夜叉九郎な俺
第17話 鮭延秀綱





 ――――1579年8月





 上杉景勝と正式に盟約を結び、最上義光に対する牽制が可能となった事で俺は本格的に領内の整備と軍備の増強の準備を進める事を決める。
 角館から由利、酒田に至るまで一気に勢力が拡大した今の戸沢家は出羽国の中でも3番手に位置するほどの大名となっている。
 特に出羽北部においては安東家に次ぐ力を持つ大名という事で従ってくれる豪族も以前に比べれば随分と増えた。
 元々は戸沢、小野寺間で中立の立場にあった六郷氏からも勢力に大きく差が出来たという事で正式に陣営に加わりたいとの打診が来ている。
 まずは出羽北部の地盤を固める事が重要であると見ていたが、これについては順調に事が進んでいると考えても良いだろう。
 後は南の小野寺家と雌雄を決する前に切り崩しを行なっておく事が現状の成すべき事だ。
 中でも鮭延秀綱の切り崩しは最優先で行うべき事であり、小野寺家との戦を早期に決するには彼を味方に出来るかにかかっている。
 史実でも智勇共に兼ね備えた人物であると評された秀綱は是非とも陣営に加えたい人物。
 今までは秀綱に調略を行う事などは全く考えられなかったが……由利十二頭を抑え、酒田にまで進出した今ならばそれも可能だ。
 満安を始めとした由利十二頭の領地を勢力圏に加えた事により、秀綱の治める領地とは殆ど接する形となったため、調略は現実的な手段となっている。
 特に小野寺家の次代の当主である小野寺義道の短慮な性格もそれに後押しをかけており、秀綱は義道の器量を大いに疑っているという。
 義道は確かに勇猛で出羽国内では若いながらも武勇の士として評判が高いのだが……。
 余りにも直情的な性格であり、何事にも激情に任せて動く人間であるとの評価が周知の事実だ。
 そのためか、武勇も知略も持ち合わせる秀綱は義道とは今一つ、折り合いが悪い。
 寧ろ、義道の方から秀綱の事を疎んでおり、武将としての器量に嫉妬しているとの話も聞いている。
 何れにせよ、秀綱も義道も御互いが良く思っていない事は確かなようだ。
 史実でも秀綱が最上義光に簡単に降ったのも義道の事を見限っていたからに他ならない。
 鮭延秀綱という人物は自らの力を存分に振るえる主君の下で働く事を望んでいると見ればそれは間違いではないだろう。
 そういった意味では間違いなく、義光は秀綱の力を存分に震わせてくれる人物であったからだ。
 しかし、義光の下に秀綱が降ってしまうといよいよ、此方が大きく不利となってしまう。
 庄内が接し、勢力圏でも劣っている現状では全てを最上家と戦う事に費やす覚悟をしなくてはならない。
 現状は後ろに安東家を抱え、小野寺家を抱えている限り、それは出来ない。
 上杉家との同盟が成立した今でこそ、先行きの目処が立っているが、現状は大法寺家とも敵対しているために如何しても戦力が不足する。
 だが、秀綱を得る事により小野寺家の弱体化に繋がる上に最上家、大宝寺家の双方に対して牽制出来る地を得る事にも繋がる。
 そのため、俺は秀綱を切り崩す事で次の段階へと進む事が出来ると踏んでいた。
 例え、軍勢を思う通りに動かす事が出来ない状態にあっても秀綱が動く事を切欠にして、小野寺家が何かしらの動きを見せる可能性が高い。
 そして、その時こそが俺の望んだ小野寺家との雌雄を決する時であり、出羽国内の情勢を戸沢家有利に傾ける最速の手段。
 下手をすれば博打になる可能性もあるが、満安と秀綱の両名が揃えば軍勢の数における不利は全く意味のないものとなる。
 例え、相手が小野寺輝道だろうが小野寺義道だろうが勝機は充分だ。
 戦は兵力の数だけで全てが決まるわけではないのだから――――。















 ――――鮭延城















「むむ……戸沢殿は此処まで某を見込んでいるのか」

 盛安から書状が届いた書状を読みながら、唸る10代後半くらいの年頃であろう若き人物。
 若くして、小野寺家の最前線ともいうべき鮭延城を任されているこの若者は鮭延秀綱という。





 ――――鮭延秀綱





 若干、17歳という若さで城主を務める鮭延氏の現当主。
 智勇を兼ね備えた人物として評判が高く、出羽国内においてその名も高い人物。
 史実では直江兼続に苦渋を飲ませた人物として有名で、兼続に「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」とまで言わせたほどである。
 更には小野寺家から最上家の家臣になった後も家中随一の俸禄を賜っていた事でも知られており、その器量は最上義光からも大きく評価された。
 現代の時代での知名度はそれほど高くはないが、秀綱は奥州の中でも際立って活躍した武将であり、名将と呼ぶに相応しい人物であるといえよう。





「まさか、小野寺家に属するこの秀綱を迎えたいと包み隠す事なく言ってくるとは……」

 秀綱は盛安からの書状を読み終えたところで大きく息を吐く。
 書状に書かれていた内容は秀綱の事を評価しているという事と、戸沢家に属する気はないかという誘いの事。
 敵対している大名家の家臣に誘いの書状を送り、内応を促すのは良くある話だが盛安の場合は純粋に秀綱を迎えたいとの旨が書かれているのみ。
 既に戸沢家とは力関係が逆転しているはずの小野寺家の現状については一切、触れてはいない。
 力関係については意図的に話に触れてはいないだけなのだろうが、現状では戦っても小野寺家が戸沢家に勝てる保証は少ない。
 盛安がそう遠くないうちに小野寺家と雌雄を決するつもりである事は秀綱にも予測がついているだけに此度の書状は通告とも取れる。

