夜叉九郎な俺
第21話 畿内への道





 ――――1579年9月





 戸沢家と小野寺家の雌雄を決した戦いである真室の戦いが終結して約、半月ほどの時が流れた。
 現在は小野寺家との間には和議が結ばれ、一先ずは落ち着きを取り戻している。
 戦を続けるという選択肢もあったのだが、それでは泥沼の争いにしか成り兼ねないので下策でしかない。
 此度の戦を経た事で鮭延秀綱が配下に加わり、角館、由利、庄内に加えて真室を新たな領地として得た事で良しとすべきだろう。
 それに俺が不在でも戸沢家の力は侮れない事を周囲に証明出来た事も大きい。
 史実では周囲との力関係の事もあり、俺は領内から自由に動く事が出来なかった。
 だが、由利十二頭と小野寺家との戦いを経て、戸沢家の力は出羽国内でも最上家、安東家に迫るほどになっている。
 此処まで力を付けた今ならば、頃合いを見計らって俺は家督を継承した段階から考えていた次の行動を起こす事が出来る。
 流石に今はまだ、俺が思案している事については伏せてあるが、これは戸沢家の今後にも大きく影響する事だ。
 博打的な要素も多少あるため、一部には反対される可能性もあるが、俺が考えている通りに事が進めば更なる飛躍が望めるだけに是非とも事を起こしたいと思う。
 昨年より積極的な軍事行動を行なっていたのは全てこの時のための布石であったと言っても良いかもしれない。
 実際に相応の力を持たなくては出羽国内から動く事なんて不可能だからだ。
 由利十二頭を抑え、酒田を得て、小野寺家との戦を終えたからこそ可能となった俺が重要だと踏んでいる次なる行動は――――。















 俺自身が畿内へと足を運ぶ事であった。















「秀綱、先の戦での働きは見事だった。俺も負けてはいられないな」

「なんの、某なんて満安殿と渡り合った盛安様には及びません」

「謙遜なんかしなくたって良い。正直、俺の不在を利用して奇襲を考えるとは思いもしなかったからな。真っ向から満安と戦った俺よりも秀綱の方が見事だ」

「……勿体ない御言葉です」

 真室の戦における事後処理が一段落したところで俺は秀綱を招き、語り合っていた。
 秀綱の戦い振りは戦に参加した満安と盛吉の両名から報告を受けていたが、奇襲を行なった方法については度肝を抜かれた。
 戦の最中で秘密裏に軍勢を分けて兵を伏せるのは良くある方法だが、秀綱が行なった旗印を借りるという方法は普通ならば思いつかない。
 正に盲点を突いたとも言うべき秀綱の戦い方は素晴らしいの一言だ。

「して、秀綱。小野寺家との間に和睦が結ばれ、一息吐けたと言ったところだが……今後は如何にすべきだと見ている?」

「そうですな……某の私見ですが、領内の統治が安定した後は中央に目を向けてみるべきかと」

「ほう……?」

「某の旧主である輝道様は昨年から今年にかけて積極的に畿内から東海方面に力を持つ大名、織田信長殿にしきりに接触を行っております。

 また、宿敵とも言うべき安東愛季殿も信長殿との関わりにより従五位下の官位を賜っております。信長殿の影響力を見るに一度接点を持ってみて如何でしょうか?」

「確かに一理あるな。信長殿の話は俺も聞いていたが……此処まで影響力があるならば、此方も動いてみるべきだろう。そろそろ、良い頃合いだろうしな」

 秀綱の意見に俺は思わず、笑みが溢れる。
 織田信長と接点を持つというのは史実での俺がやっていた事であり、次に起こすべき行動として俺が考えていた事。
 安東愛季、小野寺輝道の両名もこの頃には信長とは接触を図っており、有名どころでは伊達輝宗も既に接触を図っている。
 奥州の諸大名も注目している信長の影響力は侮れないものがある。
 強大な勢力を持っているのは勿論だが、朝廷に対しても影響力を持っている事が特に大きく、鎮守府将軍を称している俺にとっては信長は避けて通れない。
 鎮守府将軍は朝廷が任命する官職であり、正式に任命して貰うには此方からも朝廷への献金を行うと共に信長の口添えを貰う事が確実だからだ。
 しかも、信長が家臣達や諸大名に与えた官職は全て”本物”であるため、鎮守府将軍のような官職は奥州での立場に大きく影響を与える。
 室町幕府無き今、伊達家の奥州探題、最上家の羽州探題も有名無実化しており、幕府とは関係のない鎮守府将軍は奥州において唯一、名も実もある官職となる。
 俺が鎮守府将軍を称したのもこれが最終的な狙いであり、称した時より考えていた一手。
 正式に官職を受ける事で奥州における戸沢家の立場を明確にし、後に征夷大将軍に就任する事を視野に入れるであろう徳川家康の行動を阻止する。
 これは征夷大将軍とは事実上の対極に位置する鎮守府将軍でしか出来ない事だ。
 ある意味で後の歴史の全てを覆し兼ねない事だが、史実とは違う歴史を歩むならばこのくらいの事はやってのけなくてはならない。

