夜叉九郎な俺
第60話 出羽の驍将
――――最上義光
最上家第11代目当主。
出羽の驍将、羽州の狐等の異名で知られる出羽国南部随一の実力者で、その名を知る者は遠い先の時代でも数多い。
義光は権謀術数を駆使して最上家を一大勢力にまで育て上げた知将であり、内応、暗殺、縁組といった幾多の駆け引きに長ける人物。
一筋縄ではいかない人間でありながら、智、仁、勇を兼ね備えた名君としても名高く、出羽国どころか奥州でも屈指の傑物である。
だが、そんな義光も若き日は父親である義守に疎まれ、不遇の日々を送っていた。
如何にも義光の在り方は義守とは合わなかったのだ。
義守は若干2歳という年齢で最上家当主となった経緯もあってか、最上八楯を始めとした一族や国人達の力を借りて勢力を保持しようとしていた。
それに対して義光は自らの力で敵対勢力を排除して勢力を拡大しようとしており、義守とは根本的に主義が合わない。
謂わば、保守と革新の差であると言うべきだろうか。
若き日の義光が疎まれていたのは義守との大きな考え方の違い故のものであったのだ。
しかし、御家騒動の末に義守から家督を継承して10年近くの月日が流れた現在――――。
身を以って自らの在り方が正しかった事を証明した義光の器を見た義守は二度と口出しする事は無く、当主としての立場を勝ち取った義光は着実に勢力を拡大していた。
妹である義姫が嫁いだ伊達家とは表向きは盟友と言う曖昧な関係を保ちつつ、敵対する豪族を次々と攻略する。
瞬く間に、と言うべき速度で出羽国南部随一の勢力を築き上げるその動きの背景には嘗ての羽州探題である最上家の当主に相応しいだけの力を見せ付ける事にあった。
義光は出羽国における羽州探題の持つ影響力の強さを良く理解していたからである。
だが、織田信長によって室町幕府が無実化し、更には盛安が鎮守府将軍に任じられた事で今までの行動の大半が否定されてしまった。
しかも、盛安は予てより義光が欲していた出羽国の要の地の一角である庄内を先んじて平定したのである。
更には出羽北部随一の勢力を持つ安東家との戦に勝利し、湊安東家を切り離す事にも成功している。
これには流石の義光も驚き、将来的に戸沢家が伊達家以上の壁となる事を実感した。
鎮守府将軍に就任したとはいえ、20歳にも満たない若者でしか無いと盛安の事を見ていたが……最早、それどころではない。
義光は家督を継承して以来の盛安の動きの意味を察しているからこそ、尚更そのように思う。
このまま、盛安が更なる拡大を目指すならば、上杉家との同盟の事もあり、確実に睨み合う事になる。
何も手を打たないで居れば最上家は敵に囲まれてしまうのだ。
最低限でも何かしらの楔を打ち込まなくてはならない。
そのために義光は義守に助力を頼むという意外な手段に出た。
戸沢家と事を交えるのであれば最上八楯を従える以外の手段は無いのだから。
こうした思いもよらない選択肢を見つけ出し、躊躇う事なく決断する事が出来るというこの事こそが義光の持ち味。
正攻法で動く盛安とは対照的に搦手で動く事で本領を発揮するのが最上義光という人物であった。
――――1581年10月下旬
――――山形城
「これで、まず一手だ」
義守が最上八楯が傘下に収める交渉を成功させた報告を聞き、義光は手に持っている扇子を軽く鳴らす。
此処までは予てよりの構想通りだ。
今から約10年程前に起こした御家騒動以来、最上八楯とは敵対してきたが……その旗頭であった父ならば従える事が出来る。
それに今は此方が天童頼貞の娘を娶っている身。
一応の和睦は成立しているのだから、対外的にも傘下に収めるという事に違和感はない。
尤も、義守と自分の確執の事を知っている人間であればあるほど、これに気付く事はないだろうが。
義光は盛安の裏をかく事に成功した事を確信しつつ、笑みを浮かべる。
「御見事です」
「ふん……この程度は大した事はない。守棟ならば造作もない事だろうしな」
「……そう言われては敵いませぬな」
義光の思う通りに事態が推移している事に感嘆しながらも、その問いかけである苦笑するのは氏家守棟。
最上家中でも智謀に優れた人物として名高く、父親である氏家定直が義光の家督継承に尽力しただけに信頼は厚い。
「して、義光様。八楯が降った事により状況は大きく好転する事になりまするが……次は安東愛季殿を動かすのですか?」
「うむ。戸沢との戦で負った傷も落ち着いたとの事らしいからな」
守棟は義光の次なる手を察し、安東家を動かそうとしているか否かを尋ねる。
先の唐松野の戦いで負傷した愛季は盛安が領地の整備に専念している間に傷を癒していた。
傷が回復するまでは暫しの時が必要となったが、盛安が大湊を抑えた段階で動きを止めた事が幸いしたのか療養に努める事が出来た。
