夜叉九郎な俺
第16話 義将、二人





 ――――1579年5月末





 為信との会談が終わり、同盟を結んで暫くの後。
 俺は為信が去る前に提示してきた一つの策について思案していた。
 その提示された策は安東家の分裂を謀るもの。
 内容を簡単に説明すると安東愛季が行おうとしている檜山安東家と湊安東家の統一を妨げると言うのが為信の考えた策。
 現在、湊安東家の当主である愛季の実弟、安東茂季は病にかかっており、余命も残り少ないという。
 この時、湊安東家の後継者となるのは茂季の息子である安東通季である事は間違いない。
 だが、通季は俺よりも僅かに2つ歳上でしかなく、湊安東家を切り盛りするには些か若いと言われている。
 そのため、愛季が通季の後見人という立場になるのは確実だ。
 正直、この点に関しては座して待つわけにはいかないと考えても無理はない。
 俺達の側からすれば湊安東家の当主である通季が愛季が後見人となる事を拒否し、茂季の代と同じように独立した立場を維持させる事が望ましいからだ。
 そういった意味では内心では愛季が後見人となる事を望んでいない通季を篭絡する事が上策だろう。
 また、通季を篭絡するだけでなく、蝦夷の蠣崎家にも使者を送り、意図的に接点を示す事で愛季に僅かな疑念を抱かせ、蠣崎家の動きを止める。
 安東の傘下にいる蠣崎家が動かないとなれば通季が話に乗ってくる可能性は随分と高くなるため、為信の策は充分に道理に適っているだろう。
 為信が懸念しているのは愛季が通季を後見する事により、湊安東家を完全に取り込んでしまう事。
 これにより、統一された安東家は今以上に大きくなり、手に負えなくなる存在に成りかねない。
 それ故に為信は俺に一計を伝えてきたのである。
 因みに史実における愛季は”湊安東家当主の後見人”となった事を利用して両安東家を統一しているため、為信の予測は完全に当たっている。
 両安東家が統一される事により、只でさえ大きい安東家の勢力は更に大きくなってしまうのだ。
 しかしながら、それを解っていても俺には安東家に集中するわけにはいかない事情があった。
 そう、越後の上杉家の事情である。
 1579年の3月に御館の乱が集結し、現在は戦後処理に追われている現当主、上杉景勝に同盟の打診と戦後処理にて注意すべき点を伝える事。
 現状において、俺が最優先に行わなくてはならない事項の一つである。
 上杉家は先代の謙信の頃までは庄内の大宝寺家と同盟を結んでいたが、御館の乱の際に景虎側に味方したため、庄内における味方を失っている。
 しかし、出羽南部において最上家と戦っていた上杉家としては如何しても庄内方面に味方が欲しい。
 そのため、酒田にまで進出した戸沢家が同盟の打診を行えば確実に受けてくる事は間違いなかった。
 また、戦後処理にて注意すべき点を伝えるという事。
 これについては同盟以上に重要なもので、この時の戦後処理の恩賞に不満を持った新発田重家の反乱を未然に防ぐ意味合いがある。
 とりあえず、助言すべき点は三条城を含めた周囲の領地を必ず重家に与える事。
 何故、伝えるべき内容がこうであるかは史実において重家が反乱を起こした最大の理由が三条城に関係する事であるからだ。
 景勝としては自分の小飼いの家臣である上田衆に領地を与えたいところであろうが、重家に三城の地を与える事は後の事を踏まえれば必須である。
 俺の方からは直接伝えたところで如何にもならないが、御館の乱の功績により、家老に出世した直江兼続なら此方の意図を理解してくれる可能性は高い。
 新発田重家という人物がどれほど戦上手であり、上杉家に欠かせない人物であるかを理解しているからだ。
 この件に関しては景勝と兼続の手腕に委ねるしかないが、何れにせよ、重家の反乱が上杉家の衰退を象徴する事になり、織田家の侵攻を招いてしまう事に繋がる。
 そうなれば、上杉家は出羽国どころではなくなってしまう。
 後々に庄内の地を狙ってくる可能性が高い最上家に備えるという点においても、上杉家の弱体化は避けなくてはならない事であった。

(難しいところ、だな)

 為信の提示してきた策も魅力的ではあるが、現状は上杉家に対処するので手一杯だ。
 通季を篭絡するだけでなく、蝦夷の蠣崎家にも根回しをするという念の入れようであった為信の策は出羽北部の統一を目標とする点では有効な一手。
 実際に試してみたいと思える。
 しかし、この策における最大の問題は相手が安東愛季であるという事。
 傍目からすれば、道理であろう策も通じない可能性があるのだ。
 智勇を以って南部家と真っ向から渡り合い、内政に至っては大湊を開発し、奥州最大の港町を築き上げた。
 領内の発展に尽くし、奥州でもその名を知られる安東愛季――――。
 僅か一代で安東家の最全盛期を築き上げたその器量は疑う余地もない。
 それ故に為信の提示した策がどれだけ有効であろうとも躊躇ってしまう。
 また、安東家の事に集中すれば今度は上杉家への対処が行き届かなくなってしまう。
 今後の酒田方面の統治を踏まえれば上杉家と繋ぎを入れる事は必須であるため、如何しても同盟を結んでおく必要がある。
 上杉景勝と直江兼続に繋ぎを取り、連携が取れる状態にしておく事は庄内地方を治めるにあたり、必要な事であるからだ。
 そのため、上杉家で起こる可能性のある新発田重家の反乱は未然に防ぐ事が重要となる。
 史実における織田家の侵攻を招いた要因であるこの反乱を潰しておく事で、出羽国に目を向ける余裕を与えさせる事は最上家の牽制に繋がる。
 出来る限り、最上義光を動かさないようにするためにはこの手しかない。
 義光が未だに最上八楯に手を焼いている今が好機なのだ。
 俺は為信の策の有効性を理解しながらも、上杉家とのやり取りを優先しなくてはならない事を悔やみながら、天を仰ぐしかなかった。















