夜叉九郎な俺
第49話 的場昌長
・唐松野の戦い
←B
CF↑ B↑
E A GC
↑
@D DF
A
戸沢家(合計2390)
@ 戸沢盛安(足軽280、騎馬420、鉄砲100)800
A 矢島満安(足軽105、騎馬65、鉄砲40) 210
B 的場昌長(足軽50、鉄砲150) 200
C 鈴木重朝(足軽90、騎馬60、鉄砲250) 400
D 戸沢政房(足軽105、騎馬30、鉄砲25) 160
E 前田利信(足軽105、騎馬30、鉄砲15) 150
F 大宝寺義興(足軽355、騎馬115) 470
安東家(合計2260)
A 安東愛季(足軽600、騎馬120、鉄砲100)820
B 南部政直(足軽300、騎馬80、鉄砲30) 410
C 安東種季(足軽260、騎馬80、 鉄砲85) 425
D 嘉成重盛(足軽140、騎馬105、鉄砲30) 275
F 五十目秀兼(足軽100、騎馬30、鉄砲10)140
G 三浦盛永(足軽115、騎馬75) 190
「些か遠いが……この距離ならば外さん」
総大将である安東愛季の旗印を視界に入れたところで、昌長は躊躇う事なく狙いを定める。
だが、火縄銃の適正距離と言われている200メートルよりも遥かに遠い500メートル近い距離であり威力も大きく落ちてしまうため、流石に討ち取る事は不可能だ。
しかも、昌長の率いる軍勢には騎馬隊が居らず、背後から追いすがる盛安の騎馬鉄砲隊による突撃から逃げている愛季には如何あっても追いつく事は出来ない。
軍勢の足で大きく劣る以上、如何あっても逃げられてしまうだろう。
とは言っても、立ち塞がってきた軍勢を蹴散らして総大将の率いる軍勢を視界の中に収めたのだから、追いつけないと言う理由で手を拱くだけでは小雲雀の名がすたる。
追いつけないのであれば、追いつけないなりの手段を取れば良いだけだ――――。
それ故に昌長は一度きりの機会とも言えるこの時を逃さずに狙撃する事を決断した。
「そこか――――!」
旗印が見えた後、愛季と思われる武将の姿を認め、昌長は引き鉄を引く。
馬上で尚且つ、走り抜けようとしている愛季に対して徒歩であり、その歩行速度は騎馬に大きく劣る昌長率いる雑賀衆の軍勢。
勿論、足を止めていない騎馬を相手に狙い撃つのは至難の技だ。
何しろ、相手は馬上で揺れている上に絶えず、動き続けているのだから。
しかし、昌長は狙いを付けた瞬間には引き鉄を引いていた。
当たるか、当たらないかは愛季の姿を捉えた段階で既に見えている。
それには何の疑いもない。
盟友、鈴木重兼と鈴木重秀と共に渡り歩いた戦場ではもっと難しい体勢での狙撃を求められた事からすると遠くの距離の相手を撃ち抜くだけというのは容易だ。
誰にも悟られず、敵陣の深くに潜り込み、大将を狙撃する――――。
これが小雲雀の異名を持つ、的場昌長の戦い方だ。
狙撃向けに独自に改造を施された愛用の火縄銃の発砲する音が聞こえたと共に遠く離れている馬上の騎馬武者がぐらっと体制を崩す。
そして――――意識を飛ばしたのか落馬し、身体を強かに打ち付けつつ倒れた姿が昌長の眼に映った。
「……的中」
まるで吸い込まれるかのように寸分違う事なく愛季を射ち抜いた様子を見て、昌長はぼそりと呟く。
流石に討ち取る事は出来なかったが、一度きりの機会で総大将が指揮を執れない状況に導けたとなれば上出来だろう。
一先ず、役目は果たしたと判断した昌長は此方に気付き、主君を逃がすための安全を確保せんと向かってくる愛季の軍勢を迎え撃つべく、鉄砲隊に指示を出す。
狙撃が成功し、存在がばれたとなれば、いよいよ全てが掌の上である。
向かってくる敵勢を迎撃すべく、昌長が準備の指示を出した物は盛安との出会いによって購入するに至ったミュケレット式の銃。
火縄銃に比べて狙いを付けにくいという理由から広まる事はなかった銃だが……百発百中とも言うべき驚異的な腕前を持つ雑賀衆の軍勢ならば存分に使いこなす事が出来る。
特に狙撃を主な戦術として用いる昌長とその手勢ならば尚更だ。
扱いが難しいとされる銃であっても運用する事には何の問題もない。
昌長は此処で愛季の軍勢を壊滅させるべく、射撃の陣形を整えるのであった。
騎馬隊と鉄砲隊を同時に運用するという奇策とも言うべき盛安の戦術を前に仕切り直すために退いていた矢先――――。