「では、今暫く領内の整備を行なった後に年が明けたら秀綱の言う通り、織田信長殿に接触する。今はまだ公にはしないが、秀綱もそう心得てくれ」

「ははっ! 畏まりました!」

 秀綱が知らずして意図を読み取ってくれている事に頼もしさを覚えつつ俺は信長に接触する事を決断する。
 家督を継承して以来、史実とは異なる行動を起こし続けてきたが……遂に史実とは同じ行動ではありながら全く以って違う意味を持つ行動を取る時がきたのだ。
 俺はそれを実感しながら、秀綱との話を終えるのであった。















 ――――1580年1月初旬















 盛安が領内の整備に専念し、更に3ヶ月の月日が流れた。
 積極的な軍事行動を起こし続けていた今までとは一転した静観とも言うべき、戸沢家の雌伏。
 傍から見れば不気味と思われがちだが、此処まで拡大した勢力範囲を踏まえれば無理もない。
 角館、由利、庄内、真室を領地とした今の戸沢家は史実での全盛期の力を大きく凌駕している。
 既に石高だけでも史実の倍近くはあり、治水が順調に進んでいる事から最終的な石高はどれほどのものになるかは予測出来ない。
 最終的には出羽国随一の石高を持つに至る可能性も考えられる。
 だが、一気に勢力を拡大したため、領内の整備が万全ではないのも事実であり、盛安が軍事行動を控えたのも間違いではない。
 無論、盛安としては畿内へと足を運ぶという目的があったため、足場を固める事に全力を傾けたのだが、それは他の大名が知る由はなかった。
 何れにせよ、戸沢家が軍事行動を起こさなかった事で出羽国内では暫しの平穏が続いていたとも言うべきだろう。
 しかし、真室の戦いから年が明けるまでの僅かな間に各地では動きがあったのも事実である。
 1579年10月には武田勝頼と佐竹義重の間に甲佐同盟が成立し、同月5日には徳川家康の嫡男である松平信康が自害している。
 奥州で大きく歴史が動いた後の僅か数ヶ月の間に中央では目まぐるしく事態が動いていた。
 これもまた、因果の成せる業と踏まえるべきだろうか。
 1579年における目まぐるしい出来事は新たなる年となる1580年もまた多くの動きがある事を示唆しているようであった――――。





「宿敵の一つである小野寺と雌雄を決し、また新たなる年を迎えた。皆の者、今年も宜しく頼む」

「ははっ!」

 角館に家臣一同を集め、家督継承から2度目の新年を迎えた。
 昨年は矢島満安が新たにこの席に加わっていたが、今年は新たに鮭延秀綱がこの席に加わっている。
 更には小野寺家に対する優位が決まった事で六郷政乗もこの席に加わっており、僅かな期間で人物が増えてきつつある事を実感させられる。
 思えば、史実とは随分とかけ離れてしまったのだからそれも無理のない事か。
 勢力圏は以前の全盛期の倍にも及び、奥州でも何かと注目されるようになってきている。
 現在の当主である俺についても家督を継承して以来、積極的な軍事行動で全盛期を築き上げた点で評価されている。
 更には真室の戦いでは俺が不在にも関わらず、寡兵を以って兵力に優る小野寺家に勝利したのも大きい。
 大名個人としても大名家としても今の戸沢家は出羽国内……いや、奥州でも有数の大名となりつつあった。

