夜叉九郎な俺
第20話 雌雄決す





「なっ……戸沢盛安の旗印だと!?」
 秀綱の奇襲があると読んでいた道為の目の前に翻った丸に輪貫九曜の家紋の旗。
 先の由利での戦において盛安が掲げていたというその旗がこの機において現れる事は想定外であった。
 此度の戦において盛安が出陣しているという報告を受けていないからだ。

「いや、これは秀綱の計略か。戸沢家の旗印を持つのは此度の戦に参陣している戸沢盛吉殿も同じだ。可能性としては其方の方が高い」

 だが、道為は冷静に秀綱の計略である事を看破する。
 如何に盛安とて、完全に情報を封鎖した状態で軍勢を動かす事など出来はしない。
 この段階で盛安が援軍として現れるとなれば、報告が既に入ってきているはずだからだ。
 今の盛安の武名からすれば単身または少数での動きではない限り、その動きは注目されてしまう。
 例え、小野寺家内で解らなくとも他家の微妙な反応でも道為からすればその動きの予測は付けられるのである。

「皆の者、うろたえるな! これは秀綱めの仕業ぞ!」

 翻った戸沢家の旗印を前に道為は秀綱が動いた事を察し、声をはりあげる。
 本来であれば、この場には存在しない戸沢家の旗印――――。
 これはあくまで秀綱が己の身を悟られないようにするために利用したもの。
 道為にはそれが誰よりも解っているため、冷静に指示を出す。
 此処で動じれば、秀綱の思うつぼだ。

「や、夜叉九郎だ――――!?」

 しかし、道為の言葉とは裏腹に大きく動揺する足軽達。
 満安と渡り合い、鬼とも夜叉とも呼ばれるようになった盛安の名は伊達ではない。
 すぐ近くで繰り広げられる悪夢のような光景を目にしてしまっている現状では動揺が広がる可能性も充分に考えられる。
 だが、道為の率いる軍勢は本来ならばこの程度で動じる事はない。
 軍勢は指揮を執る武将によって色が濃く出るというが、道為の軍勢は本人の気質を反映してか冷静に立ち回る事の出来る軍勢であった。

「ちっ――――抜かったか! 秀綱め、流石にやりおる!」

 自らの軍勢が動じてしまったという状況に道為はその原因であろう足軽の姿を目にし、舌打ちする。
 道為が記憶している限り、夜叉九郎の名を出して動揺を持ち込んだ足軽は鮭延氏の手勢の者。
 戸沢家の旗印が翻った事で周囲の者が目を奪われた時に生じた僅かな隙に付け込み、秀綱は自らの手勢の一部を動かしていたのだ。
 電光石火の如く軍勢を動かす事は秀綱が得意とする事であり、真骨頂ともいうべき事。
 戸沢盛安此処に在りと意図的に宣伝する事によって、虚を実に見せかける。
 例え、それが半信半疑であっても目の前に翻るはずのない戸沢家の旗印があれば、否応なしに信じざるを得なくなる。
 道為自身が計略である事を察していても、足軽達では察する事が出来ない事を秀綱は利用してきたのである。
 ある意味で読まれる事を計算した上で手を打っていた秀綱の臨機応変の采配は流石というしかない。
 小野寺家中でも知勇兼備の将と評された彼の人物らしい戦い方だといえる。
 道為は秀綱の見事なまでの采配に感嘆しながらも、被害を最小限に抑えるべく采配を執るのであった。















「も、申し上げます! 八柏道為殿が交戦中!」

「それは此方の予測通りの事、気にする事ではあるまい」

「で、ですが……道為殿が戦っておられる相手の旗印は戸沢盛安のものなのです」

「な、何じゃと――――!?」

 道為が戸沢家の軍勢との交戦を開始したという報告に秀道は信じられないといった表情を浮かべる。
 奇襲があるだろうという事は道為の進言もあり、予測の範疇ではあったが此処で盛安の旗が出てくる事は想定していなかった。

