夜叉九郎な俺
第50話 戦いの結末





「逃げたか、愛季!」

 騎馬鉄砲隊を率いての突撃で愛季の率いる軍勢を蹴散らした俺だったが――――。
 肝心の愛季にまでは届かなかった。
 出来れば、この段階でしとめたかったのだが、恐らくは此方が未知の戦術を用いた段階で不利だと悟って退いたのだろう。
 冷静な判断力を持つ愛季らしい行動だ。

「……泉玄蕃、彼が居なかったら結果は違っていたかもしれないな」

 それだけに泉玄蕃と戦う事になった事が痛恨であるとも言えた。
 直接戦った時間こそ四半刻にも満たないはずだが、僅かにでも歩みが止まった事には変わりはない。
 主君の身の危険を察して、躊躇う事なく俺に挑んできた忠誠心には感嘆すら覚えるほどだ。
 愛季が奇策であった騎馬鉄砲隊による突撃を躱したのは一重に玄蕃の身を呈した行動によるものなのは間違いない。
 この戦の決め手として準備していた戦術が凌がれたのは悔しい反面、彼の人物のような武士と戦えた事は嬉しく思う。
 紛れもなく、見上げた忠義心の持ち主だ。
 ああいった人物が従っている事を踏まえると、愛季の人物がどれほどのものであるかを垣間見たような気がする。

「盛安殿!」

 俺が退く事に成功した愛季の軍勢を遠目に見据えていると少し離れた場所で戦っていたはずの満安が八升栗毛と共に駆けてきた。
 満安は俺が愛季の軍勢と戦っている間、嘉成重盛の相手を任せていたはずだ。
 南部家との戦で名を馳せ、北の鬼と名高い九戸政実と渡り合った安東家随一の猛将にして、名将を相手に俺の下に来る余裕があるとは思えない。
 もしかすると、満安が戦っていた方でも大きな動きがあったのだろうか。

「満安か、如何した?」

「……嘉成重盛殿の軍勢が突如として退却した」

 満安から齎されたのは愛季に引き続き、重盛も撤退したという報告。
 愛季の見事なまでの退き具合を見ると不思議とは言いにくいが、突如退いたという動きには何か裏があるようにも思える。
 重盛という人物は決して無策で動くような人物ではないからだ。

「愛季の動きに合わせたのかもしれないな。一度、軍勢を立て直すのならば退くのは悪手じゃない」

「ふむ……」

 それ故に愛季の撤退に合わせて軍を退いた可能性は高い。
 前もって今のような戦況になる事を考慮するのは愛季ほどの人物ならばそう難しい事ではないし、重盛もそれを見極められるだけの判断力は持っている。
 満安もそれを理解しているからこそ、俺に判断を求めに来たのだろう。
 此処で後を追えば、伏兵がある可能性だって考えられるのだ。
 こうして、満安が俺に意見を求めに来た事は彼が唯、武勇に長けている人物ではないという事が窺える。

「ならば、これ以上は追わぬ方が良いと見るのか?」

「いや……少しは後を追うべきだろう。策があるか如何かは動かなくては読めない」

「解った。盛安殿に従おう」

 満安の意見に此処はもう少しだけ後を追うべきだろうと判断する俺。
 相手に策があるか如何かの確証は持てないが、かといって動かなければ何もせずに逃げられてしまう。
 一応、愛季に策を立案させる余裕が無いようにと戦を急いだが、果たして俺の読み通りなのかも問題となるだけに此処は難しいところだ。
 しかし、待つだけでは態勢を立て直されてしまうのは間違いない。
 動くべきか動かないべきかで考えれば、一気に押し込んだ状況に持って行っただけに待つ事はその流れを止めてしまう。
 俺が後を追うべきと判断したのはそういった事情もある。
 何れにせよ、此処で動かなければこの唐松野の戦いには決着を付けられないのだ。
 それに切り札とも言うべき、騎馬鉄砲隊を運用した今、俺の方にも後があるとは言い切れなかった。
 故に俺は退いた愛季の軍勢の後を追う事を決断するのであった。


















 満安と合流し、愛季の軍勢を追う。
 幸いにして俺と満安の軍勢は騎馬隊が比較的多く、被害もそれほど多くはない。
 特に騎馬鉄砲隊は先程の突撃を成功させて確かな戦果を見せただけあり、士気は非常に高い。
 追撃戦に移行するという命令にも反対する者は誰一人として居なかった。
 これは俺を信じてくれているかの事なのか、それとも更なる大功を立てたいという功名心が齎すものか。
 躊躇う事なく、共をする事を表明してくれた者達を率いて俺は満安と共に追撃を開始した。
 だが、暫く追って行くうちに不自然な事に気付く。
 そう――――何時の間にか周囲が静かになっていたのだ。
 全く音がしないという訳ではないが……。
 俺達以外にも戦っている者が居る事を踏まえると余りにも静か過ぎる。
 目立った銃声や弓矢の飛び交う音も聞こえない。
 如いていうならば、遠くに馬と人間の足音が聞こえるくらいだろうか。
 少なくとも、軍勢が動いている可能性は高い。

