夜叉九郎な俺
第52話 鬼姫と竜の初陣





 ――――1581年5月





 盛安の事を越えるべき壁であり、武将として目指すべき形の一端である事を認めた政宗は成実と共に初陣でなる相馬家との戦に出陣した。
 同じ舞台に立つにはまず、自分も戦を経験しなくては話にならない。
 その意志を固めつつ、政宗は初陣の地へと到着する。
 だが、政宗がその地に辿り着いた時の戦況は初戦を相馬盛胤、相馬義胤率いる相馬方が勝利したというものであり、有利とは言えない状況であった。
 戦上手で知られる盛胤、義胤の親子は数で勝る伊達家の軍勢を戦術と地の利を生かした戦運びで劣勢を覆していたのである。
 相馬家とは天文の大乱以後の決別以降、長年に渡って争ってきたが、盛胤からは幾度となく苦渋を舐めさせられるほどに手古摺っていた。
 それだけに輝宗も此度の政宗の初陣に関しては何かと思うところがあったのだろう。

「伊達家の誇りにかけてもこの地を落とす。相馬の反撃に一瞬たりとも怯むでないぞ! 政宗もその心構えで挑め」

 日頃は温厚で知られる輝宗が声を荒げるほどに意気込みをはっきりと口にしていた。
 此度の戦に関する意気込みは盛胤の義兄弟である田村清顕と盟約を結び、更には相馬家に不満を抱えていた佐藤為信を調略するなど入念な準備を行っていた事からも窺える。
 それに加え、嘗ての敵であったはずの清顕と和睦した事はこの時を見据えての事である。
 後継者が娘の愛姫しか居ない清顕の不安を上手く利用し、相馬家から離反させたのも含めて。
 ましてや、此度の戦は嫡男である政宗の初陣も兼ねているのだ。
 疱瘡で右目を失い、一部では政宗の奇抜な発想や思想を理解出来ず、暗愚とまで言われている政宗の器量を見せ付けるためにも此度の戦は結果を残さなくてはならない。
 そのため、輝宗の秘める意志は並々ならぬものがあった。
 政宗の秘める才覚を目覚めさせるには此度の戦が鍵を握るのだ――――。
 それに政宗も同年代の武将である盛安が大きく力を伸ばした事に対抗心を燃やしていた。
 家督を継承して、僅かに数年足らず、出羽国でも弱小と言っても良かったはずの戸沢家の勢力は今や伊達家、最上家に迫る段階にまで到達した。
 鎮守府将軍を称しながら名ばかりであった盛安は正式に朝廷よりその官職に任命され、庄内の平定と安東家との戦を制した事で名実共に名に相応しいだけの力を得ている。
 これが政宗より一つだけしか年齢が違わないのだから尚更だ。
 将来的に立ち塞がる事になる相手に自らの名を知らしめる機会ともなる初陣は政宗にとっても武将としての第一歩を踏み出す意味でも重要なものであった。

「藤次、夜叉九郎に俺達の力を見せ付ける良い機会だ。精々、暴れまわってやろう」

「ふんっ! 言われるまでもないわ!」

 成実も政宗の内心を見抜いているのか、肩を軽く叩きながら意気込みをあらわにする。
 盛安は初陣となる大曲の戦いで矢島満安と渡り合い、それに打ち勝っているのだ。
 越えるべき相手の初陣の結果も踏まえれば負けてはいられない。
 しかも、相手は戦上手で知られる、相馬盛胤、相馬義胤であるだけにその思いは更に強くなる。
 父、輝宗の宿敵でもあり、伊達家の失った領地を取り戻すには彼らを打ち破らなければならないのだ。
 盛安を越えるためにはまず、己の力がどれほどのものであるかを示さねばならない。
 それは言われるまでもない事であり、自身も承知している事――――。
 政宗は成実に対して憎まれ口を叩きながらも応じるのであった。


















 こうして、政宗と成実という次代を担う者達が初陣を迎えた伊達家と相馬家の因縁の戦い。
 奥州でも南の出来事であるために盛安の行動による目立った影響は無いように見受けられた。
 金山、丸森を争う戦は伊達、相馬の両家の関係からすれば何れ放っておいても戦い始めるのは容易に想像出来る事であったからだ。
 戦が本格化する事は無理もないだろう。
 長年に渡り、争ってきた因縁は決して浅くはないのだから。
 だが、此度の戦の裏側ではこの段階では動かないと思われていた人物が既に動いていた事は相馬家と長年に渡って戦ってきた輝宗にも予測は出来なかった。
 しかもそれが戸沢家が勢力を拡大した事の影響であり、この時に予測出来なかった事が後の伊達家の命運を分ける事にも成りかねない事であるにも関わらずにだ――――。

