夜叉九郎な俺
第39話 二人の鬼





 ――――佐竹義重





 この名をどれほどの人が聞いた事があるだろうか。
 知名度こそ、相模の獅子と称される北条氏康には及ばないが、戦国時代でも有数の激戦区であった関東を最後まで戦い抜いた人物として知られている。
 坂東太郎鬼義重という異名を持つ義重は軍勢の統率に長け、武勇に優れた武辺者で戦の際は陣頭に立って自らが太刀を振るうという猛将。
 また、民政家としても優れた手腕を持ち、特に鉱山開発等の分野においては驚くべきほどの成果を上げている。
 これにより、義重は膨大な資金源を得る事に成功し、3000丁以上もの数の鉄砲を揃え、関東随一の火力を持つ軍勢を創り上げたという。
 また、義を重んじ、質実剛健を旨とする人物でありながらも、柔軟性を持つ武将でもある義重は佐竹家の最全盛期を築き上げた名将と名高い。
 負け知らずではないが、戦においては確実な実績を積み上げており、史実では彼の伊達政宗を相手に回しても、戦術上でならば負けた事は一度たりともない。
 それに北条家に対して一貫して立ち向かったのも義重の率いる佐竹家のみで、上杉謙信ですらも一時期は和睦を結んでいる。
 一度、敵であると定めた北条家と最後まで戦い抜いたその気質は決めた事を決して曲げないという強い意志を持っている事が窺える。
 それ故に義重は関東随一の猛将とも名将とも呼ばれているのだろう。
 事実、義重は謙信より、『軍配(武略)を継げる者』と呼ばれ、直々に長光の太刀を賜っているのだから尚更である。
 謙信の後を継いだ上杉景勝が義重の事を義兄のような人物と慕うのもその強さと魅力があっての事なのかもしれない。
 何れにせよ、佐竹義重という人物は知勇を兼ね備えた戦国時代でも稀に見る英傑であったといえる。

















「皆の者、良く集まってくれた。此度、皆を集めたのは越後の景勝殿より、出羽の戸沢盛安殿との同盟の話と甲斐を正室に迎えたいとの話を持ち掛けられたからである。
 俺としては、並々ならぬ武士であると見受けられる盛安殿とは是非とも関わりを持ちたいと思っておる。皆の忌憚のない意見を聞かせてくれ」

 景勝からの書状を読み終えた義重は家臣達を場に集め、意見を問いかける。
 義重自身としては、景勝からの書状と自らの集めた情報で盛安の武将としての器量が確かである事を確信している。
 それ故に同盟を結ぶ事については吝かではなかったし、もう一つの案件である甲斐姫の事も選択肢としては在りだろうと考えていた。

「私は義重様が御自分でそのように御判断されたのであれば、間違いはないと考えております。
 盟友である景勝様も御信頼出来る御方です故、戸沢盛安様の御評価も誠であると思われますし、御自分の思う事を信じても宜しいかと。
 此処近年では良く名前を御聞きする方でもありますし、そのような人物であるならば、戸沢盛安様とは友誼を結びたく存じたく思う次第です。
 甲斐殿に関しても、盛安様と盟約を結ばれるのであれば良き御話ではないかと。些か、惜しい気も致しますが……甲斐殿は並の御仁では相手は務まりますまい」

 義重から尋ねられ、真っ先に答えるのは佐竹家の一門衆である佐竹義久。
 義久は佐竹家の分家、北、南、東、西の一つである東家の出身で、先代の佐竹義昭の代から長年に渡って仕えた佐竹義堅の次男である。
 20代の半ばという若さでありながら、佐竹家の一門衆の中でも政治、軍事にと優れた才覚を見せ、重用されている。
 義久は正に義重の懐刀というべき人物であり、佐竹家の次代を担う大物であると言えるだろう。

「ふむ……義久は俺と同じ考えという事か」

 佐竹家の一門衆である義久の考えが自分の思うところと一致している事に満足そうに頷く義重。
 義久は盛安が盟約を結ぶに足り得る人物である事を関東で聞こえてくる武名を踏まえた上で自らの目線で論じている。
 景勝や兼続との率先してやり取りも任されている義久であるが、甲斐姫の事を惜しんでいる事からして、決して贔屓目に盛安を評価している訳ではない。
 公平な立場で戸沢家とは盟約を結ぶべきであると見ているのだ。
 義久の意見は義重の思惑に沿っているものであった。

