夜叉九郎な俺
第43話 宿敵の足音





 義武から渡された書状の件に了承し、俺はすぐさま慶広に対して返答の手紙を認める。
 蠣崎家の次代の当主である慶広が型に嵌まるような人物ではないと確信出来た今、誼を通じる事は早い段階で済ませておいた方が良い。
 それに為信の方も海を隔ててはいるが、隣国に位置するというだけあって、蠣崎家とは一定の関係を築いているのだから便乗する形で繋ぎを取る事に問題はないだろう。
 安東愛季の方も知っていながらも黙認している可能性も高いからだ。
 恐らくだが、愛季は慶広が俺や為信と一定の関係を持ったとしても、完全に離反する事がない事を確信している。
 慶広が蝦夷の統治に専念出来れば良いと考えているのは明らかであるし、閉鎖的な立場を取らず表立って活動しているのも蠣崎家に力がある事を証明するために過ぎない。
 要所で介入するに止めている事は逆に愛季にとっても大いに有り難い事であるといえる。
 慶広の動向が離反するに至らない限り、津軽家や南部家に対しても備えられるし、戸沢家に対しても備える事は可能だ。
 湊と檜山の両安東家を統一した今の愛季の力はそれほどの大きさがある。
 此処で慶広が動いても、愛季にとっては些細な事でしかない。
 少なくとも俺の記憶している限り、安東愛季という人物は余程の事がない限りは強引な手段には出てこない。
 何しろ、史実の愛季が俺の代になった時の戸沢家に対して選んだ行動も和睦からだったのだから。
 慶広を誅する事で蠣崎家が離反する可能性を態々、選ぶとは思えない。
 蠣崎家の力が侮れない事を知っているのは今は亡き、先代の当主である安東舜季の頃から理解しているはずだからだ。
 これはあくまで推測の域でしかないが、慶広の方は俺以上に愛季の人物を理解している事だろう。
 そうでなくては、次代を担う人物である義武を俺の下へ使者として送り出すなんて事は考えられない。
 下手をすれば自らの首を締める事にしかならないのだから。
 寧ろ、蝦夷という奥州とは全く違う国を治める為政者として独特の視野と目線を持ち合わせる大物である慶広だからこそ決断出来たのだろうかとさえ思える。
 もし、俺が同じ状況だったら慶広と同じような事が出来たかまでは解らないからだ。
 こうして、躊躇う事なく返答を認めているのも、慶広という人物が朧気に見えてきたからなのかもしれない。
 俺は慶広の事を思い浮かべながら、返答を認めた書状を義武に預け、送り出したのであった。

















「中々の若者だったな、慶広殿が使者を任せただけはある」

 俺からの返答の書状を受け取り、角館を去った義武について評価する為信。
 主君である慶広の命を守り、それを遂行した事は勿論の事。
 いきなりとも言える、為信の訪問についても動揺する事がなかったという点は大いに評価出来る。
 それに俺と為信という安東家と敵対する大名の筆頭とも言うべき両名を前にして一歩も退かない態度も見事なものがあった。
 豪気な気質の人物であるとされる義武は気質は20歳にも満たない現状の段階でも既に萌芽を見せていたといえる。

「……ええ、彼の人物を見ると俺にも蠣崎慶広という人物が如何なる者であるかも大体は見えてきましたし」

 義武の事を中々の人物だったと評価する為信の意見に俺も頷く。
 若くして、ああいった人物はそう多いとはいえない。
 一応、俺や満安、秀綱、康成、重朝、重政、政房あたりも10代後半から20代前半の年齢であり、若いという点では該当するのだろうが――――。
 これはあくまで俺が戸沢家に招いたからこそ人物が集中しているに過ぎない。
 史実通りならば、戸沢家中には政房くらいしか居なかったからだ。
 それ故に慶広の下に彼のような人物が居るのは大きいと思う。

「しかしながら、ああいった人物が居るからこそ蠣崎家は侮どれぬのです。それに加え、慶広殿は今までの当主とは違い、アイヌの者達も従えていると聞いておりますので」

 俺と為信の話に更に祐光が補足を加えるように意見を言う。
 慶広は父である季広の政策を引き継ぎ、アイヌとは戦を交えるのではなく、友好的に接する事で取り込む政策を重視している。
 しかも、その政策は一朝一夜のものではない。
 蠣崎家がアイヌと友好的な関係を築くようになってから、30年もの月日が流れているのだ。
 歴代の蠣崎家の当主の中でも唯一、生まれた頃よりアイヌと共に生きてきた慶広はその結び付きも非常に強い。
 祐光の言葉は的を射ていると言っても良いだろう。

