夜叉九郎な俺
第42話 蝦夷からの使者





 ――――1580年12月中旬





 津軽為信、上杉景勝、佐竹義重、九戸政実を始めとした、盛安の次なる動向を読み取った人物達が動き始めたその頃――――。
 盛安の下に一人の若い人物が訪れていた。
 年の頃は盛安よりも3つほど歳上で家臣の鮭延秀綱と同年代といったところか。
 使者として戸沢家を訪れたのは間違いないが、10代後半といった年齢で任されたという事は相応の立場の人間かあるいは優れた才覚を持つ人物か。
 その人物は蝦夷の蠣崎慶広の家臣であると言い、主君からは戸沢家へ書状を渡すようにとの命を承って訪れたとの事。
 恐らくは安東家とは独自に戸沢家との接触を図るために遣わしてきたのだろうが、盛安にとっては慶広が先に動いてきた事は驚きだった。
 何しろ、今の蠣崎家は安東家に従属しており、慶広も当主になっていないからだ。
 それにも関わらず、戸沢家に使者を送ってきた事からすると、随分と思い切った事をしたものである。
 戸沢家が蠣崎家の主家にあたる安東家と敵対関係にある事も踏まえれば、門前払いの可能性だって決して零ではなかったからだ。
 盛安としては蠣崎家とは出来る限り、事を構えるつもりはなかったが……それでも、博打とも取れる選択肢を選んできた慶広の手腕も侮れないものがあると言えよう。
 慶広の命により、奥州とは別天地であると言っても良い、蝦夷の国より訪れた若き使者の名は近藤義武
 義武は大坂の陣の際に自らの乗馬の腹を斬り、その血を飲んで喉の渇きを潤したという豪気な気質の人物として知られている。
 知名度こそ低いが、史実においては蠣崎家でも有数の人物として知られており、蝦夷に配流となった公卿、花山院忠長の饗応役や帰洛の供奉も務めた人物でもある。
 また、慶広の後継者である松前忠広の守役を務めたりと蠣崎家中でも重きを成す存在でもあった。
 史実ではこのような経緯を持つ義武が此度の使者を任せられているのも慶広が彼の人物の持つ器量と後の将来性に気付いているからだろう。
 それを踏まえればこうして、義武が盛安の下を訪れたのも当然の事かもしれない。
 実際に盛安を始めとし、今の奥州でも次代となる人物が表舞台に立ち始めていたからだ。
 慶広が自らの腹心に成り得る者して、義武を差し向けてきたのはそういった時代の流れを示唆しているものだったとも言えるだろう。

















「ふむ……慶広殿は俺と誼を通じたいと言うのか」

「はい」

 慶広からの書状を受け取った俺はその内容を確認し、義武に尋ねる。
 書かれていた内容は戸沢家との盟約を望むものではなく、あくまで戸沢盛安個人との交流を求めたもの。
 非常に珍しい形の内容の話である。
 本来ならば、大名家同士のやり取りとなれば正式な外交としての書状が普通なのだ。
 そういった意味では些か、腑に落ちない要件ではあるのだが……現状の慶広の立場上ではこれが限界ある事を考えればそうでもない。
 彼の人物はまだ、蠣崎家の家督を継承しておらず、今の当主は季広であるからだ。
 如何に蠣崎家の跡取りであるとはいえ、慶広の立場では公に他の大名とやり取りする事は容易ではないはずである。
 それにも関わらず、俺との接点を持とうと動いてきたのは今後の戸沢家の動きを読み取っての事なのだろうか。
 または慶広が当主になった後の蠣崎家は親戸沢を表明するつもりでいるのだろうか。
 何れにせよ、慶広が動いてきた事は戸沢家としても俺個人としても重要な事には変わりがない。

「俺としては慶広殿のような優れた為政者が相手とならば、充分に検討する余地があるが……季広殿は承知しているのか?」

 それ故に義武からは現当主である季広が如何いった存念なのかは尋ねておかなくてはならない。
 幾ら慶広が俺との誼を求めているとはいっても、現当主である季広の差金でしかない可能性は否定出来ないからだ。

