夜叉九郎な俺
第23話 同じ時、同じ場所で死んだ者





 ――――1580年3月





 酒田の町で新たに林崎甚助を供に加えた俺は現在の信長が居城としている安土城に到着していた。
 船旅を含めて約、2ヶ月間にも及ぶ期間をかけての移動は中々に難しい。
 今回の場合、早く移動する事が出来たのは同行する人数を絞り、その上で戦国時代でも海路が整備されている日本海側を通ってきたからだ。
 それに他の理由として、この頃の交通や情報の流通に関してだと博多、敦賀、直江津、酒田、大湊などの日本海に面する町が主流である事もあげられる。
 俺が比較的容易に船を出させて貰えたのも町の間を廻る船の交流が多く、商人達の物資の流通などの都合もあるためだろう。
 これが海路の整備の行き届いていない太平洋側からの移動だった場合、どれだけの時間が必要だったのかは想像も出来ない。
 特に奥州からの移動となると尚更、海路の整備が行き届いていないため、数ヶ月で畿内へ向かう事が出来るかは怪しいとしか言えない。
 寧ろ、史実における豊臣秀吉の小田原征伐の際に出遅れた大名の殆どが太平洋側であった事を踏まえると海路からの流通が悪い事は尚更、真実味がある。
 史実においても最上家、安東家といった大名は中央とのやり取りを幾度となく行なっていたし、以前の俺も中央とやり取りをしていたが故に行動が早かったのだ。
 しかし、これが大崎家や葛西家のような場所に勢力を持っていたらこうはいかない。
 北は南部家、南は伊達家。
 奥州でも屈指の力を持つ大名に挟まれながら、酒田のような海に面した町への道もない。
 これでは俺が如何に先の時代の知識や経験を得たとしても如何にもならなかっただろう。
 下手をすれば何の手段も思い付かなかったかもしれない。
 そういった意味では戸沢家は奥州の中でも比較的恵まれている場所に勢力を持っていたと踏まえるべきだ。
 何れにせよ、勢力を持っていたのが日本海側であるという恵まれた事情を活用する事で俺は無事に畿内へと足を踏み入れたのであった。















「これが、安土城か……見事なものだ」

「確かに……当家の角館城とは比べ物になりませぬ」

 聳え建つ安土城の全容を目の前にしながら、俺と盛直は感心するしかない。
 これほどの規模を誇る城を間近で拝む事なんてそうはないからだ。
 ましてや、先の時代でも安土城は完全な形で残っていたわけではない。
 紛れもない本当の形での安土城を見たのはこれが初めてなのだ。
 それに史実の俺は利信を使者として派遣していたのもあって、安土城を見る事が叶わなかった事もあるためか尚更、そのように思える。

「……織田信長とは大した人物なのだな」

 俺や盛直だけではない。
 満安も同じように安土城という異様な城を目の前にしつつ、信長の恐ろしさを感じている。
 この頃の時代の常識とは大きくかけ離れた政治的な意味合いを強く持つ巨大な城。
 今までの城の在り方の根底を覆してしまう安土城の存在感は戸沢家の面々を圧倒する。

「拙者も近くで見るのは初めてにござる。この城はまるで今の信長公の存在感そのものを表しているかにも思えますな」

「……そうだな」

 俺を始めとした戸沢家の面々の気持ちを代弁するかのように甚助が呟く。
 安土城は信長の存在の大きさそのものを証明している――――これは正にその通りだろう。
 恐らくは信長自身も解っていて、このような途方も無い物を築城したに違いない。

「だが、この城に驚いている暇はないようだ。盛安殿、人が来たぞ」

 城の前で様々な思考を巡らせる最中で戸沢家の一行を確認した織田家の家臣と思われる人物が歩み寄ってくる。
 遠目からでは流石に誰かまでは解らないが、比較的若い人物らしく、年齢は満安よりも5歳ほど上といったところだろうか。

「其方の御一行。此処は織田信長様の居城と解っての御来訪か?」

 きびきびとした足取りで俺達の下へと歩み寄ってきた織田家の家臣が目的を尋ねてくる。

「はい。俺は奥州出羽国の住人、戸沢九郎盛安。織田信長公に御目通り願いたく参上仕った次第」

 尋ねられた目的については取り繕うまでもない。
 信長に目通りするのが一番の目的なのだから、答える事は決まりきっている。

「ふむ……戸沢殿でございますか。少しばかりではありますが、名を聞いた事はあります。旗も確かに丸に輪貫九曜の家紋……相違ありませんな。
 其方の荷も何かしらの献上物であるように見受けられますし……信長様に御取次ぎしてみましょう。暫し、御待ち下され」

「感謝致す」

 後ろに続いている鷹を始めとした品を見て、家臣は俺が信長にこれらの品を献上するために来た事を察する。
 家臣の対応を見る限り、基本的に信長は来る者はそれほど拒まない気質の人間らしい。
 実際に羽柴秀吉のような出自が低いものでも召し抱えた経緯もあるし、奥州の諸大名が献上品を持って来た時も拒む事なく応じている。
 だが、裏を返せばこの面会の機会で相応の印象を残さなくては取るに足らない程度の者としか認識されない。
 信長が容易く官位や役職を他大名に与えるのは毒にも薬にもならないからという可能性もある。
 自らの天下を阻むには至らないのであれば、如何でも良いという事かもしれない。

