夜叉九郎な俺
第24話 蒲生氏郷
秀政に暫し、待つようにと促されて僅かな後。
時間にすれば四半刻にも到底、満たない時間だっただろうか――――。
秀政が再び謁見の間へと戻ってくる。
だが、戻ってきたのは秀政だけではなく、満安よりも僅かに歳上だろうと思われる年若い人物も一緒だ。
恐らくは秀政よりも先に信長の下に呼ばれていた人物だろう。
しかし、一緒に現れた人物をよく見てみると何処となく尋常ではない気配を感じる。
何となくだが、この場に居るだけで惹きつけられると言うべきだろうか。
些か若いが、既に一人の人物として完成しているようにも見受けられる。
何れにせよ、言葉には形容し難い印象を持つ人物だ。
秀政も今までの経歴からすれば只者ではないはずだが、もう一人の人物も恐らくはそうなのだろう。
若いながらに信長の傍で働いている事を察すればそれは容易に想像がつく。
信長の人物を見極める眼は本物であり、信長が見い出した羽柴秀吉を始めとした多くの人物は皆、歴史上に名を残している。
「戸沢盛安殿でございますな。俺は蒲生忠三郎氏郷と申します」
俺が何者かを考えていると、此方の雰囲気を察したのか相手の人物が自ら名乗ってくる。
蒲生忠三郎氏郷――――またの名を蒲生忠三郎賦秀。
俺の目の前に現れたのはまたしても、若くしてその名を知らしめている傑物だ。
秀政以上に俺とは直接的な接点はないが、弟である平九郎とは馴染みの深い人物で史実では九戸政実の乱の際に戸沢家と共に政実と戦っている。
氏郷は若くして才気溢れる人物であったとされ、それを一目で見極めた信長は娘である冬姫を娶らせて更には自ら烏帽子親となったほどである。
これはあくまでエピソードの一つでしかないが、信長が自らの意思で此処まで動いたという事だけでも尋常な人物ではない事が解るだろう。
また、氏郷は俺に似ている側面も数多く持っている。
戦においては自ら陣頭に立って戦い、捕虜とした者でも無闇に殺さずに開放していた事などを踏まえると武士としての在り方は俺に近い。
自らが前に出るというその姿は「戦場に常に鯰尾の銀兜が先頭にある」とまで言われたほどで、夜叉や鬼と呼ばれた俺にも通ずるものがある。
それに皮肉な事ではあるが、これから先が本番だという時期に亡くなっているのも近いと言えるかもしれない。
蒲生氏郷もまた、その名を惜しまれつつも最後を迎えた人物の一人であった。
秀政が現れた時は流石に驚いたが、幸いにして秀政の後に氏郷も出てくる可能性も考えられたために今回の驚きは少ない。
「戸沢九郎盛安と申す。此方こそ麒麟児と称される氏郷殿に会えて光栄です」
しかし、実際に会う事はなかったとはいえ、氏郷も秀政と同じく俺とは何かしらの縁があるような気がするだけに此処で会えた事は本当に嬉しく思う。
武将としても優れた人格者であったとされる氏郷ような人物と交流出来る事は光栄だ。
こうして、史実では顔を合わせた事がなかった面々が早々に揃ったのはやはり、俺が自分自身で安土へ出向くという選択肢を選んだ故だろうか。
それとも、史実よりも時機を送らせて、本願寺との間に起こった石山合戦が終結する頃合いを見計らったからだろうか。
恐らくは信長にも余裕のある今の時機であるからこそ、秀政も氏郷も安土に居たのであろう。
目まぐるしく事態が動いている時機であったならば、この2人に会う事が出来る可能性はほぼ無かったに違いない。
正直、自分で選んだ選択が史実とは大きく違う方向に影響している事を感謝せずにはいられなかった。
「ふむ……俺よりも随分と若いのに中々に腕に覚えがある様子。機会があれば是非とも手合わせ願いたいものだ」
俺の後ろに控えている満安らの姿を目に止めながら、氏郷は俺が腕に覚えがある人間だと判断する。