「確かに祐光殿の言う通りだ。為信殿が安東家の事があるにも関わらず、慶広殿と一定の誼を通じているのもそれがあっての事なのだろうし」

 だからこそ、為信が慶広と誼を通じている事に関しては理に適っているものであると思うし、安東家と南部家に挟まれている津軽家にとっては重要な事だと思う。
 海を隔てていながらも隣国に位置する蠣崎家との関係は安東家の事を踏まえれば、戦略上でも鬼門と成り得る。
 安東家と戦うために戸沢家と同盟を結んでいる津軽家は蠣崎家の動向次第でどれだけ動く事が出来るかの瀬戸際にあるからだ。
 もし、為信が慶広と誼を通じていなかったとすれば北、東、西の三方が敵となり完全に動きは封じられる事になり、四面楚歌に近い状態になってしまう。
 幸いにして、今の南部家は津軽家を敵とする方針を取ってはいないらしく、全く動く気配はないが……敵方の一方が中立に近い立場にある事は馬鹿に出来ない。
 為信がこうして、積極的に動けるのも南部家の方針があってこそのものだろう。
 それに南部家でも最大の軍事力を持つと言われる九戸政実が為信と誼を通じている事が影響している可能性も否定は出来ない。
 流石に俺の方では南部家の動きを掴んではいないが……。
 津軽家と蠣崎家が一定の関係をもっている事はこれから安東家と戦を交えようとしている戸沢家にとっても都合が良かった。

「だが、慶広殿は愛季の命には従わなくてはならない立場にある故、当てにし過ぎるのは禁物だ。愛季とはあくまで俺と盛安殿で決着を付けねばならぬ」

 しかし、蠣崎家との関係が悪くないとはいっても、慶広は蠣崎家の当主ではない。
 為信が当てにし過ぎるのは禁物であると言うのは当然の事だ。
 慶広の思惑が如何であれ、蠣崎家の動向は季広の決断によって決まる。
 季広が愛季に全面的に従うとすれば、慶広に拒否は出来ない。
 一応、次期当主という立場にあるため、諌める事は可能だろうが……季広が如何な人物か読めないため判断する事は難しい。
 こればかりは余り期待せずに慶広に委ねるしかないだろう。
 為信があくまで俺達で決着を付けなくてはならないとしているのも無理はない。

「そうですね。愛季とは俺と為信殿が決着を付けねばなりません。……先に進むには乗り越えなくてはならない相手ですから」

 それに愛季は俺と為信にとっては立ち塞がる強大な壁と言っても良い存在だ。
 俺にとっては出羽北部を統一するために乗り越えなくてはならない壁。
 為信にとっては津軽が完全な形で独立出来るだけの力を示すために乗り越えなくてはならない壁。
 形は違えども、安東愛季という人物は俺と為信の共通の壁であり、現状の段階における最大の敵だ。
 だが、その愛季を乗り越えられれば俺達は次の段階へと進む事が出来る。
 出羽北部の統一と津軽の独立は互いが目標とする事で必ず成し遂げるべき事であり、一つの到達点なのだから。