「妙だな……不自然過ぎる」

 俺と一緒に馬を走らせている満安も同じ事を感じたらしく不自然だ、とぽつりと呟く。
 常に自ら最前線で戦い、戦に関しては俺以上の場数を踏んでいる満安にとっても後を追っても静かなのは不自然に感じるらしい。
 本来ならば、もっと張り詰めた空気を感じるものであるはずだが、如何にもそれを感じない。
 上手く表現出来ないが……戦場特有の殺気がないといったところだろうか。

「満安も俺と同じ意見か。見事な退き際は流石だとは思うが……些か愛季にしては無用心過ぎる」

 俺もこの気配には愛季らしさがない事を感じる。
 少なくとも、騎射突撃を除く全ての戦術を読み切っていた愛季が万が一の事態を考えていなかったとは考えにくい。
 俺か満安のどちらかが一気に押し切って深入りする可能性は高いだけに伏兵の一つや二つは置くものだと思うのだが……。
 行く先々で見かける光景は大量の屍のみ。
 その数は余りにも夥しく、何者かが戦ったのは間違いない。  他の場所で戦っていた者達の戦況の詳細までは把握し切れていない現状では何とも言えなかった。

「もしかして、俺達の知らないところで何かがあったのかもしれないな」

 そのため、愛季が退く事以外に手を打っていなかった事は俺や満安ですら察する事の出来なかった何かがこの屍の山以外にも起きた可能性を浮かび上がらせる。
 この戦に率いてきた軍勢の数といい、奇襲だけでは簡単に押し切れないだけの備えといい、用意としては周到なものであり、隙も余り多くはなかった。
 特に対南部家の主力であった重盛を参陣させている事が非常に大きな意味があり、戸沢家が強敵である事を明確に認識していた。
 しかも、鉄砲の数も多数揃えていたのだから尚更だ。
 愛季自身は俺の事を九戸政実に匹敵する難敵であると見ていたのかもしれない。
 だからこそ、何も備えが成されていない現状は不自然にしか感じないのである。

「そうだな……盛安殿の言う通りだろう。その証拠に昌長殿の率いる手勢が見える」

「む、確かに。昌長が密かに動いていたのか」

 御互いに不自然であると思いながら、知らないところで何かがあったのだと言う意見に辿りついたところで満安が前方に昌長の鉄砲隊の姿を発見する。
 後ろから近付く此方の軍勢に背を向けている事からすると昌長も愛季の軍勢を追っているのだろうが……。
 今までの進路から推察すると愛季の軍勢はほぼ、確実に何処かで昌長と交戦する。
 例え、多少の距離が離れていたとしてもだ。
 狙撃を主な戦術とし、百発百中とも言われる腕前を持つ雑賀衆の鉄砲隊を率いる昌長ならば火縄銃やミュケレット式の適正距離から外れていようとも物ともしない。
 愛季の姿を認めた段階で戦を挑んだのだろう。
 そして、昌長と愛季が戦った際に何かがあった――――と考えるしかない。
 でなければ今までの進路上で見かけた大量の屍と全くと言っても良いほど、此処まで備えのない状況が説明出来ないからだ。
 そう確信を持った俺は満安と共に昌長の軍勢と合流するため馬を走らせるのだった。


















「昌長!」

「昌長殿!」

 馬を走らせる事、暫し後。
 俺と満安は姿が見えたところで昌長の名を呼ぶ。

「……盛安殿に満安殿か」

 俺達の姿を認めた昌長は特に驚いた様子もなく応じる。
 此処で合流する事になったのは昌長にとっては予想の範疇だったらしい。

「両名が此方に来たという事は先程、俺が交戦したのは総大将の軍勢で間違いなかったと言う事か」

「やはり、愛季の軍勢と戦ったのか!?」

「……ああ、逃げられてしまったが」

「そうか……」

 愛季の軍勢が退く進路上で昌長の軍勢と遭遇した事からして、彼が交戦した事は予測していたが……。
 此処まで考えていた通りだと逆に驚いてしまう。
 まぁ、逃げられてしまったという点に関しては騎馬隊を率いていない昌長の軍勢であれば無理もない事なのだが。

