夜叉九郎な俺
第22話 出羽の剣豪





 ――――1580年1月下旬





 年が明けて始めの評定の場で畿内へ行くという方針を決めた俺は出発の準備のために酒田の町に滞在している。
 供をする主な人物は矢島満安、白岩盛直の両名。
 満安は必ず供をさせる事が条件となっていた一人であるため、供をしているのは当然の事。
 それに対して、評定の段階では名前が上がっていなかった盛直は俺の守役であり、補佐役には尤も適しているという理由から供をする事になった。
 また、信長や朝廷に献上する鉱山資源や鷹などを持っていく事もあり、満安と盛直以外にも幾人かの家中の者も供をしている。
 規模としては大きくはないが、当主である俺を筆頭に守役である盛直と奥州随一の豪勇で知られる満安を中心とした一行は決して卑下するようなものではない。
 寧ろ、供をする者を絞った事で纏まりがあり、当主の気質が反映された一団となっていると言うべきだろう。
 それ故に秘密裏にするために池田惣左衛門や田中清六が率先して手配をしてくれているにも関わらず、人物によっては容易く気付いてしまう。
 俺としてもなるべく気付かれない内に奥州を後にしたいのだが、如何にも上手くはいかないらしい。
 幾ら秘密裏にしようとしても、情報を流さないようにしていても、解る時にはあっさりと解ってしまうものなのだ。
 献上する物品の概要を確認しながら指示を出していく俺の下に一人の浪人が現れたのはそんな最中であった。















「其方の貴殿、名のある方と御見受け致す」

 惣左衛門と清六に手配を任せて、休もうとした矢先に浪人と思われる一人の武士に声をかけられる。
 俺に声をかけてきた武士の歳の頃は40歳前後。
 腰には刃渡りが3尺もあろうかという見事な刀を帯刀している。
 また、俺を見据えるその視線には揺らぎがなく、僅かな挙動ですら隙が全く見当たらない。
 俺が何処かに行くようにと視線で促してみても流されるし、素知らぬ顔をしようとしてもそれを阻まれる。
 応じないという選択肢は認めないと言わんばかりだ。
 此方が不穏な行動を取れば帯刀している刀でバッサリと斬られる事は想像に難くない。
 隙の無さといい、発する気配の強さといい、優れた武芸者であろう事は一目瞭然だ。

「いや、其方の気のせいだろう。俺は偶々、この酒田にて船旅の準備を行おうとしているだけだ」

 だが、今は無闇に素性を明かすべきではない。
 俺は偶然を装って、この酒田の町にて船旅の準備をしているだけだと告げる。

「ふむ……それは面妖な。貴殿の立ち振る舞い……いや、持っている気配がそのような者とは全く違うように見受けられるのだが?」

「っ……!?」

 しかし、目の前の武士は意図も容易く俺の言葉が偽りである事を見抜く。
 俺の立ち振る舞いや気配で普通の人物とは違うという事を一目で看破した事から察するに見立て通り、満安らと同類なのは確実らしい。
 武勇で知られる人物は多くの場合において独特の雰囲気を纏っている者が多く、自然と普段の立ち振る舞いから隙を見せない。
 俺も常に陣頭に立って太刀や槍を振るって戦うという人間であるためか、常日頃から不覚を取らないようにと挙動には気を配っている。
 それ故か武士には俺が名のある武将であると見受けられたのだろう。

「そうまで言われては誤魔化す事は出来ないか。……俺は戸沢九郎盛安と言う」

 ならば、自分の正体を誤魔化す理由はない。
 半ば見破られているようなものであるため、此処は正直に名を名乗るべきだろう。

「おお、戸沢家の御当主か……これは失礼致しました。拙者は林崎甚助重信と申す」

「なっ――――!?」

 名乗った俺に対し、武士も自らの名を告げる。
 林崎甚助重信という、自身の名を名乗った武士に俺は思わず驚愕する。
 只者ではないと思っていたが、まさかの大物が現れるとは思いもしなかった。
 甚助は抜刀術の開祖として知られる剣豪の一人で遠い先の時代には居合いとしてその妙技を伝えている偉大な人物。
 若い頃は塚原卜伝から新当流を学んでいたとも言われ、修行が一段落して故郷に戻った後、林崎明神に参拝している折に抜刀術の秘技を編み出したと言われている。
 その後、剣術を修めた後は最上家の家臣である楯岡氏に一時的に仕えた後、母親の病死を切欠にして野に下った。
 因みに甚助が剣術を修めた理由は父親の仇を討つ事で、甚助は探して諸国を廻って最終的に京都に居たと言われている仇を討ち果たした言うのが通説だ。
 確かに奥州の出羽国の出身であり、20年ほど前に仕えていた最上家を後にして以来、諸国を旅している甚助が此処にいる事は在り得ない事ではない。
 だが、甚助は曲がりなりにも最上家に仕えていた経歴があるため、策謀に長けた義光の手の者である可能性も考えられる。