「しかし……戸沢殿の書状が直接、此方に届いている事を見ると領内には戸沢家の手の者が回っているのは間違いないな。

 若殿からは戸沢家の使者には応ずるなと言われているが……それが行き届かなかった事も踏まえると既に鮭延城にも調略の手が回っているのだろう。
 それか、我が鮭延に属する者達も小野寺家よりも戸沢家に好意を寄せているか如何かだ。何れにせよ、戦ったとしても戦にはなるまい」

 戸沢家とは敵対しているという現状にも関わらず、盛安からの書状があっさりと届けられた事について秀綱は既に調略の手が回ってきている事を察する。
 鮭延城を中心とした領内は治安も決して悪くはないはずなのだが……。

「既に出羽北部から中部は戸沢家と安東家に傾いている、か。それに対して、今の小野寺家は若殿である義道様が後を継ぐための準備が進んでいる最中。
 しかし、義道様が当主となった暁には、某は小野寺家に必要とはされなくなってしまう。義道様の振る舞いを御諌めしてきたがそれが裏目に出てしまっているのだ。
 小野寺家から離れるのも頃合いなのかもしれぬ。このまま、戦になったとしても義道様が援軍を下さる事はあるまい。孤軍で戸沢家と戦う事は不可能だ」

 秀綱は出羽国の情勢が戸沢家に傾きつつある事を実感する。
 それに今の自分の立場が良いものではないという事も。
 義道とは既に険悪な仲となりつつある現状では戸沢家との戦に持ち込んだとしても主家である小野寺家から援軍が得られるとは考えられず、独力で戦うしかない。
 昨年までの戸沢家であれば勝機は充分にあったのだが、矢島満安を抱える今の戸沢家が相手では秀綱とて勝機を見い出す事は不可能だ。
 それに大名としての地力も戸沢家に上回られた今、総力戦で漸く勝機があるか否かでしかない。

「これも時勢か……。戸沢盛安殿の器量も確かである事が解っている今、戸沢家に従うのも一考だろう。某の力が存分に振るえるのならば、否はない」

 時の勢いが戸沢家にある事を認めた秀綱は戸沢家の陣営に加わる事を決断する。
 戸沢家の現当主、盛安は僅か1年と数ヶ月で出羽北部に確固たる勢力を築き上げた人物。
 中でも鎮守府将軍を称した話は出羽国内でも有名だが、戸沢家の勢力拡大の様子を踏まえるとその名に恥じないだけの器量を備えていると思える。
 また、悪竜の異名を持つ豪勇の将である矢島満安を降した事が盛安の武名を著しく高めており、夜叉九郎とも鬼九郎とも呼ばれるほどに名が広まりつつある。
 器量ある主君を望む秀綱からすれば、盛安は充分に条件に当て嵌まっていた。
 もし、他に出羽国内で主君に望むとするならば最上義光か安東愛季くらいだろう。
 秀綱は戸沢盛安という人物が如何なる者かを思い浮かべながら返答の書状を書き始めるのだった。















 ――――1579年8月末





 鮭延秀綱が戸沢盛安の要請に応じ、小野寺家から離れる事を表明した。
 この事に対して小野寺輝道は冷静であったが、次代の当主である義道は激しく怒り、小野寺家は鮭延征伐の軍勢を立ち上げる。
 だが、義道の行動は読まれており、秀綱は表明した段階で既に軍備を整えており、所領が近い矢島満安にも小野寺家が動くであろう事を伝えていた。
 秀綱は自らが動く事で戸沢家と小野寺家の雌雄を決する戦が始まる事になるだろうと見極めていたのだ。
 この状況は勇猛ではあるが短慮な性格の義道と勇猛でありながら理知的な側面を持つ秀綱の差が良く現れたものであり、両者の違いを如実に現しているといえる。
 初期の段階から義道が動くであろう事を読んでいた秀綱に対し、憎しの感情のみで動いた義道。
 智勇を以って戦う秀綱と武勇のみを以って戦う義道の衝突はいよいよ、避けられなくなった。
 これにより、戸沢家に属した秀綱と小野寺家の次期当主である義道の戦となり、この衝突は戸沢家と小野寺家の戦へと発展する。
 酒田を得てから間もない戸沢家からすれば早過ぎた戦となるが、鮭延秀綱が味方となるならば、それには目を瞑るしかない。
 唯、領内の整備と軍備の増強を始めたばかりである戸沢家は思うように軍勢を出す事が出来ない。
 その点においては不利であると言わざるを得ないだろう。
 しかし、戸沢家の軍備が万全ではなかったが故に小野寺家は兵力の上では互角以上に持ち込める。
 小野寺家からすれば雌雄を決するには兵力と軍備の差が広がりきっていない今が好機なのだ。
 そのため、輝道は義道の鮭延征伐に異を唱えなかったのだろう。
 戸沢家との戦に持ち込むにはこれ以上の都合の良い理由と状況は存在しないのだから。
 だが、鮭延秀綱を調略した事により、自らの手で新たな戦を呼び寄せた盛安が愚か者なのか、大物なのかまでは解らない。
 思うように軍備が整えられない今の状況で戦の切欠を創るなど、常識外であるからだ。
 それ故に小野寺輝道を以ってしても気付かなかった。
 鮭延秀綱の調略から始まった一連の流れはあくまでも盛安が望んだものであり、早期の決着に導くための布石であったという事に。
 要するに義道は盛安の思惑に沿う形で釣り出されたのである。
 互いにそれぞれの思惑が交錯する中――――。
 いよいよ、戸沢家と小野寺家の雌雄を決する切欠になるであろう鮭延秀綱と小野寺義道の戦が始まろうとしていた。































 From FIN



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