特に満安と甚助は一目で解るほどの達人であり、武芸者である。
それを従えているのだから、俺の力量も相当なものであると氏郷は判断したようだ。
実際、夜叉とも鬼とも呼ばれる俺自身も腕には覚えがあるつもりだし、その見解は間違いではない。
氏郷も武将として多くの武功を立てており、自分自身で敵の首を取った事も多いため、直感で俺が同類である事を見抜いたのだろう。
「そうですね、機会がありましたら是非とも。夜叉九郎の名が偽りではない事を御見せしたい」
「おお、それは有り難い。貴殿のような武士とは存分に遣ってみたいものよ」
「此方もです」
氏郷が言うように手合わせを望みたいのは此方も同じだ。
互いに陣頭で戦う者同士か、如何もこういった事には気が合うらしい。
俺と氏郷は後の機会に手合わせをする事を約束する。
元より氏郷という人物は武芸に達者なだけではなく、武辺談義などを好む人物でもあり、その辺りも俺と共通している。
武士としての在り方が近い上に趣味までも俺に共通点があるだけに直接的な面識がなかった事が悔やまれるほどだ。
共に戦った事のある平九郎が羨ましく思える。
だが、秀政の時と同じく、本来ならば会う事はなかったにも関わらず、こうして会う事が出来たのは類は友を呼ぶ事の証明だろうか。
俺は歴史の悪戯とも言うべき、この縁に感謝するのであった。
氏郷との邂逅が終わり、再び謁見の間に静寂が訪れる。
俺を含め、氏郷も秀政も微動だにせず、満安らも動かない。
先程語らった氏郷との会話よりも短い時間しか経過していないにも関わらず、時が止まったかのように時間が長く感じる。
静寂の中では時間の感覚が全く解らなくなると聞いた事があるが、正にその通りだ。
唯、座して信長との謁見を待つだけにも関わらず、時間の流れが更に遅く感じる。
だが、完全な静寂が訪れたが故に俺は信長との謁見の際に話すべき事と今後の事を纏める事が出来る。
まず、改めて確認するが信長との謁見の目的は鎮守府将軍の官職に関するお墨付きを貰う事が目的だ。
幸いにして、信長は家臣や献上品を持って来た大名に対しては官位や役職を朝廷に上奏し、惜しみなく与えているため、その経緯からすれば上手くいく可能性は高い。
但し、鎮守府将軍は特殊な立場にある官職であるため、それを許してくれるか如何かという問題点も存在する。
南北朝時代を最後に就任している者が誰一人として存在しない鎮守府将軍を得られるかは一大事とも言えるからだ。
しかし、幕府という体制が崩れた今でなければ鎮守府将軍を任命出来ないのも事実であり、再び幕府が成立する事を予防する手としては決して無しとは言い切れない。
名目上に関すれば今の”征夷大将軍”は官職上の役目を果たす事が出来ないからだ。
信長としても、朝廷としても幕府の存在を面白く思っていなかった節があるため、その点を突ければ話は早い。
それに信長は奥州に対して、然程の興味を持っていない。
酒田の町や大湊の町といった交易に適した場所はあれども、畿内や東海とは違い、山が多い奥州は信長にとっては魅力的な土地ではない。
実際に山奥の国である飛騨国に関しては最後まで興味を示さなかったほどだ。
何しろ、姉小路頼綱が従属してきた時は大きな問題もなく、そのまま領有する事を認めている。
一応、頼綱の妻が信長の正妻である帰蝶の妹であったのも理由の一つなのだろうが……。
例え、中央に近くとも天下布武の邪魔にさえならなければ如何でも良いとすら考えていたのかもしれない。
信長から鎮守府将軍のお墨付きを得るには奥州や飛騨のような地に興味を示さなかったと言うその点が大きなポイントになってくるだろう。
次に朝廷だが、此方はあくまで公家達と面識を得る事が目的だ。