「だが、総大将の狙撃は成功し、その率いていた軍勢の大半は討ち果たした。もう、彼方に再起出来るだけの軍勢は残っていないだろう」

「なっ……!?」

 だが、逃げられたと言いながらも昌長は驚くべき結果を口にする。  総大将である愛季の狙撃に成功し、率いていた軍勢の大半は討ち果たしたとの事。
 此処までの道中で見かけた夥しいまでの屍は全て昌長が討った者だとするとこの返答はあながち間違いではない。
 昌長ほどの人物ならば、決して非現実的なものではないからだ。

「しかし、総大将を討ち取るには至らなかった。……申し訳ない」

「いや……充分だ。昌長の御陰で愛季が負傷し、撤退したとなればこの戦は此方の勝利で終わる。後は今後の事を相談するだけだ」

 愛季を討ち果たせなかった事を謝罪する昌長だが、あのまま退かれては完全に仕切り直しとなっていただけに結果としては有り難い。
 騎馬鉄砲隊を以ってしても愛季には届かなかったのだから。
 それ故に負傷という形であるとはいえども、愛季の本隊を退かせる事に成功したのは大きい。
 決め手をかいたままでの戦となれば軍勢の数に劣っている此方が不利になるのも明確であり、あのまま正攻法で戦っていたら如何なっていたかは解らなかったからだ。
 それを撤退中の愛季の軍勢が相手であったとはいえ、単独で覆した昌長の奮戦ぶりには驚愕すら覚えてしまう。
 事実上の決着はつけたのは昌長一人であると言っても過言ではないからだ。
 流石、畿内で織田信長を相手に大軍を尽く退けてきた小雲雀の名は伊達ではないといったところか。
 それに周囲からも戦の音が聞こえない事からしても、愛季が退いた事で他の武将達の軍勢も引き上げたのだろう。
 また、愛季の気質を考えれば、不利を悟った段階で各軍勢に退く旨の命を下していた可能性も高い。
 一度、仕切り直してしまえば戦力に余力がある安東家の方が有利であるからだ。
 つくづく、昌長の用兵に助けられた事を実感出来る。
 本来ならば重朝と共に五十目秀兼と戦うか利信と共に南部政直と戦う役目で終わっていたのだから。
 立ち塞がったはずの相手を強行突破し、愛季を射程に捉える所にまで軍勢を進めた判断は戦の勝敗そのものにすら関わっている。
 雑賀衆の強さを見せ付けただけではなく、的場昌長という人物の恐ろしさをも見せ付けた唐松野の戦い。
 この戦いは戸沢家の力が安東家を凌ぐ事になる事を証明するものであったが――――これはそれだけの意味では収まらない。

「皆の者、勝ち鬨を上げよ! 」

 戸沢家が出羽北部の覇権を担った事の証明でもあった。
 史実とは大きく違う形での勝利と結末になってしまったが……俺は此処に戦の終わりを宣言する。
 愛季が退き、他の諸将も退いたとなればこの戦は此方の勝利としても問題はない。
 それに呆気無い終わりであったとはいえど、この戦いは戸沢家の明暗を決める戦いでもあったのだ。
 堂々と戦の終結と勝利を宣言しても罰は当たらないだろう。
 何れにせよ、戸沢盛安は間違いなく、出羽北部の覇者たる安東愛季に勝利したのだから――――。





・唐松野の戦い結果





 戸沢家(残り兵力 合計2390)
 ・ 戸沢盛安(足軽280、騎馬420、鉄砲100)800
 ・ 矢島満安(足軽105、騎馬65、鉄砲40) 210
 ・ 的場昌長(足軽50、鉄砲150)      200
 ・ 鈴木重朝(足軽90、騎馬60、鉄砲250) 400
 ・ 戸沢政房(足軽105、騎馬30、鉄砲25) 160
 ・ 前田利信(足軽105、騎馬30、鉄砲15) 150
 ・ 大宝寺義興(足軽355、騎馬115)    470



 安東家(残り兵力 合計1440)
 ・ 南部政直(足軽300、騎馬80、鉄砲30) 410
 ・ 安東種季(足軽260、騎馬80、 鉄砲85) 425
 ・ 嘉成重盛(足軽140、騎馬105、鉄砲30) 275
 ・ 五十目秀兼(足軽100、騎馬30、鉄砲10)140
 ・ 三浦盛永(足軽115、騎馬75)     190



 損害
 ・戸沢家 610
 ・安東家 2560(大将の撤退によって、退いた数も含む)



 負傷 安東愛季、泉玄蕃



 討死 なし


































 From FIN



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