夜叉九郎な俺
第40話 甲斐姫な私





 お義祖父様と義宣殿が近くで見守る中、私はゆっくりとした動作で弓を構える。
 今の私は漸く10歳に手が届くか如何かの身ではあるけれども、前世で培った技術と心構え。
 そして、遠い先の時代の得た記憶と知識の両方があり、迷う事のない動作で弓を引く。
 狙うのは約110メートル(約60間)もの距離の先にある的。
 この距離は弓の有効射程と言われる80メートルよりもやや遠い距離でお義祖父様が言うには「この距離で的中させられるなら一人前だ」との事。
 だったら、認めて貰うには難しくてもこれくらいの芸当はやってのけないと駄目。
 私はそう思い、的に意識を集中する。
 僅かに乱れが生じるだけでも狙いがぶれるのだから、それは尚更で。
 しかも、先んじて弓を引いた義宣殿は見事にこの距離でも的中させてるから、私も負けてはいられない。
 だけど、弓で的を狙うのは少しでも心が乱れていたら狙いが外れてしまうもの。
 だから、私は一度、目を閉じて、深く息を吐き、意識を落ち着かせてから弓を引く体勢に入る。
 目を閉じたまま弓を構える私の目の前に広がるのは一面、真っ暗な深淵。
 その光景は水が揺らめいているかのように波を打つ。
 少しの間の後、視界の中で揺らめいた水の中心に一滴の雫が落ち、中心から波紋が広がる。

(見えた――――!)

 的に意識を向けていた集中力が高まったその瞬間を見計らい、私は目を開いて弓を射る。
 但し、今の私では110メートルもの距離を真っ直ぐに射抜く事は出来ないため、射線を少しだけ上に向けた状態で。
 放たれた矢は放物線を描くように飛んで行き、狙っていた的の中心に突き刺さる。
 見事、的中。

「……流石だ」

 その光景を見て、ぽつりと呟くのは私と一緒に弓の訓練をしている義宣殿。
 先に的中させていた義宣殿から見ても、今の私の射は上手く出来ていたみたい。

「うむ、それで良い」

 じっと黙って見ていたお義祖父様も一先ずは及第点といった評価をしつつ頷く。
 少し手厳しいとも取れるけれど、歴戦の将であるお義祖父様からすれば私がまだまだっていうのは当然の事。
 義宣殿の射の時も同じように満点といった評価をする事はなかったし……。
 お義祖父様が満足出来る程の腕前の人物だと評価していたのは義重様や北条綱成殿くらいしか聞いた事がない。
 私は目標とする先の遠さを実感しつつ、大きく息を吐く。
 これじゃ、私の探していたあの人の所へ行くのはまだまだ先になりそう。
 私と同じく、遠い先の時代の知識と前世を持つあの人の姿を思い浮かべながら、私はもう一度溜息を吐く。
 果心居士殿に出会って漸く私の探している彼が何処に居て、何をしているのかを掴んだのに……。

「有り難う、ございます。お義祖父様、義宣殿」

 そういった僅かばかりの焦りの気持ちを抑えつつ、私はお義祖父様と義宣殿へと向き合う。
 私が武芸や軍学を修める事に反対しなかった方々に対して、何時までも自分の事を引きずったままで居るのは失礼だから。
 気持ちを落ち着かせながら、私は自分の気持ちをもう一度引き締める。
 先は長いけれど、確実に歩みを進めているのだから悲観する事なんてない。
 今では巴御前の再来とまで評されるまでに武芸の力量もついてきたのだから。
 女子の身でありながら佐竹家中ではこうして武将としての訓練を認められ、その気質から今巴とも鬼姫とも呼ばれている私。
 その名前を――――成田甲斐といいます。

