「ああ、そういえば申し遅れました。私の名は堀久太郎秀政と言います。御見知りおきを」

「っ――――!?」

 信長について考察する俺に対し、家臣がこの場を去る際に自分の名を告げる。
 その名を聞いて俺は思わず、言葉につまった。
 堀久太郎秀政――――。
 この名前は俺にとっては為信と並んで決して忘れる事の出来ない名前。
 実際には面識を得る事はなかった俺と秀政だが、互いに因果を持っているとも言うべき関係にある。
 立場は大きく違うが、御互いに僅か13歳という若さで表舞台に立つ事になり、10代の半ばには俺は安東愛季との緒戦に勝利し、秀政は側近としての立場を確立した。
 ある意味で同じくらいの歳頃で自らの立場を明確にし、その名を知らしめたと言うべきだろうか。
 こう見れば俺と秀政は本当に良く似ている。
 しかも、似ているのはこれだけではない。
 皮肉な話ではあるが、死ぬ時までも殆ど同じなのである。
 俺達は共に秀吉の小田原征伐の陣に参加し、秀吉を大いに喜ばせたのだが、この最中で流行病に倒れて亡くなった。
 俺は1590年7月7日に秀政は1590年6月28日に。
 僅か1週間ほどの日付の間に俺達は揃って倒れている。
 奇しくも――――俺と秀政は日付こそ違えど、同じ時、同じ場所で死んだ者同士なのだ。
 此処までくると最早、因果関係にあったと言っても何も可笑しくはない。
 歴史の表舞台に名前が出始めた年齢(13歳)。
 自らの立場を確立した年齢(16歳〜17歳)。
 戦において活躍し、夜叉九郎の名と名人久太郎の名を知らしめた1580年代半ばという時(1582年〜1586年)。
 偶然でしかないのだろうが、俺と秀政にとって重要と言える出来事の多くが何かしらの形で重なっているのだ。
 一度目の人生では直接的な接点を持つ事は最後まで叶わなかったが、先の時代の知識を得た今ならば恐るべき歴史の悪戯のようなものを感じる。
 ――――夜叉九郎と名人久太郎。
 この出会いは史実において、小田原征伐にて倒れた2人の初めての邂逅であった。















 暫くの後、秀政の案内で俺達は信長との謁見の間へと向かっている。
 戦国時代でも屈指の規模を誇る安土城は中に入るまでの道ですら中々の距離があり、見事なまでの縄張りで築かれた城は周囲を見渡すだけでも見所が多い。
 防衛の拠点ではなく、政治の拠点として造られたこの城は天皇を迎える事も前提にしていたと言われている。
 それだけに礎石(柱の事)の間隔等ですら、公家の建物よりも広く間取りがされていたりと一つ一つの構造だけでも計算され尽くしている。
 また、天主台南西の百々橋口にはハ見寺があり、城郭中枢部に堂塔伽藍を備えた寺院が建てられているのは後にも先にも安土城だけだ。
 後の城には見られない独自の構造を多く持つ安土城は紛れもない、信長だけが考えうる城であると言える。
 秀政は絶えず周囲に視線を向けている俺達の事は気にも留めず、淡々と謁見の間までの案内を続ける。
 やはり、こういった反応は数多く見てきたのだろう。
 今でこそ慣れてはいるが、織田家中の人間ですら初見で安土城を見て驚かなかった者は誰一人としていなかったのだから。

  「此方で御待ち下され。暫し後に信長様が参られます」

 落ち着かない様子のままで案内されるうちに何時の間にか謁見の間へと到着していたらしい。
 秀政が俺達に断りを入れ、信長に到着をした旨を伝えるために席を外す。

「……さて、此処からが本番だ。満安、盛直、甚助殿、気を引き締めないと圧倒される」

 この場から秀政の姿が見えなくなった事を確認し、俺は満安らに気を入れ直すように言う。
 安土城に圧倒される気持ちも解らなくもないが、間もなく会う事になるであろう相手はその安土城よりも圧倒的な存在だ。
 今の時代の覇者にして第六天魔王とも称される、傑物の中の傑物――――織田信長。
 歴史上では知らない人間など少数しかいないであろう、偉大な人物である。
 だが、名を知ってはいても直接会った事がある者はこの場には誰もおらず、その実像は解らない。
 唯、解る事は安土城という巨大な城と途方も無いほどの石高を誇るであろう領地を持つに相応しいだけの人物である事。
 天下布武を目的とし、歩を止める事なく言葉通りにそれを実践する信長は誰よりも天下に近い人間だろう。

「解った」

「畏まりました」

「承知」

 俺の言った意味を察し、満安らが三者三様に頷く。
 城だけでこれだけの存在感を持っているのだから、信長本人の存在感は尚更大きい。
 下手をすれば姿を見るだけで圧倒されてしまうかもしれない。
 そういった意味で俺が念には念を入れてきた事を満安らは理解する。
 此処で下手な姿を見せれば、戸沢家は取るに足らない存在でしかなくなってしまう。
 これから行われる信長とのやり取りは俺が正式に鎮守府将軍の官職のお墨付きを貰い、奥州に覇を唱える大きな山場なのである。
 その事を考えれば、家臣という立場と同行する士という立場として場にいる事はある意味で歴史に名を残す事になるかもしれない場面に立ち会う事にもなるのだ。
 信長のお墨付きを得る事が実現出来ればの話ではあるが、鎮守府将軍に就任する事が叶えば北畠顕家以来、約200年振りの事。
 もし、本当にその場に立ち会う事になれば、その事は生涯の誇りとも成り得るのだ。
 武士としてこの先あるか解らない機会に遭遇出来る可能性をみすみすと逃すわけにもいかない。
 満安らは俺の言葉通りに気を引き締め直したのか、浮ついた様子ではなく、普段通りの様子に戻る。
 これならば俺の側に問題は特にない。
 後顧の憂いもない今、後は信長との直接対面を果たすだけだ――――。
































 From FIN



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