その甲斐もあってか、愛季は離反した湊安東家を討伐するための準備を進めているという。
「成る程……安東殿が動けば戸沢殿は軍勢を動かすしか無くなるという筋書きですか」
「その通りだ。また、俺が見たところ盛安は足場を堅める傍らで軍勢の準備も進めているようだ。現状は此方に矛先を向けてくるとは限らないが……。
何かしらの目的があるように思える。流石に何を目的としているかまでは解らぬが、な」
ならば、それを利用して戸沢家の軍勢の一部を分断させ、戦力を少しでも減らす。
先の戦の結果を知っている義光は戸沢家の軍勢の強さが本物である事を認めていた。
何しろ、愛季自らが率いている軍勢が相手であるにも関わらず勝利したのだから。
しかし、義光にも盛安が何を考えて準備を進めているかまでは解らない。
最上家と戦うための準備をしていると思えば違和感は全くないがのだが、鎮守府将軍のように思わぬところに目を付けた盛安が何も考えていない事は在り得ない。
「となれば、戸沢殿が動くよりも先に此方が動くべきですかな。少なくとも、雪解けまで大々的には動かないでしょうから其処を狙うのが宜しいかと」
「……うむ。そのように思っていた」
それに念入りに下準備をしている現状を踏まえると年明け早々から動き出す可能性もそれほど高くはない。
如何も不自然な部分が目立つような気がするのだ。
最上家攻めを前提として準備を進めるのであれば上杉家との連携をもっと活用してくるはずだからである。
また、津軽家と歩調を合わせて安東家を完全に滅ぼす選択肢だって存在する。
義光が矛先が最上家に向くとは限らないと判断したのはそのためである。
盛安の動きが如何に動くが解らない――――故に義光は機先を制すべきだと判断しているのだ。
「何れにせよ、盛安とは一当てしてみらねば解らぬ。若いにも関わらずあれだけの力を見せているのだから侮れる存在ではない。
正直な話、我が甥の不甲斐なさと比べると末恐ろしくもある」
今までの盛安を見てきた限り、義光を以ってしても器がどれほどの者か計りきれない。
唯、はっきりしているのは傑物である事だけ。
僅か数年で出羽国でも最上家に匹敵する段階にまで上り詰めたのだからその器量に疑う余地は全くない。
義光は盛安の得体の知れない何かを感じ取りつつそのように思う。
「政宗様ですか」
「……少しは期待していたのだがな。まさか、佐竹の後取りに遅れを取るとは」
それに対して初陣を果たした甥、政宗の惨憺たる結果に義光は落胆を隠せない。
勝てるはずの戦であった相馬家との戦に佐竹家が介入した事で結果が大きく変わってしまった事はまだ良い。
だが、佐竹義宣に遅れを取ったのは伊達家の後継者としては非常に問題である。
義宣にも伊達家の継承権があるからだ。
現当主、輝宗の妹の息子である義宣は佐竹家の後継者でありながら、伊達家の一門衆なのだ。
しかも歳が若い事もあり、次代を担う者としての期待をされている。
これは政宗の方にも同じ事が言えるのだが、直接対決という形で義宣に敗れたとあっては大問題でしかない。
戦場における武将としての潜在的な器は義宣の方が優れていると証明してしまったのだから。
「……まぁ、こればかりは育った環境の差もあるのかもしれんがな」
「坂東太郎、鬼真壁、太田三楽斎……彼の人物達から直々に手解きを受けているとなれば確かに否定は出来ませぬ」
「だが、政宗めは頭が良く回る。戦は得手では無くとも、策士としては向いているかもしれん。これから次第と言ったところだな」
「そうですね……」
しかし、政宗の本質は戦場における分野ではなく、謀略といった部分にあると判断する義光。
幼い頃に疱瘡を患い、片目を失った政宗は戦場で陣頭に立って戦うには大きく不利を被っている。
武勇で知られる武将達からの薫陶を受けている義宣とは違うのである。
唯、政宗に資質がある事は義光の眼から見ても明らかであり、次代を担う人物の一人である事は間違いない。
此処からも化ける可能性が充分にあるのだ。
新たな敵と成り得るであろう盛安と政宗の事を思いつつ、義光は奥州に新たな将星が輝く事になる事を確信するのであった。
「義光様。光直様を御連れ致しました」
盛安と政宗の話が終わり、今後の戸沢家に対する戦略を考える事、暫し後――――。
今まで席を外していた腹心である志村光安が義光の実弟である楯岡光直を伴って戻ってくる。
光安と光直は共に17歳で最上家の次代を担う者として期待されている者達。
義光も最上家の将来を背負っていく事の出来る人物として2人には何かと目をかけており、自らの伝えられる事の多くを教えている。
「入れ」
此度も戸沢家に対する戦略で重要な立ち回りを要求する事になるだろうと言う事でこの場に招いたのだ。
