夜叉九郎な俺
第36話 新たなる口火





 ――――1580年12月




 戸沢盛安が庄内を平定した事は僅かな時間の後、奥州全体へと広まった。
 家督を継承して僅かに2年にして、出羽国でも北部随一の勢力になりつつある事は誰が見ても明らかであり、無視する事は出来ないものであったからだ。
 由利十二頭を降す事に始まり、小野寺家との戦に勝利し、酒田を得た後に庄内をも平定。
 また、畿内にて織田信長から奥州切り取りのお墨付きを得、朝廷からは直々に鎮守府将軍の官職を賜っている。
 流石に庄内を平定する以前であるならば鎮守府将軍の官職を得ても名だけが大きい存在でしかなかったのだが――――。
 現実に彼の地を得てしまった以上は名も実もあるだけの力を持っている事を証明するに至っている。
 しかも、庄内平定の際の戦は全ての兵力を注ぎ込んだというわけではない事を踏まえれば尚更だ。
 何しろ、家臣の前田利信からの報告で聞いた常備兵力2000前後と言う数はあくまで合戦に備えて何時でも動かせる数で領内の守備の軍勢は含まれていなかった。
 もし、領地の守備に必要だとして残していた兵力も含めると――――戸沢家の常備兵力の総動員数は実に3000に到達する。
 これに矢島満安、鮭延秀綱らを含める有力な家臣達の手勢を含めれば4000以上もの数となるだろう。
 治水を続けてきた事に加え、新たに獲得した酒田の交易による財貨の廻りを合わせる事で戸沢家の力は盛安が家督を継承する以前の4倍近くの力を得る事になったのだ。
 但し、これはあくまで常備兵力と家臣達の手勢のみを前提とした場合の事であり、非常時の動員も含めれば軍勢の数はこれ以上に増加する。
 この上で新たに庄内の平定を終えたのだから実際の動員力は常備兵力と非常時の兵力共、更に多い。
 特に庄内の平定が終わったのは大きく、酒田を起点に治水を含めた開発を行えば、奥州でも屈指の恵まれた領地となる。
 それだけの勢力基盤を得るに至った事を踏まえれば、否応にも戸沢家が伊達家、最上家、安東家、南部家に肩を並べられる段階に近付いてきた事が実感出来るだろう。
 最早、戸沢家は角館を中心とした小大名ではない。
 出羽国、北部に確固たる地盤を持つ、歴とした大名なのである――――。

















「そうか、盛安殿は遂に庄内を平定したか……。 いよいよ、俺が盛安殿と共に戦う日が間近に迫ってきたようだな」

 沼田祐光からの報告で盛安が庄内を平定した事を聞き、それを我が事のように喜ぶ津軽為信。
 戸沢家と盟約を結んだのは盛安の器量を見込んでの事であるために、盛安の力が増す事は為信にとっては自分の目利きを証明する事にもなる。

「はい、それは間違いないかと。それに朝廷より直々に賜わる事となった鎮守府将軍の官職の名に恥じぬだけの人物である事も証明されております。
 故に今の盛安殿……いえ、盛安様は紛れもなく、出羽国でも屈指の人物の一人であると言っても過言はないでしょう」

「ああ、俺もそう思う」

 祐光の的を射た意見に為信は頷く。
 今の盛安は鎮守府将軍を称した頃とは違い、名も実も伴うだけの人物になっている。
 出羽国でも屈指の人物の一人になったと言っても過言ではない。
 此処、2年間の実績を踏まえればまだ若年ではあるが、最上義光、安東愛季といった人物達にも匹敵しつつあるだろう。

「盛安殿が此処まで成長した事からすれば、安東への調略が思わしくなかった点も足を引っ張る事はないだろう。
 寧ろ、今の状況を踏まえれば俺の策が失敗した事で安東を堂々と落とせる。戦が終わった後も余計な真似をしなくても済むしな」

「そうですね……殿の仰れる通りであると存じます。安東道季殿を抱き込む方向性であれば、最終的には安東家を生かさなくてはなりませぬ故」

 盛安が畿内での活動や庄内の平定に動いている際、為信は以前に伝えていた安東家に対する調略を行なっていたが、これは安東愛季の手によって失敗に終わっている。
 しかし、為信の策が思わしくなかった事で戸沢家は安東家に対して、正面からの決戦を挑む事が出来る。
 もし、為信の策が功を奏した場合、盛安は安東家を攻める名分に道季を立てる事になるため、安東家を完全な方向性で滅ぼす事は出来なくなっていた。
 唯、この為信の策自体は決して間違っていたものではない。
 戸沢家の勢力がそれほど大きくならなければ為信の策を採用するくらいしか手が無かったのも事実だからである。

