夜叉九郎な俺
第59話 最上八楯





 ――――1581年9月






 武田家が崩壊へと確実に歩みを進めている頃。
 盟友である上杉家は盛安からの進言にあった佐渡を抑え、確実に地盤を築き上げていた。
 直江津という港町による強大な財力を誇る現状に佐渡に眠る巨大な金山を得たとなればその経済力は破格のものとなる。
 ましてや、これに盛安から教授される事になる治水を加えた領内は開発を行えば元より、豊かであった越後国は更なる発展が望めるであろう。
 眼前には柴田勝家率いる織田家の軍勢が北上中であるが、新発田重家を始めとした家臣達を纏め上げ終えた今となっては主力を差し向けて対応する事も出来る。
 こういった背景には盛氏が没した蘆名家と先の相馬家との戦で亘理元宗を失い、余力を減らした伊達家が越後への介入を行う余裕が無くなったのも大きい。
 今まで隙あらば越後に介入し、虎視眈々と上杉家の崩壊を狙っていた両家が動けなくなった事は謙信亡き後の上杉家からすれば正に朗報であったと言えるだろう。
 しかも、両家に睨みを効かせる事の出来る重家が居る事で伊達家も蘆名家も当面は越後に仕掛けられない。
 更には盟友である戸沢家が庄内にまで進出し、領土を接する事になった現状では本庄繁長も反上杉家の立場の大名に睨みを効かせやすくなっている。
 これにより、上杉家は最上家以外の奥州の大名を警戒する必要性が大きく薄れ、主力の軍勢を北上する織田家にぶつける事が可能となっているのだ。
 越後に介入するであろう勢力の尽くが弱体化した事は考えている以上に大きな影響があると言えるだろう。
 後は予てより話を進めていた盛安との会談と治水に関する助言を纏め、義重との同盟の話と甲斐姫との婚姻の話を進める。
 それが上杉家の現状の方針であり、現実のものとするべき事柄。
 以前に盛安との邂逅を果たした景勝と兼続からすれば直に語り合って約束を交わした事であるため尚更である。
 盟約を違えないのが先代からも受け継いできた現在の上杉家の在り方だ。
 相手となる盛安も盟約を違える気質の人物では無いだけに二重の意味でも破る事は考えられない。
 義の旗を掲げる以上、その志に偽りがあってはならないのだから。






「盛安様。御約束の通り、義重様からの返答を御持ち致しました」

「忝ない、兼続殿」

 以前に盟約を交わした際に約束していた佐竹家からの返答を兼続から受け取る。
 本来ならば、北上する織田家や伊達、蘆名家の脅威がある現状で景勝の懐刀である兼続が越後を離れるのは自殺行為のはずなのだが――――。
 佐竹家が伊達家と戦っている相馬家の救援の要請を受けた事で大きく動きが変わっている。
 本来ならば伊達家が勝利していたであろう金山、丸森を巡る戦は関東から南奥州における随一の武力を誇る佐竹家の介入が勝敗を完全に逆転させた。
 家臣の服部康成を含めた忍の者に調べさせたところ伊達家はこの戦で亘理元宗、原田宗政、佐藤為信と多数の兵を失ったと聞く。
 特にこの中でも特筆すべき事は宗政を討ち取ったのは何と、10歳を超えたくらいの女性であるという。
 これには俺も思わず言葉を失いそうになったが、佐竹家に身を寄せている甲斐姫の事を考えると可笑しな事ではないかと思い直す。
 実際に共に学んでいるという義宣が初陣を果たしたのだから、可能性としては当然とも言えるからだ。
 それに甲斐姫が実際に武功を上げたとなれば、女性だと馬鹿には出来なくなる。
 武を重んじる佐竹家であるからこそ戦場に出る事を認められたとも言える甲斐姫だが、このような結果を残したとあれば他家でも見る目は変わる事だろう。
 事実、関東や南奥州では鬼姫という異名で名が広まりつつあるらしい。
 俺自身も夜叉九郎、鬼九郎の名で呼ばれる身ではあるが、鬼姫ともなればある意味相応しいだろうか。
 らしい、と思いつつ俺は義重からの書状に一通り目を通し終える。
 此方からの要望である甲斐姫を妻に迎える事と同盟の件に応じてくれた義重の判断には感謝するしかない。
 一先ず、問題点の一つは解決したと言っても良いだろう。
 これも史実とは違って新発田重家が反乱を起こさずに蘆名家への睨みを効かせており、その介入を防いでいる事が最大限に影響している。
 背後の伊達家、蘆名家の動きもあったが故に史実では織田家に対して戦力を集められなかったし、兼続が動けるという余力がなかった。
 軍勢を自由に動かせない要因でだった主な原因の全てが取り払われ、更には越後の安定と佐渡を得た現状の上杉家の状態は俺が思うよりも余程良いらしい。
 実際に兼続も盟友である狩野秀治に委任出来る現状ならば、自分が暫しの間離れていても問題はないと言っている。
 意外に知られていないが、天正年間の中頃の兼続の政策は秀治との共同でのものが多い。
 景勝を支える家臣の中では群を抜いて知名度の高い兼続ではあるが、その根底には秀治と共に励んだ事が執政としての手腕に影響しているのは間違いないだろう。
 兼続が秀治が景勝の傍に居るのであれば大丈夫だと言っているのも納得出来るものがある。
 それに歴戦の猛者である斎藤朝信らを始めとした人物が率いる軍勢は織田家の北陸方面を担当している柴田勝家の軍勢にも決して劣らない。
 主力を始めとした上杉家の軍勢は先代の謙信の頃より精強であり、織田家よりも数には劣るが個々の練度や戦力では勝っている。
 織田家を代表する猛将である勝家も流石に備えを整えた上杉家の軍勢を相手にするのは骨が折れるらしく、越中の西部からは先に進めていないとの事。
 破竹の勢いとも言えた織田家の進軍はやはり、伊達家、蘆名家といった奥州の大名の後方での動きがあってこそのものなのだろう。
 現状では伊達家は相馬家に敗れた事により再編する必要性に駆られているし、蘆名家は重家が睨みを効かせている。
 また、史実ではもう一つの問題であった庄内方面も同盟を結んだ戸沢家が抑えた事で最上家のみを警戒すれば良いだけとなっているのだ。
 越後東部の混乱が織田家と交戦していた時期の上杉家の戦力を大きく削り取っていただけにこの差は歴然としていると言っても良いだろう。
 何しろ、状況次第では織田家も上杉家とは和睦せざるを得なくなる可能性もあるのだから。
 史実では在り得なかった早期における越後の安定は周囲が想像する以上に大きな影響力があったのである――――。



















