夜叉九郎な俺
第53話 介入せし者の影響





 ・金山の戦い





 伊達家(合計5000)
 足軽3700、騎馬1000、鉄砲300

 主な人物
 伊達輝宗、伊達政宗、伊達成実、片倉景綱、鬼庭綱元、原田宗政、佐藤為信、萱場元時、亘理元宗



 相馬家(合計1300)
 足軽950、騎馬300、鉄砲50

 主な人物
 相馬義胤、相馬盛胤、相馬隆胤、泉田胤雪、泉田胤清、水谷胤重



 佐竹家(合計7000)
 足軽4000、騎馬1000、鉄砲2000

 主な人物
 佐竹義重、佐竹義宣、佐竹義久、成田甲斐、真壁氏幹、小野崎義政





 伊達家、相馬家の因縁ともいえる金山の地での戦。
 この戦は伊達政宗、伊達成実が初陣を迎えた事で知られているが――――。
 戸沢家との繋ぎを取る事と奥州での影響力を更に強めようと判断した佐竹義重の介入により大きく様相が変わろうとしていた。
 此度の戦に介入するにあたって義重が動員した兵力は7000にも及び、率いる大将として真壁氏幹までも参陣させている。
 これは関東で鬼と恐れられる二人の猛将が共に肩を並べてきたという事だ。
 本来ならば積極的に動く必要がないはずにも関わらず、主戦力ともいうべき両名が動いてきた事は佐竹家の本気が窺える。
 並の勢力を率いる者が介入しただけに留まるのであれば何の問題もなかったのだが、相手が相手である。
 輝宗は嫡男である政宗の初陣の事もあってか、叔父である亘理元宗を始めとした手勢を含めて5000もの軍勢を動員していたのだが……。
 相馬家を大きく上回るはずのこの軍勢も水泡に帰しかねないほどだ。
 坂東太郎の異名を持つ、義重の存在は相馬家に対する伊達家の軍勢の優位を覆すに収まらず、戦況そのものすら覆してしまうと言っても良い。
 現に軍勢を二分して金山、丸森を狙う算段である輝宗の戦略は義重に全て看破されていた。
 軍勢の数を材料に相馬義胤、盛胤の親子を各個に打ち破るつもりであったのだろうが、これも義重の掌の上でしかない。
 義重はそれを逆手に取って輝宗、政宗の双方を打ち破らんと義重は軍勢を二手に分け、秘密裏に動かしたのだ。
 戦が本格化するよりも先に全てを把握し、流れを掴むための手を打ったこの采配は義重の存在に気付いていない輝宗からすれば致命的な事である。
 しかも、分けた軍勢はそれぞれが精鋭揃いでこれに勇猛で知られる相馬親子の軍勢が加わるのだ。
 数における優位を失った上に互角であったはずの軍勢の質までも凌駕されてしまっては戦にならない。
 その上で義重が総指揮を執るのだから、既に勝敗は決してしまっていると言っても良い。
 坂東太郎の参陣はそれほどにまで大きく、鬼真壁までもが加わっているとなれば最早、今現在の伊達家に真っ向から対抗出来る者は存在しない。
 今後を期待される者達もまだ年若く、武将として脂がのっている義重や氏幹が相手となれば全く歯が立たない。
 まるでこれ以上は南に進ませないと考えているかのような佐竹家の陣容には恐ろしさすら感じられる。
 相馬家の方も伊達家に対して、大きく優位に立つために形振り構わない選択肢を選んできた。
 長年の決着を付けんがために義胤もまた、乾坤一擲とも言うべき覚悟で挑んできたのだ。
 例え、此度の戦に勝利したとしても佐竹家の下に降る事になるであろう事が解っていても――――。
 譲れない相手との戦にだけは何としてでも勝利するという執念はまるで相馬家が祖であると称している平将門を思わせるほどだ。
 義胤が全てを此処で決着するつもりで居るのは間違いなく、輝宗が宿願とする旧領の奪還の意志を大きく凌駕していた。
 宿敵との戦いに備えたその構えは正にそれを証明していると言っても良い。
 これにより、輝宗が想定していたであろう政宗の華々しい初陣は在り得ない事になってしまったのである。
 相馬家と単独で戦った場合でも死闘が繰り広げられる事は明白であるし、佐竹家と戦うとなれば相応の被害と犠牲を払う事になってしまう。
 確実に成果を残せるであろうと踏んだ戦は最早、全くの別のものとなっていたとでも言うべきだろうか。
 皮肉な事に後に独眼竜と呼ばれる事になるはずであった奥州で尤も有名な人物の初めての戦はその名を上げる事には繋がらない。
 寧ろ、此度の初陣は飛翔するはずであった臥龍の大きな足かせとなる事になったのであった――――。


















