夜叉九郎な俺
第62話 斗星と三日月





 ――――1581年12月





 ――――檜山城





「何? 義光殿から密書が届いただと?」

 戸沢家が安東家との決戦に勝利し、出羽北部での最大勢力となった1581年(天正9年)も終わろうとしている。
 唐松野の戦いから約10ヶ月の時が経過し、長らく療養に努めていた愛季は義光からの意外な書状に驚きの様子を見せていた。

「はい。如何致しましょう?」

「うむ……早速、目を通させて貰う。密書という形を取ってきた以上、重要な話であるのは確実だからな」

「畏まりました」

 義光からの書状を政直から受け取り、愛季は全体に目を通す。
 書かれていた文面は雪解けの季節を見計らって戸沢家に攻め込むので、安東家にも呼応して欲しいと言う事であった。
 これだけならば愛季は取るに足りない事であると思ったが、書かれている内容を更に読み込むと意外な事が書かれている。

「成る程、義光殿は先代の力を借りて最上八楯を降したか。確かに唯一の手段であるな」

 愛季は義光の根回しの周到さに感心しつつも納得する。
 最上八楯があくまで先代の義守に従っている者達である点を突いた方策は見事に的を射ていたからだ。
 愛季も急速に勢力を拡大した戸沢家に対抗するには八楯の力が如何しても必要になってくる事を考えていただけに義光とは同じものを見ていたらしい。
 それほど、面識があるわけでもなかったが、愛季は義光の今後の方針が自分と一致しているのが嬉しく思えた。

「政直、私は義光殿の提案に乗じようと思う。今の戸沢家に勝つにはそれが上策だ」

「確かにそれしかありませぬが……大丈夫なのですか?」

「義光殿はああ見えて仁義に厚い人物だ。政直の心配するような事はあるまい」

 謀略家として名高い義光からの書状なだけに警戒している政直に対し、愛季は首を振ってその必要は無いと応える。
 長年に渡って出羽北部に君臨してきた者として義光の裏の思惑を読み取る事などそう難しい事ではない。
 それに愛季は義光の性格を良く知っている。
 非情に徹する事が出来る人物でありながら、妹である義姫には頭が上がらないなど、何処か人間味のある人物。
 奥州随一の智謀の持ち主ではあるが、畿内で鬼謀の持ち主として恐れられた松永久秀と言った人物らとは違う。
 そのため、愛季は義光が持ちかけてきた話については特に疑う必要は無いと判断したのだ。

「一先ず、雪解けを見計い、此方も湊城の奪還のために動く。道季らについては……離反した以上、実の甥であろうと容赦はせぬ。政直もそのつもりで居るようにせよ」

「ははっ!」

 愛季の判断に恭しく頭を下げる政直。
 先の唐松野の戦いに敗れたとは言え、斗星の北天にさも似たりと称される愛季に陰りは見られない。
 寧ろ、再び斗星は天に昇ったと言うべきだろうか。
 義光に呼応し、盛安に報復する事を決断したのはそれの現れだろう。
 今一度、立ち上がった愛季の姿に政直は改めて、主君を誇りに思うのであった。



















「此度は蠣崎家にも兵を出すように伝える。恐らくは息子である慶広が反対するであろうが……。季広ならば、それを振り切ってでも出て来るだろう。
 蠣崎家との軍勢を合わせれば、勢力を拡大した戸沢家であろうとも戦える。問題は津軽家だが……此方に関しては義光殿が更に手を打つようだ」

「おお……」

「南部家でも動かす可能性が高いと私は見るが……流石に其処まで確実とは言い切れぬがな」

 最上家の動きに同調する事を明らかにしたところで愛季は更に蠣崎家も動かすという方針を示す。
 現在の安東家の戦力は湊安東家が離反した事で勢力は弱体化しており、戸沢家と戦うには蠣崎家の戦力が必要不可欠だ。
 後は配下の安東水軍を動かして酒田の町に牽制をかける事で庄内を任されている戸沢盛吉や大宝寺義興の動きを抑える事が可能である。
 問題は上杉家の援軍までは妨害する事が出来ない事であるが……戸沢家の戦力が最上家に全て向けられないのであれば、援軍を得て漸く互角と言ったところだろう。

「だが、盛安の戦の才は尋常なものではない。義光殿を以ってしても難しいだろうな」

 しかし、異常とも言える戦の才覚を持つ盛安が相手では義光でも厳しいと思う。
 騎馬鉄砲と言う特異な戦術を編み出し、雑賀衆特有の戦術をも兼ね備える盛安の軍勢は兵力の過多が戦を決めるものでは無い事をまざまざと証明している。
 事実、兵力で勝っていた唐松野の戦いは此方が敗北したのだから。