「あの若僧は如何なる手段を以ってして現れたのだ? 先の戦と同じく、我らが察する事のないように兵を伏せていたのか?」

「秀道様……如何致しましょう?」

「どうもこうもない! 満安に手間取っている現状で盛安まで現れたとなれば戦にはならぬわ! 道為が如何に奮戦しようとも此方が満安に押し切られる」

「それでは……?」

「義道と茂道にも伝えよ、戸沢盛安めの奇襲在り――――とな」

「畏まりました!」

 想定外の事態に秀道は冷静な判断を下す事が出来ず、戸沢盛安が現れたという情報を鵜呑みにしてしまう。
 普段ならば、盛安が動く事はありえないと判断出来たはずだが、満安と戦っている現状では熟考する余裕など全くない。
 ましてや、盛安は満安と互角に渡り合った事で武名を轟かせているのだ。
 単騎だけで小野寺家の兵を尽く蹴散らしていく満安の驚異的なまでの武勇に盛安まで加わったとなれば最早、流れは戸沢有利としかならない。
 しかも、側面を突かれた形なのだ。
 このまま盛安が突き進んでくれば秀道の軍勢を含め、一気に小野寺家の軍勢は崩されてしまう。
 例え維持しようとしても結局は満安に押し切られる形となり、正面から突破される。
 秀道には盛安と満安の双方を同時に相手にする事が出来るだけの采配や武勇は持ち合わせていなかった。
 動揺が動揺を呼び、真偽も定かではないにも関わらず、盛安の旗印が翻ったという情報によって戦局が大きく傾こうとしていたのである。
 正に虚を突かれたとしか言いようがない。
 真っ先に盛安の旗印と槍を合わせる事になった道為ならば真偽も定かにしているだろうが、満安の奮戦によって余裕がない現状では確かめるだけの時間もないのだ。
 それ故に道為を除く、秀道を始めとした小野寺家の諸将は此度の戦が終わるまで重大な事に気付く事はなかった。
 全ては鮭延秀綱の奇策によって踊らされただけであったという事に――――。















「鮭延秀綱、此処に在り! 某の首を所望する者らから参られよ!」

 戸沢家の旗印によって混乱し、敵勢が崩れた頃合いを見計らって秀綱は自らの旗印を掲げ、名乗りを上げる。

「鮭延秀綱まで来たぞ――――!」

「これじゃ戦にならねぇ! 俺は逃げるぞ――――!」

 盛安の襲来という誤報により、混乱している最中で更に小野寺家中では若くしてその人在りと言われた秀綱の名が上がった事で一部の足軽達は逃亡を始める。
 前方には矢島満安。
 側面には戸沢盛安と鮭延秀綱。
 盛安に関しては秀綱の策による偽情報でしかないのだが、不意を突かれた形となった小野寺勢からすれば真偽を確かめる余裕はない。
 秀綱の行なった方法はそれだけ奇抜であり、柔軟な発想力がなければ思いつかないような方法であった。
 此度の戦に道為だけではなく小野寺輝道も参戦していればこの結果は大きく変わったであろうが、運命は戸沢家に味方した。
 盛安が参戦する事がなかったが故に行う事が出来た奇策と敵方には道為以外に策の駆け引きに長けた人物がいなかったという事。
 ある意味でこの両方の条件が揃っていたが故に秀綱の力を存分に振るう事が出来たのだ。

「無念だが……これまでか」

 混乱している状態から更に秀綱まで表に出てきたとなれば最早、軍勢を立て直す事は不可能。
 道為は自らの不甲斐なさに歯痒く思う。
 奇襲がある事を読み切っておきながら、秀綱が奇策を行う事を読み切れなかった。
 秀綱の奇策に関しては戸沢方に一門衆の戸沢盛吉が参戦している段階でそれを警戒しなくてはならなかったのだ。
 その場の在り合わせの戦力だけで戦を組み立ててしまう秀綱を相手にする上でこれを失念していたのは命取りに等しい。
 道為は此度の戦の責任は自らにあると思った。
 最早、責任を取ってこの戦で散るしかない。

「道為殿! この場は退かれよ! 貴殿を失っては小野寺は立ち行かなくなる!」

 だが、その考えも秀綱には悟られていたようで逆に止められてしまう。

「秀綱っ……!」

 悔しいが秀綱の言葉は的を射ている。
 今までは道為と秀綱が最上家の北上に備えていたが、その片方が離反したとあればその前提も崩れてしまう。
 ましてや、相手が最上義光となれば秀綱の不在が大きく響く。
 これで道為が亡くなれば義光は最上八楯を掃討した後、小野寺家を一気に滅ぼしてしまう事だろう。
 秀綱の言葉には道理があるといえる。