「申し上げます! 原田宗政様、佐藤為信様、御討ち死に!」

 政宗と軍勢を二分し、戦に挑んだ輝宗の前には信じられない光景が広がっていた。
 備大将や伝令から次々と齎される報告は惨憺たるもので、此度の戦で伊達家に寝返った佐藤為信や家臣の原田宗政の討ち死と悪夢としか思えないような報告しか届かない。
 輝宗と対峙しているのは先代の相馬家当主である盛胤のはずだが――――。
 幾ら盛胤であっても、そう簡単に数に勝る伊達家の軍勢を容易く打ち破る事は出来ない。
 悪くても互角程度にしか持ち込まれないというのが輝宗の読みであった。
 しかし、現に直接戦を交えての結果は想定していたものとは全く異なるものであり、明らかに此方が圧されている。
 数では優位に立っているはずであるし、輝宗とて長年に渡って戦ってきた盛胤については良く理解していただけにこれは如何も可笑しいとしか言えなかった。

「敵方の旗印には相馬盛胤以外にも扇に月丸の家紋が! 佐竹家が動いてきたものと存じます!」

「な、何だと!?」

 更に報告が続けられていく中で思わぬ敵が介入している事が明らかになる。
 この想定外の事態を齎したのは扇に月丸の家紋の旗印の軍勢――――佐竹家。
 北関東から奥州の南である白河、石川方面にまで影響力を持つ彼の家が介入してくる可能性は決して零ではない。
 輝宗は佐竹家の盟友である上杉家の御舘の乱の際には裏で手を回し、更には佐竹家の宿敵である北条家と盟約を結んでいる。
 敵対する理由としては充分に考えるものであり、義重の気質からすれば何れは軍勢を差し向けてきたに違いない。
 だが、余りにも時期が悪すぎる。
 此度の戦は政宗の初陣であり、武将としての将来を示す事になる大事な戦。
 相手が相馬家となれば長年の敵対関係からして、その遣り口も把握している上に動きの予測も出来る。
 それ故に輝宗は政宗の初陣相手として相馬家を選んだのである。
 手の内を知っている相手との戦となれば、不覚を取ったとしても大敗を喫する事はないからだ。
 しかし、佐竹家が直接介入してきたとなれば、それらの前提条件は全て無くなる。
 軍神と呼ばれる上杉謙信の軍配を継承し、北条氏康、北条綱成といった関東の強豪や武田信玄とも対等に渡り合った義重の手の内は全く底が知れない。
 相馬家の増援に関しても予測の範疇とは大きく違い、何故にこうも積極的に動いてきたのかは輝宗には解らなかった。
 此処数年では上杉家との同盟関係を強化する一方で漸く和睦が成立したはずの蘆名家との関係を疎遠にしつつあったために尚更だ。
 流石に自ら盟約を破る事はしないと豪語する義重なだけに上杉家からの要請に応じる形で蘆名家の領地を切り取ろうとしている算段なのだろうが……。
 実際はそれと全く異なり、義重は矛先を相馬家を後押しする形で伊達家へと向けてきた。
 この動きに関しては意表を突いたものだと言っても過言ではないが、謙信の軍配の継承者である側面も踏まえれば可能性としては充分に考えられた。
 しかし、それだけで本腰を入れて義重が伊達家と相馬家との争いに本格的に介入する理由としてはいま一つ足りない。
 義を重んじる人物とは言えども、それだけの人物ではないからだ。

「儂の知る以上の傑物か、佐竹義重――――!」

 自らの思惑を大きく凌駕し、動いてきた義重に輝宗は戦慄を覚えざるを得ない。
 何かの裏があるのだと考えても全く想像が出来ない事なんて今までは考えられなかった。
 政宗の初陣の頃合いを狙って息子である義宣の初陣を合わせきた可能性も考えたが、それを含めても理由としてはまだ弱い。
 奥州への影響力を強めるというのも在り得る事だが、これについては予測出来ていた。
 だからこそ、輝宗には解らなかったのだ。
 義重が動いた理由の一つに戸沢家との関係がある事を。
 そして、その関係が未だに景勝を通してでしか交わしていない盟約であったからが故に――――。


