「それで、新たな年になったと言う事で今後を如何にすべきかだが……俺は自らの足で畿内へと赴こうと思っている」

「なんですと!? 正気にございますか?」

 それ故に俺は自らの足で畿内へ向かう事を家臣達に宣言する。
 史実では昨年に利信を使者として畿内に派遣しているが、その頃は小野寺家とは雌雄を決しておらず、俺自身も父上や兄上の手を借りていた頃だった。
 そのため、俺自身が畿内へと行く選択肢は考えられなかった。
 また、俺が史実より信長との接触を1年送らせたのには理由がある。
 1580年(天正8年)は織田家と本願寺との間に行われた石山合戦が終結した年であり、戦に加わっていた雑賀衆も法主である本願寺顕如に従って石山を退去している。
 雑賀衆は豪族という側面と傭兵という側面を持つ、特殊な勢力で石山合戦の後は本願寺との契約が解除されている。
 俺が狙っていたのはこの雑賀衆が顕如に従って石山の地を退去する頃合いだったのだ。
 この時期ならば雑賀衆の全ては不可能でもほんの一部くらいなら契約する事も不可能ではない。
 優秀な武将を抱え、優れた鉄砲隊を持つ雑賀衆を引き込む事が出来れば最上家や安東家とも存分に戦える。
 また、戸沢家の盟友である上杉家と敵対している伊達家と蘆名家を牽制する事も可能だ。
 雑賀衆を得る事は戦力的にも戦略的にも大きく状況を変える事が出来るため、是非とも引き込みたい。
 豪族としての側面だけではなく、傭兵という側面を持つ雑賀衆は俺自身が直接交渉しなければ従える事は出来ないだろう。

「無論、正気だ。俺は単身で上洛し、織田信長殿と朝廷への謁見を行うつもりでいる。鎮守府将軍の名を正式なものとするにはそうするしかない」

 それに雑賀衆を引き込む事だけではない。
 現在称している鎮守府将軍を現実のものとするのにも俺が自ら交渉する気概が必要だ。
 官位としてはそれほど高いものではなくても、特殊な官職である鎮守府将軍は複雑な立場にあり、容易には認められない。
 普通に使者を派遣するだけでは、任官する事もお墨付きを貰う事も出来ないだろう。

「ぬ……確かにそれでは盛安様が直接出向くしかございますまい」

「しかし、殿が単身で出向くのは危険過ぎます。せめて、満安殿を御連れ下され」

「だが、盛安殿と満安殿の2人がいなくなれば安東家が動くかもしれぬ。慎重に事を考えるべきではなかろうか」

 俺の出した結論に利信、盛直、盛吉を中心とした家中を代表する者達が響めく。
 鎮守府将軍を正式なものとするには俺自身が出向くしかないだろうし、単身で行かなければ織田家に対して余計な誤解を招く可能性もある。
 同行者をつけるにしても満安かまたは秀綱、政房くらいしか安全の保証は出来ない。
 だが、俺に同行させるのに適している3名は全員が戸沢家の軍事における中心人物。
 俺に加えて彼らの内で誰かが抜けたとなれば余計な事を考える輩も現れかねない。
 家臣達が危惧するのも当然の事だ。

「沈まれ、皆の者!」

 そんな中で鋭く、一喝する者が現れる。
 俺の父親である戸沢道盛だ。

「此度の件は満安、秀綱、政房の何れかが同行する事を条件に盛安の思う通りにさせよ。盛安がこうも言っておるのだから何か思案があるのだろう。
 それに我ら戸沢家は当主が幼少であろうとも常に結束してきた。当主が一時的に国を離れていても揺らぐ事は決してあるまい」

「……」

 父上の言葉に場が静まり返る。
 今までの戸沢家の在り方を考えれば正にその通りだからだ。
 しかも、俺よりも若くして当主になったという背景を持つ父上が言うのだから説得力もある。
 戸沢家は当主の力が弱くとも家臣達が結束して支える事で今まで乗り切ってきたのだから、従来通りの事と思えば何の事はない。
 父上がこの場にいる全員に伝えたいのはそういう事だった。

「……と言う事であるから、盛安は存分に動くが良い。御主が不在の間はこの儂が責任をもって預かろう」

「はい、父上。御配慮に感謝致します」

 俺の意図を読み取り、話を纏めてくれた父上には感謝するしかない。
 此処で話が纏まらなくては俺が畿内へ出向く事など夢のまた夢でしかなかったからだ。
 こうして、父上の後押しを受けて俺は一時的に出羽国を離れ、畿内で活動する事を正式に家中へと認めさせる事に成功した。
 後は織田信長を始めとする歴史に名を残す人物達を相手に一歩も退く事なく立ち回るだけだ。
 上手くやれるかやれないかは別として存分にやってみるしかない。
 奥州の出羽国という片隅に在る俺の眼前に畿内への道はいよいよ、開かれようとしていた――――。
































 From FIN



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