「輝宗殿の動きは掴めているか」

「はい。軍勢を二手に分けて盛胤様に備える腹積もりの様子」

「……解った。我が手勢も存在を気付かれぬうちに軍を二分し、各個に打ち破るぞ。盛胤殿、義胤殿にも伝えておけ」

「ははっ!」

 伊達家の動きに乗じ、先手を取るように軍勢を分けて輝宗、政宗を打ち破らんと采配を執るのは佐竹義重。
 何と、義重は足場を固め、戦に臨んできた輝宗の入念な準備を警戒した義胤の要請を受け、自ら軍勢を進めてきたのである。
 義重としては伊達家の動きについては黙認しておくつもりであったが、蘆名盛氏死後の岩代国を切り取るための下準備として此度の戦に参陣した。
 相手が伊達家ともなれば、奥州にて佐竹家の強さを広めるにはちょうど良い相手であろう。
 彼の家に匹敵するほどの大名は最上家、南部家といった極少数に過ぎないのだから。

「父上、義久殿……」

「……そう気負うな。義宣はじっくりと戦が如何様なものかをその身で感じるが良い」

 また、この戦には佐竹家の後継者である佐竹義宣も加わっていた。
 同じく此度の戦で初陣を迎える政宗よりも三つほど若いが、伊達家の後継者の参陣する戦に勝利したとなれば義宣の名に箔がつくからだ。
 それに義宣の母親は輝宗の妹であり、その出自から義宣は政宗とは従兄弟同士の関係でもある。
 謂わば、義宣は伊達家の一門衆の一人でもあり、此度の戦に勝てば嫡男よりも戦上手な一門である事を証明する事にもなるのだ。
 義重は今後の奥州での戦略と次代である義宣の立場を確固たるものとせんがために伊達家と相馬家との戦に介入する事を決断したのである。

「それに、義宣が然様な態度では俺達の反対を押し切ってまで従軍してきた者にも申し訳が立たぬぞ?」

「はい、父上」

 義宣も義重の思惑が自分の奥州における立場に影響する事を思い出し、落ち着きを取り戻す。
 坂東太郎の異名を持つ、義重の後継者としての第一歩を踏み出す事になる此度の戦がこれからの義宣にとってどれだけの意味があるかは考えなくとも解るからだ。
 それに奥州に対する佐竹家の影響力を増すために介入を決断した事についても。
 母親が輝宗の妹である義宣の身は佐竹家の次期当主という立場だけでなく、奥州でも最大の勢力を持つ伊達家の一門衆という立場も兼ねている事についても。
 今後の事を思えば、はっきりと明確に示す必要があった。
 現状の段階でも白河や岩城といった奥州の南に強い影響力を持つ佐竹家だが、此度の戦で伊達家を打ち破ればその影響力は一気に出羽国、岩代国の一部にまで広がる。
 特に出羽国南部の地である南羽前の地を治める伊達家を破れば、出羽国北部の地である羽後を治める戸沢家との繋ぎを取り易くなる。
 上杉家に続く、新たな盟友である戸沢家との連携を考えれば出来る限り、奥州における影響力を強めておきたいと考える義重の思惑は義宣にも納得出来た。

「だから、義宣も平常心で居るが良い。歳下である彼女が其処で黙って覚悟を決めているように、な」

 義宣が自らの言おうとしている事を理解したのを認めた義重は軽く笑みを浮かべながら、義宣の隣で一言も発する事なく精神統一している人物に視線を向ける。
 其処には若い義宣よりも更に二つほど若い一人の女性の姿。
 義重と義宣の反対を押し切ってまで此度の戦に付き従ってきた一人の女性は時折、目を閉じたまま深呼吸する。
 その様子はあくまでも平常心を保っており、気負いの様子は僅かに見られるものの既に覚悟は決まっているのだろう。
 でなければ、これほど早い段階での初陣を望むわけがない。
 義宣に関しても初陣としては早い方ではあるが、それよりも更に早いのだから余程の思いがあるのは間違いない。
 何しろ、夫となる者と共に戦場に立つ事を目指しているのだから。
 自分の意思で戦に参陣したのも、それがあっての事である。
 女性の身でありながらこの重要な局面に居る人物は成田甲斐――――。
 此度の戦は義宣の初陣だけではなく、巴御前の再来とも呼ばれる彼女の初陣でもあったのである。


