「だが……それは別にしても、蠣崎だけは引き込んでおきたかったな。蝦夷を実効支配している蠣崎を敵に回すのは面倒だ」

「はい。ですが……蠣崎家の事は盛安様も御承知の事でしょうから何も言いますまい。寧ろ、安東方に付く事を選んだ気概を評価する事でしょう」

「……確かに今までの戦振りからすれば盛安殿は自らの保身を優先させる人物を許すような事はしないようだからな。祐光の言う通りかもしれぬ」

 本格的な戦になる前に安東家の件とは別にして蝦夷の蠣崎家だけでも味方に引き込んでおきたいと為信は考えていたが、祐光の言葉を聞いて思い直す。
 庄内平定の際の盛安の仕置きの事を踏まえれば自らの保身を優先して我先にと降ってくる者よりも最期まで殉じようとする気概を見せた者を評価するのは明らかだからだ。
 盛安は出来る限り、信用の置ける者だけを残して後々の火種となる可能性のある者を処罰するように心掛けている。
 これは適切な判断であり、為信もそういった信用のおける人物を生かす事の重要さを良く理解している。
 為信が浪岡北畠家を滅ぼしたのも残すと火種になるという理由からであった。
 そのため、安易に通じる事を良しとしない蠣崎家の気概は悪いものではない。

「唯、蠣崎の跡取りである慶広殿は安東に従いつつ、盛安殿に誼を通じるつもりのようだがな。彼の人物は少しばかり前に独自の判断で盛安殿に使者を送ったと聞く。
 慶広殿の気質からすれば、間違いなく蝦夷を巻き込まない措置であろうが……恐らくは領民に負担をかけたくないとでも思っているのだろう」

「そうですな。そもそも、戸沢家と安東家が戦になったとしても如何なる状況になるかまでは誰にも解りませぬ。蝦夷に影響が出る可能性も否定出来ませぬし。
 それ故、慶広殿が民を思うが故に万一の繋ぎを取る事は充分に考えられます。安東家に従っているとは言えども、戸沢家との戦は避けたいと思っているようですしな」

 しかし、安東家に味方をすると言う事を表明した蠣崎家の現当主である季広に対して、跡取りである慶広は安東家に従う旨を示した上で戸沢家に独自に使者を送っていた。
 蠣崎慶広という人物は戸沢家との戦を良しと思わず、出来る限り矛を交えずに事を収めようと目論んでいるのだ。
 これは安東家の事よりも蝦夷を治める立場にある蠣崎家やそれに従ってくれている領民達の事を思っての事である。
 蝦夷は広大な土地を誇る未開の地で古くから蠣崎家はそれの統治に苦心している。
 彼の地に土着しているアイヌと呼ばれる民族との風習の違いや思想の違いから幾度となく戦を交え、漸く交流を行える段階に達したのだが――――。
 この段階に至るまでどれほどの時間を要しただろうか。
 先代の義広から当代の季広の代になるまで多くの血が流れ、アイヌとの和睦が成立したのは慶広が生まれた1549年(天文18年)の頃であった。
 そのため、慶広は生まれた頃よりアイヌと共に生きる蝦夷の姿を見てきており、それが当然のものであったのだ。
 故に慶広は奥州の戦に積極的に関わる蝦夷の姿を良しとは考えてはおらず、可能である限り”戦を避ける”か、”戦を急ぐ”考えを示していた。
 しかしながら、奥州との関わりなくして、安東家の影響下にある蝦夷が立ち行かないのも事実であるため、季広の方針には意義を唱えずに別の一手を考えたのである。
 安東家に味方する事は蠣崎の家の者としては当然の事ではあるが、後の事を考えれば戸沢家の事も考えなくてはならない。
 それ故に慶広は戸沢家に使者を送り、一定の繋ぎを得ようとしたのである。

「だが、慶広殿の読みは悪くはない。今の盛安殿の勢いならば安東を崩せる可能性が高いからな。それに盛安殿が動くならば俺も動く事になる。
 如何に出羽北部随一の力を持つ安東とはいえ、俺と盛安殿を同時に相手にする事は容易ではない。故に慶広殿が後の事を考えるのは当然の事だ。
 戸沢と安東の戦が、蠣崎の行く末にも影響するのは間違いのだからな」

