く理解しているみたい。
 私達よりも歳下であるにも関わらず、奥州の入口である白河を任されているだけはある。

「しかし、甲斐殿は何を御悩みなのですか? 戸沢殿ほどの御方なら心配するような事は無いようにも思われますが……?」

 如何しても不安が過ぎる私とは違って、義広殿は盛安様の将器を信用しているのか心配する事は無いのではと言う。
 確かに破竹の勢いで勢力を拡大し、領内の統治に関しても非凡な才能を見せている盛安様は義重様と同じく、英傑としての器がある。
 戦場では夜叉九郎、鬼九郎と呼ばれ恐れられるその姿も坂東太郎、鬼義重と呼ばれる義重様にそっくり。
 10代半ばにして、猛将として奥州全土に知れ渡っているその名は新たな時代の旗手として相応しいだけのもの。
 義広殿が盛安様の事を高く評価しているのはやっぱり、義重様の息子だからなのかもしれない。

「うん……盛安様なら余程の事が無い限り、大丈夫。でも……」

「何かが起こるかもしれないと言う事ですか?」

「……はい」

 だけど、義広殿も何かが起こる可能性を少しは考えていたみたいで。

「と、なれば……最上殿の動き次第ですか。確かにあの方の事を考えれば甲斐殿の危惧も解ります」

 流石に義宣殿には敵わないけれど、義広殿の洞察力も侮れない。
 義光殿が起点になる事をしっかりと見抜いている。
 まだ、幼いのに奥州を良く見ている義広殿の姿を見て、私は思わず頬を緩めるのでした。



















 私の危惧している事に興味を示した義広殿に幾つかの問題点を説明していく。
 話の起点になるのは盛安様が安東家攻め以来から、全く動かない事から。
 まず、これについては盛安様が目的である大湊を抑えた事が原因。
 酒田、大湊は奥州で最も交易が盛んな町で経済価値も非常に高い。
 多数の河川がありため開発しやすく、鉱山、油田を保有する恵まれた領地を持つ、戸沢家の唯一の欠点は海が無いという部分。
 それを補うのが酒田と大湊の町。
 また、酒田の町のある庄内方面は奥州でも屈指の肥沃地帯で、此処を抑える事で一気に戸沢家は石高を増やす事にも成功しています。
 勢力の地盤としては充分すぎるほどで、もしかすると内高にすると50万石を超えているかも。
 今となっては最上家、伊達家にも追い付きつつあり、南部家にも対抗出来る。
 出羽北部の最大勢力であった安東家に勝利した事で今の戸沢家は大勢力と言っても良いくらい。
 でも、此処まで勢力が拡大したからこそ、最上家や伊達家といった勢力に気を付けなくてはいけない。
 両家とも鎮守府将軍とは相容れない官職である探題の家柄なのだから。
 幸いなのは現状の状態だと伊達家は相馬家との戦いに敗れ、南奥州における勢力が弱体化し、軍の再編を求められている事。
 特に相馬盛胤殿に討ち取られた亘理元宗殿を失ったのが大きく、伊達家は軍事における主柱を失っています。
 伊達成実殿、片倉景綱殿、鬼庭綱元殿といった後に”伊達の三傑”と呼ばれる人物達は実績が足りないため、元宗殿の代わりには成りえない。
 傍目から見てもそれは明らかなので、一先ずは伊達家に関しては戸沢家と関わる事はありません。
 だけど、この事が逆に最上家が動きやすくなっている原因の一端になっています。
 両家の現当主である義光殿と輝宗殿は義兄弟の間柄でありながら、互いに警戒しあう関係で信用も信頼もそれほどしていない。
 そのためか、いま一つ同盟関係にあるにしては互いに足を引っ張っている部分がある。
 でも、輝宗殿の方が動けない今、義光殿に枷は無くなっていて。
 上杉家、小野寺家、最上八楯と敵対勢力は絞られています。
 このうち、上杉家は戸沢家と同盟関係にあり、小野寺家は和睦している状態。
 最上八楯に至っては義光殿とは相容れない関係にあるためか、最上一族でありながら敵対という状態。
 これだけ見れば、盛安様が警戒するべき相手は檜山城を拠点に戦力を残している安東家と古くから戸沢家と敵対している南部家になる。
 此処まではある程度の範囲ではあるけど、義広殿も解っている事みたいで、盛安様なら大丈夫では、と言っている根拠でもあるみたい。
 事実、私も盛安様が本能寺の変に向けて準備を行なっているだろうという事に関しては特に疑問も持たなかった。
 勢力基盤も出来上がっているし、鎮守府将軍になった後の軍勢の御披露目という理由で上洛するなら家臣達の反対も余り無いと思う。
 だから、雪解けの季節を見計らって動けば本能寺の変にも何とか間に合わせる事が出来る――――。
 私は本能寺の変に関係すると思われる部分を除き、義広殿に細かく解説していく。