「大殿は此度の件については関与しておりません。我が殿が独自に行っている事でございます。本来ならば殿は自ら出向きたいところであると申しておりましたし」

「……そうか」

 俺が感じた懸念に対して義武は随分とあっさり、それを否定する。
 義武の口から出たのは意外にも季広が此度の件に関与しておらず、慶広が独自に行なっているという事。
 寧ろ、逆に慶広は自ら出向くつもりであったと言う。
 信じられないような話ではあるが、実際に慶広は自らの判断で奥州の地に足を踏み入れている事も多いため、この話は決して嘘とは言い切れない。
 また、史実における慶広は独自に中央へと使者を送ったりもしており、蝦夷という隔離されたような国に在りながらも非常に活動的だ。
 俺に対して使者を送ってきたのも、そういった慶広の多岐に渡る外交戦略の一端だと考えれば、何ら可笑しいところはない。  もし、俺が慶広と同じ状況にあるのならば、似たような事をしたであろうから。
 それに使者として俺の下に訪れた近藤義武――――彼も只者ではない。
 慶広の動向を探ろうとしている俺に対し、隠し事は全くないといった様子で一度も視線を逸らさずに対話している。
 一歩も退かないその態度と後ろめたい事は何もないと断言するかのような堂々とした態度に俺は好感を覚えたほどだ。
 こういった人物は大抵の場合において信頼出来る事もあり、内心で思わず軽く笑みを浮かべてしまう。
 しかし、現状の戦略を踏まえると、慶広からの申し出を受けるかについては逡巡せざるを得ない。
 年明けには蠣崎家が従属している相手である安東家に攻め入る算段でいるからだ。
 此処で慶広と誼を通じてしまえば、長年の宿敵である安東家と戦う際の蠣崎家への影響が読めなくなってしまう。
 しかも、慶広が良くても季広が否だと言っているのだとすれば尚更である。
 当代の蠣崎家当主である季広と矛を交える事になれば、俺に誼を通じようとした次代の慶広の立場を保証出来ない。
 季広の動き次第では蠣崎家を生かす事も難しくなるし、下手をすれば慶広が腹を切る羽目になる可能性だって考えられる。
 慶広としては恐らく、季広と袂を分かつ事も辞さない覚悟なのだろうが、慶広の人物がどれほどのものであるかが解らない現状では答え辛い。
 俺の当初の戦略では蠣崎家との接点を持つのはもう暫く先のつもりであったからだ。
 正直、慶広という人物を見極められない現状からすれば、安東家のみを打倒し、蠣崎家とはその後にやり取りを行いたいのだが――――。

「殿、津軽為信様が沼田祐光殿を伴って御目通りを願っておりますが……如何されますか?」

 そんな俺の内心を読み取ったのかのような頃合いで音も無く、この場に現れた康成が思わぬ来訪者が来た事を告げる。
 康成の口から出てきた来訪者の名は上杉景勝と並び俺が信頼する盟友、津軽為信とその軍師、沼田祐光。
 全く予期しなかったこのような頃合いで訪れるとはまるで、慶広からの使者が訪れる事を始めから知っていたかのようだ。
 俺以上に蠣崎家の動向を把握しているであろう、この両名が訪れたというのは正に天啓であるとも言えた。
 何しろ、情報の少ない今の俺に比べれば確実に何かしらの情報を掴んでいるのは間違いないからだ。
 為信と祐光からは出来る事ならば、この場に同席して貰い、意見を聞いておきたい。
 それに2人の話も聞けば、もしかしたら蠣崎慶広が如何なる人物かも見えてくる可能性もある。
 そう考えた俺は義武に対し、為信達を交えても構わないかと尋ねるのであった。

















「盛安殿、久方振りだな。昨年以来か」

「はい、為信殿」

 意外な事に義武からは問題ないという返答を受け取った俺は早速、為信達を迎え入れる。
 約1年ぶりとなる為信の姿は以前に顔を合わせた時と全く変わっていない。
 相変わらず、立派な髭を蓄えた姿が印象的だ。

「……御初に御目にかかります。津軽為信様が家臣、沼田祐光と申します」

「……戸沢盛安だ。祐光殿のような名臣に出会えるとは光栄の極みに思う」

 それに対し、俺の器量を測るかのような視線を向けつつ、挨拶をするのは為信の軍師である沼田祐光。
 祐光とは初めて会うが、物事を真理の奥深くまで容易く読み取ってしまいそうなその眼光の鋭さには俺も思わず、人物を測るかのような視線を向けてしまう。
 此度の慶広からの使者に対して、驚いた様子がない事から見れば祐光は間違いなくこの事態を始めから予測していたのだろう。
 為信も当然のように驚いた様子を見せていない事からしても、慶広が動いた事を先に掴んでいたのは間違いない。
 敢えてこの頃合いで訪れたのも、安東家に攻め入る算段でいる俺の動きを予測していたからなのかもしれなかった。