「むむ……その通りにございます」

 政直も雑賀衆の前に一気に押し切られた事を思い返す。
 高い火力に加え、常識を覆す運用方法で鉄砲を駆使する雑賀衆の軍勢。
 その脅威を現実に体感した政直はあの時の光景を思い出し、背筋が震える。
 砲撃をしながら、軍勢を入れ替えつつ、早合を行うなど正気の沙汰じゃない。
 小雲雀の異名を持つ、的場昌長が率いる雑賀衆の軍勢だからこそ出来るものである思いたいくらいだ。

「だからこそ、長年に渡って争ってきた南部家の力も借りたいところだが……こればかりは私からは如何にも出来ぬ。繋ぎに関しては義光殿に任せるしかない」

「……そうですな」

 戸沢家の戦力の充実ぶりは既に奥州でも随一。
 此処数年で獲得した領地は全て重要な拠点であり、強大な戦力を持つには必要不可欠なものばかり。
 しかも、治水を始めとした領内改革により大幅に石高を伸ばしている。
 最大動員兵力に関しては10000を優に超えているかもしれない。
 3000ほどの動員が関の山であったろう戸沢家の戦力は最早、別物なのである。
 鎮守府将軍の名も決して偽りでは無いだけの大名である事は愛季から見ても明らかなだけに打てるだけの手を打っておきたいと思うのだ。
 それ故に南部家の戦力も借りたいところであるが……。
 愛季としては六角を巡る戦いを始めとして争い続けてきただけに自らは言い出す事は出来ない。
 南部家の方も安東家は不倶戴天の敵の一角であるため、和睦を申し出てくる事はまず在り得ないだろう。
 そのため、愛季は繋ぎに関しては義光に任せるしかないと言ったのである。

「……何れにせよ、万全を期して挑むしかない。義光殿の力を借りるしかないのは少々残念だがな」

 南部家の事を含め、自らの力が及ばない部分がある事を認めつつ、愛季は盛安の姿を思い浮かべる。
 僅か10代半ばの武将が斗星と呼ばれるこの身を凌駕したのだ。
 だが、星は沈んだとしても再び天へと昇り、また輝きを放つ。
 愛季は自らの異名を反芻しながらも打てる手段を思い浮かべていく。
 10ヶ月に渡って療養と内政に力を注いだ今ならば、幾らでも手はある。
 史実における盛安にとっての宿敵である安東愛季が再び、動き始めた瞬間であった。



















 ――――三戸城





 愛季に義光からの書状が届いて数日後。
 奥州の北東に位置する陸奥国の三戸の地にもまた、義光からの書状が届いていた。
 書かれている内容を熱心に読み耽っているのは還暦を迎えているであろう一人の老将。
 長年に渡って戦場を駆け巡ったと思われるその姿は底知れぬ威圧感を放っている。
 正に歴戦の勇将というものを体現しているかのような彼の人物――――その名を南部晴政と言う。





 ――――南部晴政





 南部家第24代目当主。
 晴政は三日月の丸くなるまで南部領とまで言われた強大な勢力を築き上げた事で知られており、勇将としても名高い人物。
 豪族の連合に近かった南部家を一つに纏め上げた傑物であり、戦国大名としての南部家を形成したその手腕は奥州でも恐れられている。
 戸沢家から見れば、1540年(天文9年)に本領である雫石から現在の所領である角館へ放逐した怨敵であり、討ち果たすべき人物である。
 だが、安東家、斯波家といった奥州北部の大名達と果敢に争い、幾多の戦いを乗り越えてきた晴政の前に道盛も盛重も手を出す事は叶わなかった。
 晴政の築き上げた南部家はそれほど強大なものであり、戸沢家が雫石を本拠としていた頃とは比較にならないほどだ。
 しかしながら、一代で南部家を奥州北部で最大の勢力にまで拡大した晴政には男子が生まれなかった。
 そのため、叔父にあたる石川高信の息子である信直を養子に迎えていたのだが――――晴政が50代を越えた頃に実子である晴継が生まれた。
 流石の晴政も後継者には実子を指名したいと言う事で信直と対立し、これが原因で確執が生まれ、内乱が勃発。
 この内乱は1576年(天正4年)まで続き、信直が自ら養嗣子の座を退く事で決着がついた。
 その後は家督を晴継に譲って隠居し、後見を務めながら過ごしていたのだが――――。





「義光め。儂に斯様な要件を伝えてくるとは……流石に抜け目の無い奴よ」

 拡大した戸沢家の勢力に思う事があるのか、晴政は再び表舞台に出る事が多くなっていた。
 流石に60代も半ばと言う高齢になったこの身には執政として政務を執るのは厳しいが、次代の晴継を思うとそうもいかない。
 同年代である盛安の器を考えると老体に鞭打ってでも対処しなくてはならないのだ。