「して、盛安様。義重様との御話も成り、庄内、大湊を抑えた今後は如何なされますので?」

 佐竹家に関する細かい話を終え、兼続に越後の治水についての助言を一通りところで次の方針を尋ねられる。
 今の戸沢家は上杉家と庄内で領土を接し、これ以上の南下は殆ど望めない。
 また、北は大湊より更に北上するとなればこれまた、盟友である津軽家と完全に接する。
 安東家の戦力が弱体化した今、為信が動き始めるのはほぼ、間違いのないため、実質的に戸沢家の勢力拡大には限りがあるのだ。
 後は戸沢家の嘗ての本拠地であった雫石の奪還のために南部家と戦う事だが、これも戸沢家か津軽家が安東家を完全に落としてからになる。
 後顧の憂いを断たなくては南部家と事を交えるのは下策に過ぎないからだ。
 兼続が俺の今後の方針に疑問を持つのも当然だろう。

「一先ず、来春までは国力の充実に努め、俺自身は手勢を率いて上洛する予定です」

 だが、半年近くもすれば起こる可能性の高いとある事件を知っている身としてはそれを防ぐか妨害するための手を打つ必要がある。
 そのため、俺としては国力を高め、不在となる間の備えをしておかなくてはならない。

「何故にでしょうか?」

 しかし、先を知らない人物からすれば俺が如何してこのような行動を起こそうとしているかまでは読みきれない。
 流石の兼続でさえも俺の行動方針は意外に思えたようだ。

「鎮守府将軍として、相応しいだけの地力と軍を得ましたからね。朝廷に御披露目すると言ったところです」

 今はまだ、彼の事件の事を伝える事は出来ないため、別の目的である朝廷への御披露目の件を兼続に伝える。
 鎮守府将軍に就任してからの俺の戦歴や勢力拡大については畿内の方にも伝えてはいるが、こういったものは論より証拠である。
 実際に僅か数年以内で名ばかりではないだけの大名になった事を証明するには精兵の御披露目が手っ取り早い。
 とは言っても、本当の目的は京都で起こる政変とも言うべき大事件に備えるのが目的だが――――。

「……成る程、確かに一理ありますな。盛安様の事ですから他にも目的があるものと思いましたが……其方については御聞きしますまい。
 景勝様には盛安様からの感謝の言葉と治水を含めた領内整備の助言を頂いた事を御伝えしておきます」