予想だにしていなかった頃合いで馬を走らせる愛季に一発の銃弾が命中する。
幸いにして、甲冑を貫く事はなかったが、不意を突かれた状態での強い衝撃は想像以上のものがあったらしい。
「ぐっ……」
短く呻き声を上げた愛季はそれを最後の言葉に意識を失い、落馬する。
馬上で体勢を崩したためか、身体を強かに打ち付けながら倒れる姿は悪夢そのものだ。
「と、殿――――!」
不意に遠方からの射撃を身に受けた愛季に付き従っていた備大将が思わず、周囲にはばからずに声を上げてしまったほどに。
総大将が撃たれる事は軍勢の全体に動揺を招くだけにこの反応は良いものではない。
後から続いて退いていた足軽や騎馬隊の者達も主君が撃たれた事に動揺し、足を止める。
「急ぎ、殿の御身の無事を確保せねば!」
だが、愛季が意識を失って倒れただけである事を認めると備大将は危険は承知で愛季を再度、馬に乗せて馬術に自信がある者に預ける。
後ろから盛安の軍勢が迫り、離れた所には愛季を撃ったであろう軍勢が居る可能性がある今は急がなくてはならない。
此処は例え、独断になってしまってでも主君の身の安全を優先させる必要があるだろう。
愛季を預かった者が戦場を離れていく事を確認し、狙撃してきた敵勢の姿を探す。
火縄銃の有効射程を考えれば、既に近くにまで迫っているはずだ。
そうでなくては愛季を的確に撃つ真似なんて到底、不可能である。
しかし、敵と思われる軍勢は火縄銃の射程距離よりも遥か遠くに存在していた。
敵将が何者かまでは解らないが、旗印を頼りに愛季の姿を見付け、射抜いた事からすれば勇名高き雑賀衆の者だろう。
見たところ騎馬隊は率いていないため、これ以上は追撃してこないだろうが……。
「殿の仇を討つ……!」
主君を撃った報いは受けさせねばならない。
鉄砲を多く抱えているようだが、数は200程度の軍勢だ。
愛季を守るために数を分けたとしても3倍以上の兵力で挑めば雑賀衆の大将を討ち取れるかもしれない。
それに火縄銃はそれほど速く連射出来るものではなく、畿内で三段撃ちなるものがあるとも聞くがそれにも限界がある。
此方も弓、鉄砲といった物で応戦しつつ突入すれば勝ち目があるはずだ。
そのように判断し、徐々に接近していく。
だが、雑賀衆を率いる昌長はそれを待っていたと言わんばかりに鉄砲隊を前面に並べる。
安東家の正面から見える鉄砲の数は約70前後。
しかし、前列後列と分けているため、実際の総数は150前後といったところか。
その数では600もの軍勢を一気に壊滅させるような真似は出来ない。
例え、三段撃ちでも僅かな射撃の合間が生じるし、此方も成す術がないわけではない。
有名な長篠の戦いと同じような結果にはならないだろう。
だが、その考えは見事なまでに崩される事になる――――。
「来たか……。大将首が取れない以上、残る軍勢は此処で全て討ち取らせて貰う」
予測通りに向かってきた軍勢を迎撃するため、昌長は雑賀衆特有の撃ち方である組撃ちを選ばず、敢えて三段撃ちに近い形での陣形で待ち構える。
これは新たに購入したミュケレット式の銃が火縄銃よりも速射に向いていたからである。
火打ちからくりと呼ばれる構造であるミュケレット式は命中精度と暴発する確率にやや、難があるのだが昌長は撃鉄の根元に鉤を付ける事でその問題を解決していた。
それに命中精度の問題に関しては狙撃を得意とする昌長の手勢からすれば、反動による振れの大きさ分の計算は容易である。
故にミュケレット式の持つ欠点は全く問題にすらならない。
「連続での射撃に加えて早合でいく。雑賀衆の力、存分に見せ付けるぞ――――!」
更に昌長は陣形を分けた連続撃ちに早合までも合わせるという。
早合は火縄銃のような前装式の銃の弾の装填を簡便にするために考案された弾薬包。
木、竹、革といった物または紙を漆で固めた上で筒状に成形した物に弾と火薬を入れた物が早合と呼ばれている。
これを使用すれば通常は40秒近くの間が必要とされた弾の再装填が20秒もあれば充分に完了するまでに速くなる。
また、昌長はこの早合を陣形を以って撃ち方を順次入れ替える事で更に短い間隔での射撃を可能とさせた。
如何に安東家が畿内での戦を知っていたとしても、独自の運用方法までは知らない。