「……解った、御主の好意に感謝する。皆の者、退却だ! 若殿や秀道様達にも我が方が奇襲にて打ち破られた事を伝えよ!」

「ははっ!」

 道為は秀綱の言葉に応じ、退く選択をする。
 最早、軍勢の士気も下がり、混乱してしまっている状況では戦にならない。
 秀綱の奇襲が全ての決め手となったというべきだろう。
 盛安の旗印を使うという奇策には流石の道為も対処する事は敵わなかった。
 前線が崩され、側面も崩されれば、如何な名将であっても立て直す事は難しい。
 此度の戦は秀綱の采配に軍配が上がったのだ。
 道為はそれを認め、潔く負けを認める選択肢を取った。
 唯一、義道だけが負けを認めず、戦を続けようとする可能性も充分に考えられるが、最終的には多勢に無勢となってしまう事が解らない義道ではない。
 不満には思えど、戦の倣いには従うであろう。

「此度の戦、我が方の勝利ぞ! 勝ち鬨を上げよ!」

「えい、えい、お――――!」

 道為を始めに我先にと撤退を始める小野寺家の軍勢の姿を見ながら秀綱は堂々と勝利を宣言する。
 主要な武将を誰一人として討ち取ってはいない此度の戦だが、立て直すには暫くの時間が必要なほどの被害を与えている。
 兵力において優っていた敵を撃退したという事実は大きく、しかも損害に関しては敵方よりも圧倒的に少ない。
 少ない被害で相手には大きな被害を与えている事を踏まえると戦果としては充分であり、戸沢家の陣営に加わるという手土産という意味でも想定以上の成果だ。
 これ以上を求めるならば贅沢過ぎるといっても良い。
 しかも、旧主である小野寺家に対して追い討ちを行わないという潔さ。
 武勲をあげるという意味では絶好の機会でもあったが、秀綱は敢えてそれをしなかった。
 袂を分かつ事になったとはいえ、仕えていた事を蔑ろにしているわけではないのだ。
 寧ろ、最後の御奉公として見逃す事を選択したと言うべきかもしれない。
 秀綱の戦は甘いと思われる部分はあれど、一人の武将としては見事なものであった。
 此度の真室の戦いは鮭延秀綱の名を大きく広める事になるだろう。





・真室の戦い結果





 戸沢家(残り兵力 585)
 ・ 鮭延秀綱(足軽45、騎馬25、鉄砲20)    90(戸沢家旗印、鉄砲借用)
 ・ 矢島満安(足軽85、騎馬65、鉄砲20)    170
 ・ 戸沢盛吉(足軽170、騎馬30、鉄砲30)   230
 ・ 佐藤信基(足軽15、騎馬20)        35



 小野寺家(残り兵力 580)
 ・ 小野寺義道(足軽130、騎馬90)      220
 ・ 大築地秀道(足軽50、騎馬30)      80
 ・ 小野寺茂道(足軽120、騎馬50)      170
 ・ 八柏道為(足軽80、騎馬30)        110



 損害
 ・戸沢家            115
 ・小野寺家    270



 討死 なし





 結果を見れば戸沢家も小野寺家も殆ど同数の兵力を残しているが、小野寺家の受けた損害は戸沢家の2倍を超えている。
 事実上、この戦は損害が少なく、戦の流れを掌握した戸沢家に軍配が上がる。
 因縁とも言うべき戸沢家と小野寺家の戦は大名である戸沢盛安と小野寺輝道の両名が不在のままであったが、これで雌雄は決したといっても良いだろう。
 戦の結果を見ればそれは如何見ても明らかなのだから。
 全ては戦が始まる前の両陣営の兵力と戦が終わった後の両陣営の兵力が物語っている。
 双方とも動員出来る兵力の出し切ったわけではないが、僅か1年の間で大きく勢力を広げた戸沢家の方が実際の動員力においては勝っているのだ。
 裏を返せば戸沢家は戦力を抑えていたにも関わらず、動員力の殆どを費やした小野寺家を打ち破っている。
 これは両家の版図が大きく塗り替えられた事を証明し、力の差が大きくなっていた事を証明していると踏まえるべきだろう。
 此度の真室の戦いにて最も大きな役割を果たした、鮭延秀綱――――この時、僅かに17歳。
 出羽国内の覇権争いに大きく影響するであろう、この戦の終止符をうった秀綱の名は揺るぎないものとなる。
 こうして、史実とは違う歴史の中にまた一人、新たな人物の名が記される事になったのである――――。































 From FIN



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