「……感謝します」

 兼続は俺の様子を見て、本当の目的が御披露目とは別にある可能性に気付いたようだ。
 深い洞察力をも持つ兼続ならば、俺の目的を察する事は容易ではあるだろうが……。
 やはり、若くして景勝の腹心として辣腕を振るっているその人物は伊達ではないらしい。
 実際に俺自身も探る事や、看破する事は得意であっても、自らが策を考じて実行するのは得意とは言い難いし、こういった芸当は利信達の方が向いているくらいだ。
 元々から策士とは程遠い人間である事の自覚はあるだけに兼続のような智謀に優れた人物ならば裏に気付くのは当然である。
 そのため、兼続が俺の本当の目的が別にある可能性に気付きながらも追求しなかった事は有り難かった。
 本来ならば領地を接した盟友である上杉家には詳細を出来る限り伝えるのが普通なのだが、事情が事情である。
 現状の段階で公にする訳にはいかない。
 だからこそ、俺は兼続にも伝えなかったのだ。
 それに兼続の方も尋ねたとしても俺が説明出来ない事を良く理解している。
 俺達はこれ以上の話は無用であるとし、改めて俺が上洛する場合に関する問題点や周囲の大名の動きに関する可能性を考察しあう。
 主に警戒するべきは最上家、安東家、南部家。
 何れも戸沢家と事を交える事になるであろう大名だ。
 特に先の唐松野の戦いによる安東家との関係と雫石を巡る経緯もある南部家とは敵対する以外の道はない。
 唯一、最上家だけが敵対する以外の選択肢が望める可能性があるのだが……庄内を抑えている現状ではそれも難しい。
 現当主である最上義光は庄内を欲しているからだ。
 だが、幸いにして義光は長年に渡って争ってきた最上八楯とは一応の和睦が成立しているとは言えど、完全に従えてはいない。
 ある意味では不穏分子とも言えるこの最上八楯がある限り、戸沢家に対して積極的な軍事行動を起こす事は出来ないのだ。
 それ故に俺と兼続は最上家に関しては最低限の警戒だけで充分だろうと判断していた。
 しかし――――この時、俺はとんでもない事を見落としていた。
 余りにも最上義光という傑物の存在を意識する余りに彼の人物が万が一、動いた場合の事態を想定していなかったのだ。
 兼続の方も俺と同じく義光のが警戒するべき人物であると判断し、俺とほぼ同意見だった。
 皮肉にも義光の手腕により、完全に陰に隠れる形となってしまったある人物の存在に俺達は気付けなかった。
 天正年間の中頃から漸く表舞台に立ち始めた俺達からすれば、名前を聞く事も少ないであろう人物。
 そして、史実でも義光が当主となってからは殆ど動かなかった人物――――。
 彼の人物によって、俺が想定していなかった事態が引き起こされる事になる。



















 ――――1581年10月






 ――――出羽国、天童城






「この通りじゃ。儂の顔に免じて息子に従ってはくれまいか?」

 盛安と兼続が次の方針を話し合って暫く後の頃――――。
 一人の老人がずらりと居並ぶ武将達を前にして頭を下げていた。
 歳の頃は既に60歳を過ぎ、出家しているであろう姿。
 もしかすると、隠居でもしているのだろうか。
 老人は法体姿であり、このような武将達の居並ぶ場には似つかわしくない。
 更には覇気を感じられない空気を身に纏っているかのようなその出で立ちは頼り無さげにも思える。

「……頭を御上げ下され、義守様」

 その中で頭を下げる老人の名を居並ぶ武将の一人が紡ぐ。
 第10代目最上家当主、最上義守
 それが頭を下げている老人の名前である。
 先代の最上家当主である義守は1571年(元亀2年)に出家して栄林と号して隠居していた。
 だが、戸沢家の急激な勢力拡大を目にした義守は最上八楯の力無くしては万が一、戸沢家と事を交える必要性に駆られた場合に対処出来ないと考えていたのである。
 義光も庄内を手中に収めるには戸沢家が邪魔であると判断していたし、最上家にとっては都合の悪い官職である鎮守府将軍に就任している。
 唐松野の戦いで安東愛季を破り、勢力を拡大した戸沢家は既に最上家にとっても脅威と言える段階にまで成長していたのだ。
 そのため、長年に渡って義光と争ってきた最上八楯を嘗ての主君の立場にあった義守が自ら説得し、傘下に迎えようとしている。