「お館様。やはり、戸沢への対処に関する事ですか?」

「その通りよ、政実。来春の雪解けを見計らって戸沢に攻め込むと言うておる」

 そのため、晴政は南部家中随一の将である政実を招いて意見を求めていた。

「ふむ……。なれば、斯波を落とさねばなりますまい。南部から戸沢に攻め込むには如何しても横手方面からになる故」

「その通りじゃ、流石よの政実」

 斯波家を攻めるべきである政実の考えが己の意を得たりと言わんばかりのものである事に晴政は満足する。
 南の高水寺城を中心に勢力を持つ斯波家を落とさなくては義光からの要請に応じる事は出来ない。
 その事を見通している政実はこれから如何に動くべきであるかが見えているのである。

「最上が戸沢に当たるとなれば此方も外から牽制せねばならぬ。戸沢も侮れぬだけの勢力になっておるからな」

「確かにお館様の申される通り。義光殿は戸沢の軍勢を分散させる腹積もりでしょう」

「うむ……」

 義光が何を目的として晴政に書状を送ってきたかの理由を考えればそれは明らかである。
 軍勢の数以上の戦力を持つと言わざるを得ない戸沢家の軍勢を相手にするならば、出来る限りその戦力を減らす事が重要となるからだ。
 最上家を中心に戸沢家と敵対している大名の全てを動員し、戦いを挑もうと言うのだろう。

「となれば、愛季めもこの義光の提案には乗ってくるか。政実よ、安東への備えがいらぬとあれば御主が動かせる。……雪解けが来る前に斯波を落とせるか?」

 その意図を理解した晴政は政実に尋ねる。
 戸沢家と最上家が戦う事になる雪解けまでに障害となるであろう斯波家を落とす事が出来るか否かを。

「無論、造作もない事。我ら九戸党に任せて下されば、必ずや落として見せましょう」

 斯波家を落とすなど、北の鬼と呼ばれる政実からすれば容易な事である。
 元より、機会があれば落とそうと考えていたのだ。
 既に九戸党の出陣準備に関しては全て整っている。
 後は晴政からの命令を待つだけであった。

「ならば、すぐにでも出陣せよ。出来る限り迅速にな」

「承りました」

 晴政から待ち望んでいた命を聞き、政実は頭を下げる。
 余りにも遅いとは言えるが、遂に晴政が本格的に動く方針を見せたのだ。
 義光の掌の上で踊っているに過ぎない事だけが残念だがそうも言ってはいられない。
 晴政の気が変わらないうちに動くのみである。
 政実は急ぎ、晴政の下を後にする。

「最早、政実に任せるしか手は残っておらぬ。儂の身体も正直、何時まで持ち堪えられるか解らぬからな……」

 この場に誰も居なくなった事を認めた晴政はぐったりとした様子で体勢を崩す。
 齢、65歳を迎え、間もなく66歳になるこの身は既にガタが来ている。
 何時、体調を崩して病に倒れても可笑しくはない状態にまでなっていると言っても過言ではない。
 戦いに明け暮れ、後年は内乱に腐心していた事が祟ったのだろうか。
 本来ならば斯波家との決着は自分自身で終わらせたいと考えていたのだが、この身体ではそれも難しい。
 信直との確執以来、信用出来る家臣も少なくなった今となっては政実に委ねる以外の術を晴政は考える事が出来なかった。
 それが例え、危険な事であったとしてもだ。
 最早、頼りになると言っても良いのは九戸党を除けばそうは居ない。
 北信愛を始めとした重臣達も信直に同情的であるからである。

「信直めの事は解決してはおらぬが、戸沢の事も放ってはおけぬ」

 だからこそ、体調が優れない今の状態がもどかしい。
 義光の危惧した通り、戸沢家を放置するわけにはいかないからだ。
 このまま、戸沢家が足場を固めて戦力を充実させれば、いよいよ雫石を奪還せんと動いてくるのは明白である。
 南部家を怨敵と見做している戸沢家が動かぬ理由は全く存在しない。

「儂の身体よ……せめて、義光が動くまでは持ち堪えてくれ……」

 それ故にこの身はまだ、このまま朽ち果てるわけにはいかない。
 南部家の行く末の事も踏まえれば尚更である。
 脅威となる存在が少しずつ近付いてきているのだ。
 此処が最後の踏ん張りどころであると言っても間違いはない。
   晴政は政実に託した斯波家の攻略と義光の要請に応じる事が最後の命令となるであろう事を実感しつつ、天を仰ぐのであった。


































 From FIN



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