「そう、警戒されずとも良い。今の拙者は最上殿とは繋ぎを取ってはおらぬ。あくまで最上における主君は御隠居された義守様なのでな」

「む……申し訳ない。非礼を詫びる」

 しかし、甚助は俺が義光を警戒している事を察してか苦笑しながら旧主の名を口にする。
 甚助が一時的に最上家に仕えていたのは周知の事実だが、それはあくまで先代の最上義守の頃。
 現在の当主である義光が器量を持つ人物であった事を知っていながら何の未練もなく出奔した甚助が義光と今更、関わりを持つとは考えにくい。
 それに義光の方も甚助が出羽国に戻って来ている事を知らない可能性だって考えられる。
 実際、俺の方も甚助が酒田に現れる事を予測出来なかったのだから。
 ならば甚助を疑う必要性は殆どない。
 彼の人物の人柄も踏まえれば、何かしらの陰謀に加担する事も在り得ないため、問題はない。
 俺は此処で漸く、甚助への警戒心を緩めるのであった。















「しかし、甚助殿は何故、酒田に? 貴殿は諸国を廻る旅をしておられるのでは?」

「確かに盛安様の言われる通り、拙者は各地を旅しておりますが……酒田には戻ってくる理由が出来たのですよ」

「理由?」

「ええ、出羽国内で大きな動きがあったと聞きましたのでな。特にその中でも戸沢家の御当主が目覚しいほどの活躍を示されたとか。それで、気になりまして」

「成る程……俺が理由と言う事、か」


 酒田へと戻ってきた理由が俺にあると言う甚助。
 本来ならば接点がなかった俺と甚助だが、家督を継承して以来の軍事行動は思わぬ方向でも影響を及ぼしていたらしい。
 高名な剣豪である甚助が態々、奥州に戻ってきたのは俺の噂を聞き付けての事だと言うのだから尚更だ。
 知らず知らずのうちに俺の武名も奥州の枠からは出ていたのかもしれない。

「左様。旅先にて久方振りに故郷の話を聞いた際、頻りに盛安様の名が上がっておりましてな。それで拙者も御会いしてみようと思った次第。
 とは言っても、酒田の町にて御会いできたのは殆ど偶然に近いと言っても良いのですが……盛安様は噂通りの御方のようでござるな」

「……噂通りとは?」

「いや、噂に関しては御自分で思っている事と大差はありませぬよ。如いて言うなれば、噂だけの人物ではないと拙者が感じただけにござる。
 盛安様。此度の船旅は恐らく、京へと上られるつもりの御様子。もし、差し支えがなければ拙者も供に加えて頂けまするか?」

「む……それは此方から願いたいくらいだが、良いのか?」

「構いませぬ。拙者には修行以外に目的はござらぬし、盛安様の人間を見極めるにはやはり、供をするしかないと思った次第ですので」

「……言ってくれるな。しかし、甚助殿のような高名な方にそう言われるのは有り難い。是非とも同行を御願いする」

「畏まりました。この林崎甚助重信、林崎明神に誓って盛安様の身の安全を保証致しまする」

「宜しく頼む、甚助殿」

 俺に対して興味を持ったと言う甚助だが、噂だけでは人間性が測りきれないとして同行を申し出てくれる。
 これは此方からしても願ってもない事だったので、断る理由はない。
 元より少数での旅路である現状では、満安のように武に長ける人物が同行してくれるのは身の安全にも繋がるからだ。
 それに甚助は京にて仇討ちを果たしたという経歴と現在も諸国を廻っている事から中央での土地勘も持っている。
 史実では自らの足で上洛した事のない俺からすれば、甚助のように上洛を経験している人間がいる事は何よりも有り難い。
 ましてや、一時的に足利義輝の下にも身を寄せた事があるとも言われている甚助だ。
 その際に抜刀術の妙技を披露し、義輝に招かれた貴族達にもその技が知れ渡っている可能性は充分に考えられる。
 信長に謁見する以外に京での伝手が何もない俺からすれば甚助の同行は有利に働く面が非常に多い。
 事の次第によっては林崎甚助の名を知っている貴族との面会も可能であるため、高名な剣豪である甚助の存在は俺の目的を達成するにあたって切り札にさえ成り得る。
 こうしてみれば、俺の都合に利用するだけにも思えるが――――勿論、林崎甚助個人と深く関わりたいという思いが一番だ。
 人生の先達でもあり、諸国を廻った甚助の話は大いに考えさせてくれるものがある事は疑いようがない。
 俺の知識だけでは解らない事だって多々あるのだから。
 偉大な剣豪である甚助が同行してくれる事になって俺の心は知らずの間に昂っていた。
 此処で会えたのは何かの縁。
 そして、予期していなかった事が招くのは想定以上の過程と結果。
 この流れで事が進んでいくとするならば、畿内では色々な事が待っていそうだ――――。















 ――――1580年1月末





 酒田の町で新たに林崎甚助を同行者に加えた戸沢盛安。
 本来ならば在り得なかったであろう甚助との邂逅だが、これもまた歴史の流れが成せる業なのかもしれない。
 積極的な軍事行動で史実とはかけ離れた歴史を創ってきた盛安の前に史実では在り得なかった出会いがあるのもまた必然。
 実際に織田信長に自分自身が謁見するというのも史実では在り得なかった事なのだから。
 此処まで来ると盛安の征く先には先の時代と1度目の人生で得たの知識と記憶だけでは事が足りないのだ。
 無論、史実と同じ結果にしかならない事だって多々あるだろうが、それも自分の力だけで全てを変える事が出来ない事の証明でしかない。
 最早、予期せぬものが招くものは盛安を含めた誰にも解らない。
 実際に”神速の剣”と称される抜刀術を極めた高名な剣豪である甚助の同行はこれからの畿内での盛安の行動に大きな影響を及ぼす事になるのだから――――。
































 From FIN



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