「ははっ」
「失礼致します」
入るように促すと2人は臆する事なく、義光の傍に控え腰を落ろす。
何故、義光が呼んだのかを既に理解しているようだ。
「兄上、父上に八楯の交渉を委ねたと言う事は時が近いのですね」
「……うむ。後は愛季と繋ぎを取り、戸沢の軍勢を分断するよう手筈を整える」
「しかし、戸沢を攻めたとなれば上杉景勝が黙ってはいないと思いますが……?」
光直は義守が動いた事で急速に勢力を拡大する戸沢家と矛を交える時が近い事を読み取り、光安はその際に問題となるであろう上杉家についての問題を指摘する。
考えている次の行動と懸念点を読み取った2人に義光は内心で笑みを浮かべながら応じる。
「其処は織田信長公が派遣した柴田勝家殿の北上する動きを利用する。既に輝宗殿の繋ぎを借りて手を回してある」
「成る程……流石は兄上。そうなれば、警戒すべきは本庄繁長だけとなりますね」
幾ら精強で知られる上杉家の軍勢であっても北上を続ける織田家との戦の合間となれば余裕があるとは言えない。
唯一、戸沢家を助力出来る軍勢は庄内で領地を接する本庄繁長の軍勢に限られてくるのだ。
歴戦の猛将と名高い繁長が援軍に来るとなれば苦戦を強いられる事は避けられないが、それでも景勝を含めた本隊が援軍に来るよりは余程マシである。
「ですが、繁長殿の下には彼の御坊が居ります。義光様の手の内を既に読み取っているのでは?」
しかし、光安は繁長の傍に仕えている一人の僧の存在を懸念していた。
繁長は猪突猛進を地で行くような人物であり、謀に陥れてしまえばそれほど怖い存在ではない。
だが、繁長の傍には神算鬼謀の頭脳を持つ事で知られる名僧が居り、幾度となく義光の行く手を阻んできた。
まるで、義光の手の内を尽く読み尽くしていくかのように。
この僧の存在が単純な気質の繁長の隙間を埋めているのだ。
光安が恐れているのは彼の僧が盛安に義光の動向を伝えた場合の事。
義光の戸沢家に対する戦略は的を射ており、最上八楯を従えるという搦手とも言うべき手段までも用いている。
それだけに繁長と戦う可能性がある事の危うさを説いたのである。
「確かに光安の申す通りだ。繁長めの下に居る御坊ならば此方の動きも読み取っているだろう。しかし、御坊はあくまで”上杉に仕える繁長の軍師”でしかない。
盛安に直接、情報を伝えるような勝手な真似が出来る立場では無いのだ。懸念すべき相手ではあるが、あくまで盛安と戦う場合に限れば脅威とはならん」
義光は光安の言い分を肯定しつつも、僧があくまで繁長に仕える者でしかないという点を告げる。
あくまで陪臣でしかないその身には戸沢家と直接やり取りを行う術が無い事を知っているからだ。
それに名僧として知られる身である事が更に足を引っ張る事になり、彼の僧が動けば義光の下にも情報が回ってくる。
高名であるが故の弊害とでも言うべきだろうか。
僧が義光の動きを読み取るのに対し、義光もまた僧の動きを読み取る事が出来るのである。
「ですが、警戒せねばならない人物ではある事は間違いありません。兄上、それだけは御心に留め置き下さい」
「……解っている」
だが、光直の言う通りに警戒するべき人物である事は相違ない。
織田家、安東家といった影響力の強い大名の動きを活用し、間隙を突く形で戸沢家と相対する際には背後に不安を抱える事になるからである。
しかし、盛安が最上家以外との戦の準備をしているとなれば話も大きく変わる。
あくまで安東家との決着を付けるのであれば上杉家の援軍は必要ないからだ。
盛安の本当の目的が何処にあるのかが解らない以上、上杉家もまた不確定な存在でしかない。
義光は雪解けの季節まで暫しの時間がある事を幸いとし、じっくりと判断していくべきだろうと判断するのであった。
こうして、出羽の驍将と謳われる知将、最上義光が静かに動き始める。
多方面からの角度で物事を推察し、広い視野で策を練り上げる義光の動きは搦手が多く、並の人間では到底、思いもよらないものであろう。
それ故に盛安も義光と戦う事だけは最大限の準備を行い、備えておこうと考えていた。
だが、皮肉にも『先を知っていると言う点』が盛安の判断を大きく鈍らせる。
今の盛安にとっては義光よりも強く意識を向けなければならない出来事が後に控えているからだ。
先を知るが故に如何しても手を打とうと寡作するのはやはり、遠い先の時代を知るからか。
盛安が焦るのも無理はない事かもしれない。
天下を揺るがす彼の事件――――本能寺の変が起こるその日までは既に残り10ヶ月を切っていたのだから。
From FIN
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