 成田甲斐――――。
 この名前を聞いて、皆さんは何を連想するでしょうか。
 恐らくではありますが、甲斐姫の名前を聞いて小田原征伐の際の忍城の戦の事を思い浮かべる方が多いかと思います。
 実際に私の生まれは1572年(元亀3年)頃の生まれで遅れてきた英傑とも言われる伊達政宗殿や真田幸村殿よりも5年も遅い。
 それに歴史上でも有名な戦の殆どが終わっている時期に生まれ、一人前と呼べる年頃になった時には九州征伐や小田原征伐といった天下の形勢が定まっていた頃。
 ですから、私の名前が出てきた頃は既に羽柴秀吉……いえ、豊臣秀吉の天下が目前にあった時期だったといえます。
 もう、如何にも出来ない時期だっただけに私は無力でしかなく、女子の身ではお父様の下で働く事も出来なかった。
 忍城の戦でこそ、大叔父様達や家臣達の協力もあって歴史上に名前を残せるほどに活躍が叶ったけれど……。
 その後の私の一生からすると自分の思う通りに生きていけたとはいえなくて。
 だから、奇しくも幼少の頃に意識が覚醒し、2度目の人生を送る事になった私は出来る限り、存分にやってみようと思って行動している。
 その上で遠い先の時代の知識も得ている私は史実とは全く違う生き方を求めて、お義祖父様の属す佐竹家の下に身を寄せる形に大きく立場を変えた。
 勿論、その時にお父様とは色々とやり取りがあった事は当然の事で。
 だけど、女子の身で武将としての修練や勉学に励もうとする私に思うところがあったのか、お父様はお祖母様達の確約を得て、お義祖父様の下に行く事を許可してくれた。
 お義母様も今のままでは私の望む事は存分に学べないと思っていたのか、お父様に反対する事は余り多くなかった気がする。
 こう見ると私はつくづく、身内に恵まれていたのかな、と思う。
 唯、お父様は私に対して、こうも言っていた。

「甲斐の進む道は何れ、この父とも戦う事になる。その覚悟は出来ているか」、と。

 親兄弟ですら袂を分かつ事も多い、戦国時代だからこそのお父様からの忠告の言葉。
 その言葉に対し、私は既に覚悟は出来ていると返答している。
 史実と違う道を進むと決めたからにはお父様と相対する事になる事は避けられない事だったし……。
 覚悟なくして、先へいく事なんて出来ない事は明らかだったから。
 それに私の探しているあの人に会うには閉じ込もっていてはいけないし、自分から外に出なくては見つける事なんて決して出来ない。
 だから、私は成田家を出て、お義祖父様の居る佐竹家へと身を寄せる道を選び――――。
 こうして、私……成田甲斐の在る場所が変わると共に僅かばかりの歴史の変動が始まった。

















「暫し、見ぬ間に中々の腕になったようだな――――甲斐」

 私の射が終わる頃合いを見計らってこの場に足を踏み入れ、名前を呼ぶのは義宣殿の父親である義重様。
 後ろには先程まで、私達に剣術を指南してくれていた氏幹殿も一緒に居る。

「義重様!」

 久し振りに見る義重様の姿に私は思わず、喜びを抑えきれずに声を上げる。
 尊敬する英傑であり、佐竹家に迎え入れてくれた上で武将としての修練を認めてくれた義重様はとても足を向けて寝られない程の大恩人。
 義重様は私が修練をする上で疑問に思う意見が上がった時には源平合戦の時代における巴御前を例に喩え、女子でも修練をする事は良き事だと断言してくれた。
 武を重んじる源氏の家ならでは意見なのだと思うけれど、初めてこの言い分を聞いた時は私も吃驚した。
 反対するのが普通であるはずなのに、逆に推奨する意見を出すなんて。
 義重様が普通の方とは全く違う人物である事をまざまざと見せつけられた瞬間だった。
 それ以来、私はお義祖父様に教わりつつ、時には義宣殿とも修練を行う日々を送っていた。
 義重様とは此処、最近の都合が取れずに余り会う事は出来なかったのだけれど……。
 こうして、御壮健そうな様子を見ると安心する。
 佐竹家は決して地力の弱い大名では無いけれど、義重様の力量が大きく影響しているのは間違いなくて。
 何しろ、関東と奥州との双方の戦線を”一人の大名”が支えたというのは義重様以外に史実では存在していない。
 あの、北条氏康公ですら北条綱成殿を始めとした軍団を各地に配置する形で各方面に対処していた事を考えると義重様の軍事能力は尋常なものじゃない。
 上杉謙信殿が軍配の後継者と評したのも、その類稀な力量があってこそのものなんだと思う。
 そういった意味では義重様という人物は今の私にとって最も間近に存在する英傑であり、武将として目標とするべき人だった。

「父上!」

 私が義重様の名を呼んだ事に続いて義宣殿も同じく、その名前を呼ぶ。
 義重様は義宣殿にとっても目標とする人物であり、次期当主という立場にある身としては偉大な先達でもある。
 時には厳しく、時には優しく、私達に様々な事を教授してくれる義重様は親としても師としても義宣殿から見ても目標とするべき人なのだと思う。

「義宣も負けず劣らず、精進しているようだな。荒削りではあるが、良き眼差しだ。今後も然と励め」

「はい、父上」

 軽く肩をたたきながら、義宣殿を労う義重様。
 義宣殿の眼差しに宿る光を見て、以前に顔を合わせた時よりも成長した事を察したみたい。
 政治、軍事と忙しいため、余り良く見れてはいないはずだけど、義重様は違う部分で私達を見てくれている。
 義宣殿が以前よりも成長している事が解ったのはそういった部分があるからなのかも。