昌長はその隙を突いたのである。
「撃て――――!」
安東家の軍勢との距離が僅かに縮まった頃合いを見計らって、射撃の号令が発せられる。
一糸乱れぬ動作で撃ち方を開始する昌長の率いる鉄砲隊。
ミュケレット式の銃の撃鉄が振り下ろされるのを合図に前列に並んだ70もの鉄砲が轟音と共にその火を吹く。
昌長自身には及ばないが、雑賀衆の者達は誰もが鉄砲の扱いに長ける射撃の名手。
僅かに狙いを外す者も居たが、大半は的確に安東家の兵達を撃ち抜いていく。
「撃ち方、交代」
命中を確認するより先に昌長は後列の鉄砲隊に交代の指示を出す。
すると、空かさず前列の鉄砲隊が下がり、早合を用いて次弾の装填を開始する。
対織田家との激戦を戦い抜いてきた昌長の軍勢は鉄砲を運用する上で次に何をすれば良いのかを全て理解しているのだ。
「撃て――――!」
大将である昌長も早合で必要とされる時間を計算しつつ、次の射撃の号令を発する。
その時間の感覚は三段撃ちよりも遥かに速く、短い。
純粋に撃ち手に技量が求められると言っても良い感覚の短さだ。
しかし、雑賀衆の撃ち手達からすればこれは至って常識の範疇でしかない。
常に怒涛の勢いで攻め立ててくる大軍と渡り合ってきた身としては次々と交代して射撃するような芸当は十八番なのだ。
たかが、3倍以上の数の敵が相手であろうが、問題はない。
それにこういった芸当を一糸乱れる事なく実行するには撃ち手の技量も宛ら、指揮を執る人物にも絶対の信頼が要求される。
昌長の率いる軍勢は数こそ少ないが、その全てを満たしており、全員が長篠の戦いで知られた織田家の鉄砲隊の技量を優に超えている。
精鋭で固められた鉄砲隊は畿内でも並ぶものはなく、同等の練度を誇る鉄砲隊が存在するとしたら重秀率いる鉄砲隊くらいだろうか。
同じ戦場で織田家の軍勢と戦い、明智光秀、丹羽長秀、細川藤孝、堀秀政といった名立たる名将達を打ち破ってきた昌長の鉄砲隊。
雑賀衆の上席ではないという昌長の立場と少数を率いての戦いで武名を轟かせたが故に総指揮を執って織田家と戦った重秀よりもその名を知られていないだけに過ぎない。
だが、知られていないが故に此度の戦いでも重朝に比べてそれほど警戒されず、これだけの好位置での接近に成功した。
後は『小雲雀』の名を恐ろしさをとくと見せつけるだけだ。
「此処からは繰り出しで一気に決着を付ける」
昌長は
鉄砲隊に射撃の号令を発しながら、続けて”繰り出し”を行う旨を伝える。
繰り出しは三段撃ちのような銃列を組んで射撃を行う術を更に発展させたもので、銃列を交代させる際に前進するという戦術。
この戦術もまた、高い練度を誇る軍勢でしか出来ない運用方法と言われている。
しかし、奥州では繰り出しはまだ広まっておらず、存在も知られていない。
ましてや、信長でさえこの戦術を用いるには至らなかった。
長年に渡って鉄砲を使い、研鑽を積んできた雑賀衆だからこそ用いる事が可能な戦術なのだ。
「銃列、構え。撃て――――!」
先程、南部政直を蹴散らした驚異とも言うべき運用方法を見せた鉄砲隊が再び前進を開始する。
ゆっくりと前に進みながら射撃を行い、銃列が交代する度にミュケレット式の銃が火を吹く。
これに早合を用いつつ、次の射撃の準備を行うのだからその練度と強さは信じられないものがあるだろう。
それを証明するかのように愛季を退かせた後に残って、昌長と戦っている軍勢はみるみるうちにその数を減らしていく。
絶え間なく行われる正確な狙いの射撃を前に安東家の軍勢は進む事も退く事も体勢を立て直す事も出来ない。
いや、寧ろ――――昌長がそのような隙を見せないと言った方が正しいだろうか。
”此処で全て討ち取る”と宣言した通り、ゆっくりとした足取りで前進する昌長の軍勢の前には断末魔が巻き起こりながら次々と屍が出来上がっていく。
その見るも無残な光景は果たして、悪夢と言うべきであろうか。
それとも、的場昌長という鈴木重秀に並ぶ鉄砲使いの恐ろしさを存分に見せつけたと言うべきであろうか。
何れにせよ、此度の唐松野の戦いの結末は間近にまで迫っていた――――。
From FIN
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