「成る程……最上殿以外にも警戒しなくてはいけないのですね」

「ええ、そうです。まだ力を残している安東家と戸沢家の宿敵である南部家の動き次第では解らなくなります。盛安様の事ですから備えは残すでしょうけど……」

 私が説明した内容で自分が気付いていなかった部分に納得する義広殿。
 流石に安東家と南部家については意識が届かなかった部分があるみたい。
 特に安東家に関しては一度、盛安様が直接対決に勝利しているだけあって勢力は弱体化しているから尚更で。
 年齢の幼い義広殿にはそれほど、脅威には思えなかったみたい。

「盛安様の行動の隙を突いて安東愛季殿が再起を計ってこないとは思えません。盛安様が領内整備を行ったように愛季殿も立て直したでしょうし」

 だけど、政治家としても策士としても一流である愛季殿が健在である限り、弱体化した安東家も充分に脅威と成り得ます。
 もしかしたら、義光殿と連携して動く可能性だって否定出来ないのだから。
 盛安様が本能寺の変へと意識を向けている今なら密かに最上家と安東家が盟約を交わす事も難しくない。

「後の問題は南部家ですが……此方は津軽家が動きを見張ってくれるので、対処は比較的しやすいと思います。……あくまで比較的ですが」

 もう一つの問題である南部家だけど……此方は為信殿との同盟があるから対応はしやすい。
 でも、南部家が小野寺家の領地である横手方面から攻め込んできたら、為信殿の存在があっても戸沢家に侵攻する事は出来る。
 盛安様ならこの辺りにも気付いていると思うから、恐らくは大丈夫だろうけど。

「むむ……流石です、甲斐殿。兄上や父上ならば此処まで推察出来たでしょうが……私ではそうはいきませんね」

 一通りの解説が終わったところで関心した様子で頷く、義広殿。
 義重様や義宣殿のようにはいかないとは言いながらも話の大筋は理解したみたい。
 私としても今の奥州の状況を再確認する意味でも義広殿に説明したのは良かったと思う。
   盛安様の意図が読めていても、不確定要素となる部分は多々あるのだから。
 唯一の救いは最上八楯が義光殿と敵対しているから、最上家が直接的な軍事行動を起こしにくい事。
 史実では現在の盟主である天童頼貞殿が亡くなるまで支配下におく事はありません。
 これがあるから盛安様は本能寺の変に向けての準備が出来るのだと思う。
 でも、私は一つだけ前提が全て覆る可能性がある事を危惧していた。
 その可能性というのは、最上八楯が頼貞殿が健在の間に義光殿に従う事。
 義光殿との関係性からすれば、限りなく低い確率ではあるけれど……これが現実になってしまうと如何なるか読めなくなってしまう。
 だから、私は如何しても嫌な予感が拭えなかった。
 盛安様の事は信じているけれど、それでも不安なものは不安で仕方がなくて。
 唯々、私は盛安様が無事に本懐を成し遂げられる事を祈る。
 どうか、彼が無事でありますように――――と。
 出羽国の方角を見据えて私は盛安様の事を想う。
 だけど、本能寺の変という大事件の結末を変えようとする盛安様を嘲笑うかのように私の祈りは届かない。
 それが明らかになるのは今から数ヵ月の後。
 ちょうど雪解けとなる季節の事でした――――。


































 From FIN



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