 義重様と義宣殿が語り合う傍で私は目を閉じたまま、此度の戦の事を考える。
 義胤殿から輝宗殿が金山から丸森の地を狙っているとの話がきた際に義重様が自ら動くと決めた時は正直な話、本当に吃驚した。
 史実だと義重様は今の段階で直接的に介入する事はしなかったから。
 だけど、戸沢家という新たな盟友との兼ね合いと伊達家の勢力拡大を厄介に思った義重様は北条家が上野国に目を向けている間隙を突いて動き始めた。
 その決断の早さにはお義祖父様や一部の人達を除く、家中の誰もが驚いたみたいで私もそれに驚いた一人だった。
 奥州への影響力を強めようとする方針は上杉家が戸沢家と盟約を結び、佐竹家もその盟約に加わる旨を返答した段階で予測は出来たのだけど……。
 伊達家と相馬家の戦を起点にしようと考えるとは思わなかった。
 普通に考えれば、蘆名盛氏殿亡き後の蘆名家を起点にするのが大方の予想だっただけに義重様の判断は本当に盲点だったと思う。
 それは伊達家を始めとした多くの諸大名もそう思っているだろうし、盟友である上杉家だって予測出来ているかは解らないくらいに。
 信じられないような義重様の動きは盛安様ですら予測出来なかったんじゃないかと思う。
 また、義宣殿が佐竹家の後継者であり、伊達家の一門衆である立場を前面に押し出す形での参陣は初陣を迎えるはずの政宗殿にとっては痛恨事にもなるかもしれない。
 本来なら初陣の時の戦いぶりで一目置かれるようになった部分も存在するし……。
 しかも、義重様が自ら采配を執るのだから史実では有利に事を運んだはずの戦も覆してしまう可能性も高い。
 何しろ、坂東太郎の異名を持つ義重様の軍事に関する実力は常識を逸脱しているほどなのだから。
 それに加えて、現状の報告では伊達家も佐竹家が介入してきている事にはまだ気付いていないみたいだし……。
 このまま、義重様が動き始めれば本当に大事へと発展する事になってしまう。
 伊達家の明暗にすら影響する可能性を理解しつつ、先の先を見据えた上で意表を突いた義重様の戦略眼には私も脱帽するしかない。
 此処まできたら私に出来る事は義重様を信じて、この戦に向き合うだけ。
 そう思った私はもう一度、深呼吸をして昂るかのような気持ちを落ち着かせる――――うん、もう大丈夫。

「甲斐の方はもう良いみたいだな。……義宣の方も覚悟は決まったようであるし、いよいよ動く時が来たようだ。もう、後には戻れぬぞ」

 私と義宣殿がもうすぐ始まる事になる伊達家との一戦に向けての心構えを新たにし終わった頃合いを見計らって義重様が声をかけてくる。
 もしかすると、内心では余り落ち着いていなかった事がバレていたのかもしれない。
 巴御前のように戦場を駆ける事は私自身も望んでいた事だし、目標としていた事だけど……。
 いざ、こうしてその時が来ると震えもあるし、怖くもある。
 それが例え無理を承知で願い、聞き届けられた事であるにも関わらずに。
 だけど、盛安様の事を思い浮かべると不思議とその恐怖感のようなものは退いていく。
 私と”同じ事情”を抱えている盛安様だって戦に臨む時に感じるはずのそれを乗り越えているのだから、私だって乗り越えなくちゃいけない。
 彼のところに征くのなら立ち止まっては居られないし、彼と同じ戦場を共に駆けるつもりなら私の方も急ぐ必要がある。
 既に史実とは大きく違う歴史を歩んではいるけれど、現状は織田家の天下でほぼ決まりつつあるし、後々を考えても先は決まっているような気もする。
 それを踏まえると生まれるのが遅かった私は出来る限り急がないと何も出来ない。
 成田甲斐として、盛安様と同じ戦場に立つ事が出来るか如何かも含めて。
 私が義宣殿と普通では在り得なかった伊達家と相馬家との戦に参陣しているのもそうした意志が後押しをしてくれたからだと思う。
 征くところまで征くためにはこのくらいはしないといけない――――。

「はい、義重様」

 だから、私は義重様に躊躇う事なく返事をする。
 後に戻れないのは佐竹家に身を置く事を決めた時から覚悟をしていたし、此処から先はもう私の知る歴史じゃない。
 征くと決めたからには立ち止まる事も許されないし、躊躇う事は自分の目指すものに迷いがあるって事にもなってしまう。
 そういった意味では義重様の言う通り、私はもう戻る事は出来ない。
 覚悟も決まり、後は進むしかない歴史の分岐点に立たされている今、この時に逃げを選ぶ選択肢なんて存在しないのだから――――。


































 From FIN



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