「義久様の御意見も尤ですし、戸沢家の伸長からして反対する要因はありませぬが……拙僧は伊達家との関係を踏まえれば、様子を見るのも一考であると存じます。
 戸沢盛安様は朝廷により鎮守府将軍に任じられておりまするが、それは伊達家を始めとした大名を脅かすものであり、場合によっては敵対する行為。
 今の戸沢家の勢力は決して小さくはありませんが……せめて、出羽北部を完全に抑えられるまでは御様子を見ても良いのではないかと考えます。
 暫しの時間がありますれば、甲斐殿の件に関しても如何に話を進めるかを熟考する事が叶います故」

 義久に続き、意見を出すのは佐竹家の外交全般を任されている岡本禅哲。
 先々代の当主である佐竹義篤の頃から仕える禅哲は長年の経験に基き、戸沢家との件は堅実に対応すべきであると答える。
 戸沢家の勢力拡大には目を見張るものがあるが、この動きは他の奥州の大名にとっては脅威に値するもの。
 特に朝廷から鎮守府将軍に任命されているの事が尤も大きく、伊達家、最上家のように幕府から探題職を与えられている大名にとっては非常に都合の悪い存在だ。
 有名無実化した幕府の役職よりも、朝廷から直々に与えられる官職の方が影響力が強いのは当然だからである。
 唯、今の戸沢家は庄内を平定したとはいえど、勢力的にはもう一歩といった段階で出羽北部を抑えるまでは勢力的な不安がある事は否めない。
 禅哲が堅実に対応すべきだと述べているのも道理であった。

「なれど、戸沢が景勝様を通して盟約を結びたいと言っている今の機を逃す訳にも参りますまい。佐竹とて先が如何になるかは解りませぬ。
 北条めの動き次第では対応する事が叶わぬ事態にもなりかねませぬ。甲斐殿を嫁がせるにせよ、しないにせよ、繋ぎを取るのは急ぐべきではないかと」

 禅哲に続いて、機を逃すべきではないと具申するのは太田資正の息子である梶原政景。
 父、資正に代わってこの場に参加している政景は対北条家の最前線を任されており、逐一その動きを警戒している。
 それ故に北条家が佐竹家に対して軍事行動を起こしていない今を逃すべきではないと判断しているのだ。
 盟約に応じる返答を送るにしても、此度に関しては戸沢家との繋がりを持つ上杉家を経由しなくてはならないため、返答するならば早い方が良い。
 政景は北条家の事を念願に置きつつ、繋ぎを取るべきであるとの意見を述べる。 

「各々方の御意見は何れも一理あり、間違っているものはありませぬ。それ故に私は初めに義久様が申されたようにお館様の思う通りにするべきであるかと存じます」

 主要な家臣達の主な意見が出たところで最後に口を開くのは先代の佐竹義昭の頃からの重臣である和田昭為。
 佐竹家でも随一の忠臣として知られる昭為は年若い義久と共に内政、外交の両面で活躍している人物。
 一時期は蘆名盛氏の調略によって佐竹家を出奔し、白河家の下に属していた事もあるが、再び戻ってきたという経緯を持つ。
 この時、昭為は白河家を降すための戦において重要な役割を果たしており、軍事方面でも力を発揮している。
 文武共に優れた知将であり、長年に渡って佐竹家に仕える昭為の意見はあくまで当主である義重の意志を尊重させるもの。
 義久と同じく、義重の思惑を深く理解しているものであると言える。

「ふむ……皆の意見は良く解った。この件は追って沙汰する故、これまでとする。大儀であった」

 義久、禅哲、政景、昭為といった佐竹家でも主要人物である家臣達からの意見を聞き、義重は話題を此処までとする。
 特に口を挟まなかった家臣達もそれぞれが意見を出した者達と意見に変わりはないらしく、各々の意見が出た際に同意見であった者はその人物に頷いていた。
 それならば、家中で聞いておきたい意見の殆どは聞いた事になる。
 義重はそう判断し、この場を切り上げたのである。
 とはいっても、戸沢家との事にしろ、甲斐姫の事にしろ如何にするべきかは既に義重の中で答えは出ている。
 後は甲斐姫本人と義祖父である太田資正に話を通すだけだ。
 実家である成田家の事もあるが、その点に関しては既に現当主である氏長より義重と資正の判断に委ねるとの返答が来ているため問題とはならない。
 それに甲斐姫の事は祖母である妙印尼からも頼まれている。
 出来る限り、甲斐姫の望む形と佐竹家にとっても良い方向性となるように事を収めたい。
 義重はそう思い、訓練場へと足を向けるのであった。

