信長から鎮守府将軍のお墨付きが貰えなかった場合は口添えを貰う事が主となるだろうが、何れにせよ公家との接点は後を踏まえれば有利に立ち回れる。
此方の件に関しては高名な剣豪である甚助が同行してくれているために門前払いとなる可能性も無いため、面会だけならば比較的楽に行える。
接点を持つというだけならば献上品等だけで済むが、信長から鎮守府将軍のお墨付きが貰えなかった場合は京都での活動は大きく変わってきてしまう。
とりあえず、今はまだ如何するかを考える段階ではないので信長との謁見に注力する事にするのが上策だと思う。
それ以外に現状でやるべき事があるとするなら、後は石山、堺、伊賀へと向かう事だろうか。
石山へと向かう目的は現在、退去の準備を行なっている本願寺顕如、鈴木重秀を始めとした人物達への接触。
これについては家督を継承した段階から前提にしていた事であり、戦力を大きく強化する一手。
豪族の集合体でありながら、傭兵という側面を持つ雑賀衆の一部を陣営に引き込む事が目的である。
理想は雑賀孫一こと、鈴木重秀を引き込む事だが……こればかりは本願寺と雑賀衆の都合次第だろう。
一応、無下に断られる事はないはずだが、何事も上手くいくとは限らない。
堺へと向かう目的は鉄砲や大筒を始めとした様々な物のやり取りと後の千利休こと、千宗易との接触。
利休についても公家と同じく、後の事を踏まえての事だが……これは思わぬところで氏郷と面識を得たのが有利に働く可能性が高い。
麒麟児または風流の利発人と称される氏郷は利休から茶の湯を学んでおり、弟子と言うべき立場にあるからだ。
氏郷からの紹介があれば利休との接触を行う事は容易になるし、話も進めやすくなる。
とはいっても、利休は余程の事がない限りは門前払いしてくる事はないだろうから、余計な事は考えない方が良いかもしれない。
唯、茶の湯を楽しむために行くつもりの心構えでいた方が良いだろう。
そして、最後に伊賀へと向かう理由だが……これは俺と同い年のある人物を招くためである。
史実では忍者の出自でありながら内政手腕に長け、”無頼の良臣”の異名を持つ、彼の人物。
本来ならば関ヶ原の戦いの頃に為信に召抱えられた人物であるが、折角の機会だから今の段階で戸沢家に招いておこうと思う。
まぁ……俺が畿内でやるべき事といったら大体、このくらいか。
他の事は信長との謁見が終わってから考えるとしよう。
そろそろ、信長も来たみたいだしな――――。
盛安が今後についての考えを纏め終わった頃合いを見計らったかのように10代後半くらいの小姓と共に40代後半と思われる人物が謁見の間へと姿を現す。
40代後半の人物の身の丈は5尺を上回るほどで、当時としては比較的身長が高く、体躯はやや細身の印象だが恵まれている。
一見すれば武将としては普通とも言えるような外見ではあるが、一瞬だけ垣間見えた視線は射抜くように鋭い。
恐らくは盛安の器量を見定めているのだろうが、それだけにも関わらず、身震いしてしまうかのような感覚が身体中を駆け巡る。
しかし、それは決して畏怖の意味でそう感じたわけではない。
小姓と共に盛安の前に現れた人物が紛れもない、天下随一の英傑である事が明らかであるからだ。
謁見の間に現れたのは一般的なイメージでは残虐にして非道とも言われながらも、多くの人々を惹き付ける魅力を持つ人物。
盛安と同じく、”鬼”と呼ばれながらも自らは”第六天魔王”と称した人物。
そして、後の時代の誰もが余りにも唐突で、早過ぎる死にその名を惜しんだ人物――――。
その名を――――織田信長という。
From FIN
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