「主家を裏切る訳でもなく、戸沢家に矛先を向ける訳でもない。慶広殿の判断はあくまで優柔不断とも思えますが……。
 領民やアイヌの事を考えている彼の方らしいものであるかと存じます。まぁ……今頃はその動きを察した季広殿から御叱りでも受けているかもしれませぬが」

「ははは、その通りかもしれぬな」

 慶広の判断を評価しつつ、今頃の彼の人物が如何なる事になっているかを想像し、為信と祐光は大声で笑う。
 戸沢家に使者を送った事は領民の事を考えた上で後の事を考えての判断であるため、悪いものではない。
 盛安もその先見性の高さは大いに評価する事だろう。
 しかし、慶広の判断は些か先走り過ぎた。
 戸沢家と安東家の間で戦が起こるであろう事は間違いないのだが、それはもう暫く先の事である。
 早くより、自分の意志をはっきりしておきたいと慶広は考えたのだろうが、これは現当主の季広からすれば都合が良いとは言えない。
 季広は安東家に味方する事を表明している立場にあるからだ。
 確かに慶広は戸沢家の勢いを読み取り、先の先を見据えた上で判断を下したのだろうが……こればかりは解る者にしか解らない。
 それ故に為信と祐光は慶広が季広から御叱りを受ける事になるであろうと評したのであった。

















「まぁ、慶広殿が盛安殿に秘密裏に使者を送った事はさておき、此方も盛安殿とは安東攻めの相談をせねばならぬな。
 盛安殿の事であるから、恐らくは野戦にて愛季を討ち、その後に領内へと侵攻するつもりだろうが……」

「我が家の成すべき事はその盛安様の動きを御助けする事でありましょう。兎に角、安東家が全軍を動かせないように牽制する事が肝要であるかと存じます」

 慶広が盛安に使者を送った事については後で口添えをしておく程度しかやるべき事がないと判断した為信と祐光は安東家との戦についての話題に移す。
 庄内を平定した今後の盛安の目標は間違いなく、安東家の攻略であり、出羽北部の統一が現段階における戸沢家の最大の目標。
 小野寺家と大宝寺家が力を失い、最上家が最上八楯との関係にけりを付けられていない今こそ、安東家と雌雄を決する絶好の好機。
 今まで、一度も機を逃さずに動いてきた盛安が今の状況を黙って見ているはずがない。

「うむ、その通りだ。幸いにして、俺の背後を突くであろう南部は晴政の方針の御陰もあって動く事はない。一応、南部とは和議が成立しているからな。
 これならば、俺が盛安殿に呼応して安東攻めに加わる事も可能だ。また、蠣崎が動いた場合に対しても備える事が出来るだろう」

 為信もそれが解っているため、津軽家が如何に動くべきかの方針を定める事が出来るのだ。

「後は細かい部分に関しては盛安殿と直接、話し合って決めようと思う。今ならば、慶広殿の使者にも追い付けるだろうしな」

「はい、それが宜しいかと存じます。ですが……」

 後は細かい要点を盛安と話し合い実行に移すだけなのだが、為信が盛安と面会すると言ったところで祐光が口を開く。

「此度は私も同行したく存じます。盛安様の事は一度、御目にかかりたいと思っておりました故」

「ふむ……そうだな。ならば、此度は祐光も共に行くか。機会があれば盛安殿とは会わせておこうと思っていたしな」

 祐光の同行したいと言う申し出に為信は少しばかり考えた後、同意の返事をして頷く。
 前々から盛安に祐光を会わせておきたいとは考えていたからだ。
 為信が幼少の頃より傍に仕え、共に道を歩んできた祐光ならばこれから先の道を共に行く事になる盛安と会うだけの資格は存分にある。

「これより、先に書状を出し、数日後に俺も盛安殿の元へ行く。俺が不在の間の国内の事は兼平綱則、小笠原信浄に任せる事とする。祐光、それで良いな?」

「ははっ!」

 そのように判断し、為信は祐光を伴って盛安と安東家攻めのために会談する事を表明する。
 盛安が庄内を平定してより、僅かに2ヶ月。
 早くも奥州では次なる動きが見られようとしていた。
 戸沢家の目的である出羽北部の統一を成し遂げるために行わなくてはならない、安東家との戦。
 いよいよ、奥州でも一つの転換期となるであろう出来事が起きるまでの時間が近付いてきたのだ。
 その大きな出来事と成り得るであろう事に対して、口火を真っ先に切ったのは盛安の盟友である津軽為信と――――
 今はまだ、戸沢家の敵である安東家の影響下にある蝦夷の蠣崎慶広であった。
































 From FIN



 前へ  次へ  戻る