「蠣崎慶広様が家臣、近藤義武にございます。御二人方の事は我が殿より聞いております。もし、戸沢家を訪れた際に顔を合わせる事になったら宜しく伝えてくれ、と」

「ふっ……慶広殿らしい。俺が動く事も承知の上と言う事か」

 俺が短く祐光と言葉を交わした後、義武もまた為信達に頭を下げながら、驚くべき事を口にする。
 何と、慶広の方までも為信が俺の下を訪れる事を予測していたらしい。

「殿、それは無理もありませぬ。津軽と蝦夷は海を隔てているとはいえども、隣国ですからな。御互いの動向を知っていても可笑しい事ではございませぬ」

 驚く俺を後目に大した事ではないといった様子で言う祐光。
 普通ならば隣国とはいえ、海を隔てているとならばそう易々とは情報を得る事は難しいはずなのだが、奥州屈指の知恵者の一人である祐光からすれば容易な事であるらしい。
 俺の方ですら伊賀者を従えている康成を召し抱えた事で漸く、情報収集の幅が広がったというのに。
 各地で武者修行をし、独自に伝手があると言われている沼田祐光という人物の恐ろしさを垣間見た気がする。

「祐光の申す通りだ。慶広殿の事は俺も良く知っているし、彼方が俺の事に詳しいのも無理はない」

「……そう、ですか」

 しかも、色々と可笑しいと思われる祐光の言葉に対して為信まで当然の事だと言っている。
 俺は蠣崎慶広という人物とは直接関わった事がないため、その人物が読み取れないでいたが……為信達の様子から判断すると想像以上の人物であるらしい。
 彼の人物に関しては判断が難しいと考えていたが、関わりのある為信や祐光が此処まで評しているのならば、余程の大物だ。
 流石に信頼出来る人物であるかを見極めるには慶広と直接、話してみるしかないが、少なくとも型に嵌まるような人物ではないだろう。
 少なくとも俺が思っていた以上の器量を持つ人物であるのは間違いない。
 ならば、此方も覚悟を決めなくてはならないだろう。
 慶広に対して、如何に返答するべきであるのかを。

「では、義武殿に尋ねる。為信殿の動向を把握していた事といい、慶広殿はこの先、俺が如何に動こうとしているのかを踏まえた上で言っているのか?」

「無論です。我が殿は盛安様が主家である安東家と一戦を交えるつもりである事を昨年の津軽家との盟約が結ばれた段階で読み取っておりました故」

「そうか……相、解った。慶広殿が其処まで考えているのならば、これ以上は何も言わない。此度の書状の件は承知したと伝えてくれ」

「ははっ!」

 些か判断に迷っていた俺の最後の後押しをしてくれる形で蠣崎慶広という人物を評してくれた為信達には感謝しなくてはならない。
 俺としては慶広が戸沢家の今後の動向を読んだ上で動いてきた事は可能性が僅かにある事も考慮していたつもりだったが、最後の部分で疑念が拭えなかった。
 しかし、為信や祐光ほどの人物が評価し、信武のような豪気な人物が絶対の忠節を誓っているのならば、慶広が紛れもない大器の持ち主である事は疑いようがない。
 そのような人物がこうしてまで動いてきたのだから、此度の件は後に大きく響いてくる。
 何しろ、慶広の方も俺が安東家と戦うつもりである事を昨年という早い段階で読み取っているのだから。
 流石に此処まで読まれているのならば、慶広の思惑に乗じるのも悪くはないだろう。
 これで読み違えたのならば、俺の人を見る目もたかが知れている。
 それに俺と誼を通じてきたのは恐らく、安東家が敗北する可能性がある事を考慮し、その際に混乱するであろう事態に蝦夷を巻き込まないようにするためだ。
 この決断は博打とも取れるのだが、史実では時流にも機敏であった慶広は何処かで戸沢家の方が有利になりつつある事を読み取っているのかもしれない。
 断言までは出来ないが、父である季広に対して独自に動いてきたのもその現れなのだろう。
 そのため、蠣崎家の次代を担う人間として大勝負に出てきた慶広には相応の返答をしなくてはならない。
 俺はそう思いつつ、義武に此度の件は承知したとの返答を伝えるのであった――――。
































 From FIN



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