「義重殿、此方に来られたという事は上杉家からの書状の件はもう片付いたのですな?」

「一応はな。後は本人の意志を聞くだけと言ったところだ」

 義宣殿との短い会話が終わった頃合いを見計らって、義重様に尋ねるのはお義祖父様。
 お義祖父様は息子である梶原政景殿に場を預け、私と義宣殿に弓術を始めとした指南を行なっていた。
 そのため、今回の上杉景勝様からの書状に関しては関係がなかったはずなのだけれど……。
 話の流れが如何になったかを見事に予測しているのは流石、関東でも随一の経験を持つ太田三楽斎資正といったところかも。

「ふむ、そうでしたか……ならば、その件については成ったも同然でしょう。甲斐が話を断るとは思えませぬ」

「既に答えの予測が出来ているとは、流石は資正殿。……仰る通りだ」

 更に驚く事にお義祖父様は書状の内容に如何、返答するかの予測までも言い当ててしまう。
 これには流石の義重様も驚いたみたいだけど……今、普通に私の名前があがっていた。
 いったい、何の事だろう?

「お義祖父様、何の話ですか?」

 上杉家からの書状について話しているはずなのに何故、此処で私の名前が出てくるのかが解らない。
 一応、景勝様や兼続殿も私が成田家を出て、佐竹家に身を寄せている事は知っているはずなのだけれど……。
 私とは直接の接点があるわけじゃない。
 だけど、義重様や義宣殿とは親しくしているから私の知らないところで色々な話が出回っている事は否定出来ない。
 今では佐竹家中でも鬼姫と呼ばれつつあるようになってしまったし……。

「うむ。実は……上杉殿がある御方との繋ぎを取り持ちたいと言っていてな」

「景勝様がですか? 今の話からすると私に関係があるみたいですが……」

「そうじゃ。義重殿と話した通り、この件については甲斐にも深い関わりがある」

 書状に関する疑問を尋ねる私に対し、この件は私にも大いに関係があると肯定するお義祖父様。
 景勝様が繋ぎを取り持ちたいと言っている事から考えると……書状で伝えてきた内容は新たな同盟を結ぶ事の可能性が高い。
 今の上杉家は佐竹家以外にも武田家と同盟を結んでいるけれど、此方に関しては佐竹家も武田家と同盟しているため考えられない。
 後は戸沢家が上杉家と同盟しているという事だけど……これはまさか、彼が動いてきたという事?
 上杉家が同盟していて、佐竹家が同盟していない相手で尚且つ、景勝様の方から間を取り持ちたいとなればそうとしか思えない。
 これはあくまで私の憶測でしかないけれど、彼が遂に私の事を見つけたのだと考えると思わず胸が高鳴る。

「実は――――戸沢家の現当主である盛安殿が佐竹家との同盟と甲斐を正室に迎えたいと言ってきておるのだ」

「えっ……?」

 私のその思いを知ってか知らずか、お義祖父様は私が求め、待ち望んでいた事を告げる。
 佐竹家に対して戸沢家が上杉家を通して、盟約を結びたいという話。
 そして、現当主である盛安様が私を正室に迎えたいという話。
 一気に出てきた話題に私も思わず黙ってしまう。
 戸沢九郎盛安――――。
 果心居士殿から聞いた私と同じように遠い先の時代の知識を持ち、2度目の人生を送っている人物。
 史実と比べても明らかに変わっている今の奥州の歴史に大きく関わっている人物。
 そして――――私が遠い先の時代で見た、最後の光景を一緒に見た人物。
 実のところ……証拠としては少ないのだけれど義重様が時折、口にする盛安様の行動指針を聞く限りは私の知っている彼の気質と一致している。
 遠い先の時代で、裏舞台に消えていった鎮守府将軍が再び表舞台に現れたら――――? というのは彼が私に言っていた事だから。
 それを本当に迷う事なく、実現させてしまったというその動きを踏まえると、盛安様が彼なのは如何考えても間違いなくて。
 しかも、盛安様は上杉家との同盟を結び、その伝手を頼りに佐竹家との同盟という選択肢を導き出した。
 勢力の拡大した戸沢家の方針としては元々から考えていた事かもしれないけれど……。
 私が佐竹家に身を寄せている事を知った上で正室に迎えたいと言ってきているのだから、疑いようがない。
 そのため、景勝様からの書状の内容が義重様とお義祖父様の言う通り、私が断るはずのないものだったのも頷ける。
 盛安様の正室になりたい――――それは彼の事を見つけた私が一番、望んでいた事だったのだから。
































 From FIN



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