「手応えがないな。これならば、地黄八幡との戦の方が余程、戦いがいがある」

「……そう申されますな、氏幹殿。御貴殿が強すぎるだけです」

 此度の戦で佐竹家の先陣を務めるのは義重の盟友、真壁氏幹。
 鬼真壁と呼ばれる関東随一の猛将は一丈もの長さを誇る木杖を片手に次々と伊達家の軍勢を葬っていく。
 その数は既に数え切れるものでなく、相馬方より寝返った佐藤為信を一合と打ち合う事もなく討ち取ってしまった。
 圧倒的なまでの武勇を誇る氏幹の戦いぶりに二手に分けた軍勢の片方を任せられている義久も苦笑せざるを得ない。
 義久は此処までくると秘密裏に相馬家と連携して伊達家に当たるのは不可能だと判断し、扇に月丸の旗印を掲げて佐竹家の存在をはっきりと示したのである。

「義久殿とて伊達の軍勢に対して的確な采配、流石に大将を任せられただけの事はある。……正直、俺には細かい采配などは執れぬからな」

 自らの戦いぶりと戦況を判断して佐竹家が介入している事を明らかにした義久の判断に感心する氏幹。
 陣頭に立つ事で先手を打って戦の流れを掴み、引き寄せる事を得意とする氏幹は現場の閃きで戦を動かす武将であり、全体を見通しながら采配を振るう人物ではない。
 流石に陣頭で自ら戦いつつ軍勢の総指揮を執る義重の離れ業には敵わないが、義久の堅実とも言える冷静な采配は見事だと思う。

「いえ、相手が輝宗様だから先に動けているだけです。盛氏様との戦ではこうはいきませんでした」

 褒める氏幹に対して、やんわりとそれを否定する義久。
 今でこそ落ち着いた指揮を執る事が出来るが、蘆名盛氏や田村隆顕との時は義重と義久も共に若過ぎたために翻弄されっぱなしであった。
 南奥州でも屈指の大勢力を持ち、天文の大乱の頃からの長い経験に裏付けられた盛氏の戦術は若き日の義久では対応出来ない。
 何しろ、盛氏は彼の上杉謙信ですら手を焼いていた上、武田信玄からも一目置かれるほどであり、傑物と呼べる人物の一人であるとまで評価されていたのだ。
 そのような相手と若い頃から戦うというのはある意味では無謀といっても良い。
 唯でさえ、北条氏康を相手にして苦戦を強いられていたのだから。
 若き日より、義重の急激な勢力拡大と共に各地を転戦した義久ではあるが――――。
 盛氏のような南奥州屈指の人物を相手にして戦ってきた経験が輝宗と戦う上で大きく活かされている、と義久は采配を振るいながらそのように思う。
 決して楽な相手とは言えないが、あの頃に比べれば打ち破るのは難しくはない。
 輝宗は盛氏ほど戦上手ではないからだ。

「それに此度の戦は相馬家に助勢するだけのものとは違います。何しろ、義宣様と甲斐殿の初陣ですからね。私も恥ずかしい姿は見せられませんよ」

「ははっ! 違いない。甲斐殿は早速、大将首を取っているからな」

 義久の言葉に氏幹は豪快に笑う。
 確かに相馬家の増援についても重要な事ではあるが、此度の戦は義宣と甲斐姫の初陣である。
 義重と共に戦場を駆け巡った氏幹やその采配を間近で見てきた義久からすれば、その後継者達の前で無様な戦をする事は出来ない。
 しかも、甲斐姫は初陣にして早くも原田宗政を遠矢で討ち取ったのである。
 これには流石の氏幹も負けるわけにはいかないと奮戦し、愛用の得物である木杖で佐藤為信の頭蓋を叩き割った。
 立て続けに大将を失った伊達家の軍勢は混乱し、たちまち戦意を失ってしまう。
 特に佐藤為信が討ち取られた時は正に一瞬の出来事だっただけに尚更だ。
 大将が僅か一合と打ち合えずにに一撃のもとに頭蓋を叩き割られて、倒れる姿は備大将や足軽達からすれば次の我が身を想像させるには充分だった。
 鬼真壁と呼ばれる氏幹の圧倒的な武勇を前に四散していくのも無理はない。
 氏幹に戦いを挑めば死、あるのみだからだ。
 佐竹家の介入による影響は予想以上に早くも現れたともいえる。
 それに甲斐姫の戦いぶりも年齢の幼さと女性という性別を全く感じさせない。
 戦が始まったばかりの段階では氏幹と義久の後に続いて様子を見ていたが、いざ本格化してくると弓で次々と敵勢を射止め始めた。
 的確に足軽達を射抜き、騎馬をも射抜くその姿は佐竹家中で巴御前の再来と謳われるに相応しいものだ。
 流れるような挙動で弓を構え、騎射を行う甲斐姫――――。
 初陣にも関わらず、その堂々とした戦いぶりはやはり自分から戦に出る事を決断したが故のものか。
 兎に角、早いとしかいえなかった甲斐姫の初陣は恐るべき戦果を出しつつ進んでいたのだ――――。


































 From FIN



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