「おうっ! 義重殿!」

 義重が訓練場へと足を踏み入れた事に気付いた一人の人物が声高々に義重の名を呼ぶ。
 歳の頃は30歳を越えたばかりといったところだろうか。
 無駄のない引き締まった体躯と一丈もの長さを誇る木杖を軽々と携えている姿が印象的だ。

「氏幹殿! やはり、此処だったか!」

 義重の名を呼んでいた一人の人物の名は真壁氏幹
 坂東太郎、鬼義重の名で知られる義重と同じく、鬼真壁と称された事で武名を轟かせている関東屈指の猛将である。
 氏幹は常陸国にある真壁城の城主を務める豪族で、若き日は塚原卜伝の下で新当流を修め、後に霞流棒術と呼ばれる流派を創始した剣豪としても知られている。
 常陸国の豪族の中でも早くから佐竹家に従う事を表明していた氏幹は幾多の戦場で義重と共に陣頭で戦い、鬼神の如く駆け巡った。
 上杉謙信より賜わった長光の太刀を振るい、敵を次々と斬り伏せていく義重と一丈もの木杖を振るい、敵を次々と叩き伏せていく氏幹の姿は正に鬼と呼ばれるに相応しい。
 2人が共に鬼と称されているのも戦場での戦いぶりと強大な北条家を前にして、一歩も退かないその振る舞いがあってこそのものだ。
 そういった意味では名目上は家臣という立場にある氏幹だが、義重とは武辺者同士であり、良き盟友であると言えよう。

「ああ。俺には斯様な場は合わぬのでな。義重殿には悪いが、資正殿と共に義宣殿達の面倒を見させて貰った」

「いや、構わぬ。義宣達の事は氏幹殿や資正殿に見て貰った方が助かるからな。俺としてもその方が有り難い」

 先程までの上杉家からの書状についての話に参加せずに訓練場に居たという氏幹は義重の嫡男である佐竹次郎……基い、佐竹義宣らの訓練を行なっていた。
 今は資正に弓術の訓練を任せていたために義重が足を踏み入れた段階で声をかけてきたのだろう。
 義重としても関東で有数の剣豪で知られる氏幹や歴戦の名将と知られる資正が息子達を教授してくれる事は有り難いため、その行為には感謝するしかない。
 盟友の配慮には父親として頭の下がる思いだ。

「それで、上杉からの書状の件については纏まったのか? 義重殿の事であろうから、結論は既に出ていると思うのだが」

「ああ、氏幹殿の言う通り、如何に返答するかは決めている。後は当人にその事を伝えるだけ故、この場に来たのだ」

「……成る程。そういう事ならば、共に向こうに居る資正殿の所へ行くとしよう」

 上杉家からの書状についての話の結論が義重の中で既に決まっている事を容易く見抜く氏幹。
 こうも簡単に義重が如何に答えを定めたのかが解るのは武辺者同士であり、互いの気質が似ているからであろうか。
 氏幹は頭を使う事はそれほど得意ではないが、盟友の考える事くらいは御見通しだといった表情だ。
 自分の思惑を汲んでくれる氏幹に義重は思わず笑みを浮かべた。

「さて……義重殿の御望みの者が居るのは彼処だ」

 義重と暫しの会話を重ねた後、氏幹が指し示すのは弓の訓練場。
 居並ぶ的に向かって年若い男女が50歳に手が届くだろうと思われる人物の監督の下に弓を引き絞っている。
 その姿は未だに義重や氏幹といった一人の武士には遠く及ばないが、型については割と様になっていた。

「うむ……2人とも少し見ぬ間に腕を上げたようだな。中々、悪くはない」

 氏幹が指し示す先に居る2人を視界に収め、順調に弓術の腕が上がっている事を実感する義重。
 視線の先に居る2人は両名共に勤勉であり、武芸を修めるという意気込みも目を見張るものがある。
 歴戦の将である太田資正にとっては嘸かし、鍛えがいがある事だろう。
 時折、弓を射る際に指摘をする声が聞こえてくる。
 義重も時間が空いている時はその2人には自ら相手を努め、様々な事を教えている。
 向上の意識が強いためか、教えた事を次々と身に付けていくその姿に義重は大いに将来の期待を寄せていた。
 満足気な様子で訓練場を見つめる義重の視線の先に居るのは10歳前後と思われる男女。
 一人は義重の嫡男で、何れは佐竹家の家督を継ぐ事になる佐竹義宣。
 そして、もう一人は――――

















 佐竹家中では巴御前の再来であると称されている成田甲斐であった。
































 From FIN



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