「ならば、尚更、安東家との戦の準備については話し合わねばなりませぬな。盛安様は仕度が整い次第に動くつもりのようでございますし」

 俺と為信の心中を察し、祐光が思惑を見透かしたかのように口にする。

「……祐光殿には敵わないな」

 そんな祐光の深謀に苦笑しつつ、俺は為信達に安東家との戦における戦略を語り始めるのだった。

















 為信と祐光を交え、話し合った対安東家に関する戸沢家と津軽家の戦略だが――――。
 愛季を誘き出して野戦に持ち込む事。
 浅利勝頼を調略し、此方側に引き込むかまたは中立の立場を取らせる事。
 蠣崎家、南部家については為信がその動向を見極める事。
 そして、実際に軍勢を起こすのは年明けから間もなくの時期――――1月中旬から下旬である事。
 等々といった事が主な内容として話し合われた。
 まず、愛季とは野戦にて決着を付けるというのは今の戸沢家の戦力を踏まえての事だ。
 総合的な戦力だけで見れば戸沢家は安東家に迫るほどの力を持っているのだが……足軽や騎馬といった従来の戦力では未だに凌駕出来ない。
 唯一、安東家に勝るものがあるとするならば、多数の鉄砲を揃えた火力の高さだろう。
 的場昌長、鈴木重朝を始めとした雑賀衆に奥重政を加えた畿内でも屈指の鉄砲使いを存分に生かせる戦場は野戦以外にはなく、盛安も城攻めよりも野戦の方が得手である。
 そのため、得意分野ともいえる野戦という選択肢となったのだ。
 また、天候の荒れるこの時期に盛安が鉄砲の運用を考えているのは相手が考えないであろう運用方法であるからといった理由もある。
 次に浅利勝頼への調略だが、これは為信が以前から目を付けており、現在進行形で進んでいる。
 今までは安東家の勢力が戸沢家を大きく上回っていたため、一蹴されていたが――――庄内を抑えた今ならば勢力的にも遜色はない。
 故に浅利勝頼も迷っており、戦の動向を静観するべきかとの考えも視野に入れているとか。
 唯、問題点を上げるとするならば、愛季が湊、檜山の両安東家を統一している事。
 これにより、今まで以上の兵力の動員も可能となっているし、統一されてしまったために豪族達を切り崩す事も難しくなっている。
 だが、野戦に持ち込みたい戸沢家の方針からすれば、決して都合が悪いとは言い切れない。
 少なくとも愛季を野戦に引きずり出すには安東家の動員力が戸沢家を上回るか同数前後である必要があるからだ。
 愛季のような慎重な人物ならば、動員兵力に劣る状態で野戦を挑んでくるとはいま一つ考えにくい。
 しかし、愛季という人物もまた、型に当て嵌るような人物ではない事を盛安は骨の髄に染み渡るまでに理解している。
 何しろ、同数以下の兵力であっても愛季は南部晴政とも渡り合ったほどの人物なのだ。
 仮に戸沢家よりも動員兵力が少なかったとしても野戦に応じない可能性が零とまでは断言する事は出来ない。
 為政者という側面が強い愛季は堅実な部分が目立つが勇猛な部分も持ち合わせているからだ。
 それに奥州で誰よりも深く中央の動向を把握し、外海交易、河川交易の統制を行う等の先見性の高さについても敵ながら、大いに評価しなくてはならない。
 海と河川の両方を抑え、財貨や物資の流通を抑える事は他の大名の力を削ぎ落としつつ、自家の力を富ませるにはもってこいの方法だ。
 安東家は交易によって石高以上の力を持っていたのだから。
 また、戸沢家が安東家と敵対する最大の理由が河川交易の統制による影響が原因であり、その利権を巡ってのもの。
 戸沢家を始めとした内陸に領地を持つ大名に対して、痛手となる政策を行う思い切りの良さも愛季が並の人物ではない事を証明している。
 そのため、浅利勝頼がいま一つ踏み切れないのも当然の事であるといえる。
 愛季からすれば、離反する可能性がある事も御見通しであるのは否定出来ないからだ。
 そして、安東家との戦の際における蠣崎家、南部家の動向についてだが……。
 これは両家と領地が接している津軽家が対応する事になるのは自然な流れだ。
 元より、南部家から津軽の独立を目論んでいる為信からすればその動向を常に伺っているのは当然の事である。
 盟友である戸沢家に両家の動向を伝え、備えるのはあくまでその延長上の事でしかない。
 本来ならば、野戦に持ち込む際に津軽家も兵力を出すところだが、万が一の備えを踏まえれば臨機応変の動きが求められる。
 為信も野戦については盛安に一任するとしたのも、自らの役割を承知しての事である。
 戦というものは単に兵力をぶつけ合うものではない。
 時には盟友を助け、戦略上で優位になるように導くのも役割である事を為信は深く理解していた。
 それ故に津軽家は表立って動くよりも裏で動く事を主とする方針を盛安に示したのだ。
 互いの立場を尊重し、各々が自らの得意分野を以って共通の敵へと相対する――――。
 これが盛安と為信が愛季と戦うために必要だと見い出した事で、ある意味では出羽北部の統一と津軽の独立を賭けた大勝負だともいえなくもない。
 何かしらの思う事があるのも当然の事だろう。
 最後に軍勢を起こすのは年が明けた後の1月中旬から下旬という事だが……。
 これは最後の詰めの時間を計算しての事である。
 戦の準備に関しては以前より進めていたが、それでも敵となるのは安東愛季であり、今までの盛安が戦ってきた相手とは別格だ。
 出来る限り、万全の準備を整えてから挑む必要がある。
 例え、勝機が既に手繰り寄せられる段階にまで達しつつあるとしてもだ。
 戦は水物であり、常に最善の流れで進むとは限らない。
 寧ろ、最悪の流れである事を前提とした上で戦には挑まなくてはならないのである。
 安東家という出羽北部における最大の大名家を前にして、戸沢盛安と津軽為信の両名が共に立つ瞬間はもう目の前にまで近付きつつあった――――。
































 From FIN



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