「我ら最上八楯は義守様に忠節を誓った身。この天童頼貞、義守様直々の頼みとあらば相手が義光殿であろうとも従いましょう」

 義守の意志を汲み取り、頭を下げる主君の願いに応じる最上八楯の盟主である天童頼貞。
 現状では自らの娘を嫁がせているとはいえ、主君である義守を隠居させた義光には本来ならば従おうとは思わない。
 だが、凄まじいまでの勢いで勢力を拡大した戸沢家の事を踏まえれば、義光に従うという選択肢も考える余地がある。
 頼貞としては戸沢家が最上家に攻め寄せるのであれば、全力を以ってそれに立ち塞がるというつもりで居たのだが――――。
 主君である義守が自ら足を運んで来たとなれば話は別だ。
 今は亡き、兄、天童頼長にも後を託された以上、義守の命とあらば否という選択肢はなかった。

「皆もそれで良いだろうか?」

 しかし、頼貞が従う事を決めたとは言えども八楯はあくまで最上家氏族の集まった連合でしかない。
 盟主が方針を表明したとしても反対する事は出来るのだ。

「聞かれるまでもない。頼貞殿が義守様に従って、義光殿の下に行くのならば当然、この延沢満延も共をさせて貰おう」

 だが、頼貞と同じく義守に忠節を誓った身である八楯は全員が従う事に決めていたらしく、一同を代表して延沢満延がそれを表明する。
 延沢満延は最上八楯の中でも剛勇で知られる人物であり、出羽国……いや、奥州全体でも随一と言っても良い勇士である。
 満延は戸沢家の矢島満安と真っ向から戦う事の出来る奥州内でも唯一の人物とでも言うべきだろうか。
 義守が最上八楯を何としても義光の味方としたいと考えた背景には満延の存在も大きい。
 悪竜の異名を持つ、満安を抑える事が出来なければ戸沢家と正面から戦う事は出来ないのだ。
 無論、義光の家臣達にも優れた武将達は居るが……それでも満安と打ち合うには役者が不足している。
 如いて言うなら、満安ともまともに打ち合えるであろう武将の名を上げるとすれば義光本人であるが、これは博打でしかない。
 今の最上家は義光の手腕があってこそ、出羽国でも随一の大勢力を持つ大名として君臨しているのだから。
 義光を失う事は最上家の崩壊にも結び付き兼ねない。
 事実、史実でも義光亡き後の最上家は御取り潰しの憂き目にあっているだけに義守の目の付けどころは間違っていないと言える。
 圧倒的な武勇で戦場を制する満安を自由に動かさせないためには満延ほど適任な者は居ないのだから。

「……皆、すまぬ」

 八楯全員が従う事を表明してくれた事に義守は感謝の念を込めてもう一度頭を下げる。
 義光との争いが原因で現状のようになってしまっているのに。
 旧主の義守からの頼みという理由で従ってくれる八楯の面々には感謝してもしきれない。
 義守は頼貞、満延らの力があれば戸沢家と事を構える事になろうとも優位に立てるであろう事を確信する。
 最上八楯の戦力はそれほどまでに強大なものなのである――――。



















 史実では動く事の無かった最上義守が動いた事によって最上八楯は天童頼貞の存命時に正式に傘下へと収まった。
 頼貞は天文の大乱を含めた奥州での数多くの戦を戦い抜いてきた歴戦の名将。
 その力量は最上家と敵対するようになってから一度たりとも負けた事がないという経歴が全てを証明している。
 また、延沢満延を始めとした八楯に属する一癖も二癖もある者達を束ね上げている事からも只者ではない事は明らかだ。
 正に頼貞はこれからの最上家に必要な人物であり、是非とも家臣として迎えたい人物。
 皮肉にも史実では成し得なかったこの頼貞の服従は戸沢家の勢力が強大なものとなったが故に在りえた事。
 それに加え、動かないはずの義守が動いたのも積極的な軍事行動を見せた盛安を警戒しての事だからつくづく解らない。
 しかも、義守と最上八楯の関係については盛安と兼続といった天正年間で表舞台に出てきた武将達には知る由もない事であった。
 但し、盛安に関してはそれに気付く可能性もあったのだが――――。
 盛安は最上家中における義守との確執や複雑な立場を知っていたために義守が動く事は無いだろうと判断していた。
 後、僅かな期間にまで迫った大事件の事と別の人物の動きの警戒に意識を裂いていたため、其処まで考えが及ばなかった可能性もある。
 何れにせよ、誰かが操っているかのように戸沢家、上杉家の穴を突いたかのような一連の動き――――。
 全ては唯一人の人物が裏で手綱を握り、動かしていた。
 歴史の先を知っているはずの盛安の目を欺き、兼続が若いが故に知りえない部分があるという欠点を突いた彼の人物。
 そして、盛安の今までの構想を全て打ち崩すに至る人物――――。



















 その名を――――最上義光と言う。


































 From FIN



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