 ――――1579年6月















 御館の乱が集結から3ヶ月が経過し、戦後処理について話を纏めようとしている上杉家の下に戸沢家からの書状が届けられた。
 書状の内容は乱の終結の祝いの言葉と同盟の打診。
 そして――――処遇に悩んでいる新発田重家の事についてであった。

「……兼続」

「はい。戸沢殿が申される事、御受け致しましょう。大宝寺殿との繋ぎを失った今、戸沢殿の申す事は一理あります」

 書状を受け取り、言葉短く頷く一人の人物とその傍で代弁するかのように口を紡ぐ一人の人物。
 それぞれ、名を――――上杉景勝、直江兼続という。





 ――――上杉景勝





 越後の龍の異名を持つ、上杉謙信の後継者。
 言葉少ない人物であるが、義将として知られており、自ら得物を持って戦うという武勇でもその名を知られる人物。
 日頃より、先代の謙信を目標とし、その名に恥じない行いと武力の研鑽に励んだ景勝は戦国時代でも有数の武者であり勇将でもある。
 史実においても数々の反乱を乗り越え、上杉家中を引き締めた手腕は特筆出来る人物であり、謙信の後継者に相応しい人物であるのは間違いないだろう。
 1579年現在は謙信死後に勃発した後継ぎ争いである御館の乱を収めたばかりといった段階であり、今は軌道に乗り始める前といった段階。
 現状は盛安と同じく、家督を継承して僅か1年足らずであり、御館の乱の戦後処理と残っている景虎側の武将の対処に追われている。
 そのため、上杉家当主として漸く、働き始めたと言ったところであろう。





 ――――直江兼続





 景勝の腹心にして、生涯の友ともいうべき人物。
 幼い頃より景勝の傍近くに仕え、謙信からも薫陶を受けたとされる稀代の義将である。
 その活躍は政治、外交、謀略と多岐に渡り、時には戦においても手腕を発揮する程広く、名実共に景勝の手足となって働いた事で知られている。
 1579年現在は若干、20歳という若さで家老に就任し、御館の乱の戦後処理に追われる景勝を補佐しつつ対外的なやり取りも任されている状態。
 甲斐の武田家、相模の北条家を相手に立ち回り、この時の目まぐるしい対応が後の直江兼続という人物を形成するに至る過程であった。
 主君である景勝に負けず劣らず、忙しく働いている兼続は荒波に揉まれながら、自らを磨き始めていると言えよう。





「……新発田については」

「これについては申し上げるのは憚られますが……戸沢殿の見解は的を射ております。殿は上田衆に恩賞を下さる心積りだったと思いますが……。
 此度の景虎殿との戦、新発田殿が御味方してくれなければもっと辛いものになっておりました故に戸沢殿が申す事は誠にございます。
 先代、不識庵様も新発田殿の事は大いに評価しておりましたし……ここは新発田の家督継承の保証と三城の地を認めるしかありません。
 ここで我らが新発田殿と仲違いし、隙を見せる事は織田殿や最上殿の侵攻を招きかねませんので――――ここは戸沢殿を信じましょう」

「相、解った。兼続の申す通りにしよう」

 盛安からの書状を受け取った景勝は腹心である兼続に意見を求め、それに同意する。
 今まで繋がりがなかった戸沢家からの書状には驚かされたが、此方が乱の平定に時間を割いている間に酒田にまで進出していたとなればあり得ない事ではない。
 越後全土に勢力圏を持ち、北部で出羽と国境を接している上杉家は出羽の大名にとっては動向を気にするべき相手。
 新たに庄内地方の酒田を得た戸沢家が上杉家に繋がりを求めてくるのは可能性としても高い事であった。
 また、盛安の書状の項目の中にあった新発田重家の件も道理に適っている。
 盛安は書状の中で重家の事を称賛しているが、これは無理もない。
 何しろ、重家は御館の乱の際、景虎側に味方した諸将を降し、更には乱に介入してきた蘆名盛氏、伊達輝宗らの軍勢をも退けている。
 獅子奮迅とも呼べるその活躍ぶりは出羽国内で鳴り響いても当然とも言えるほどだ。
 裏を返せば、盛安のような他大名が此処まで重家を称賛しているのならば、上杉家中では尚更評価されても可笑しくはない。
 出来る限りは景勝に親しい者に力を持たせたかったが、武を重んじる上杉家としては重家を大いに評価するべきだ。
 客観的な視点での重家の評価が正にその通りであるならば、恩賞は相応のものでなくてはならない。
 景勝はそう思ったが故に兼続の言葉を取り入れたのである。
 それに態々、同盟を打診してくる戸沢家が嘘の評価を伝えてくるとは考えられない。
 自ら相手を煽るような同盟の話など持ちかけるわけがないのだから。
 先代である謙信も決して無下にするような真似はしないだろう。
 戸沢盛安の名はまだ聞いたばかりでしかないが、友好的な態度を以って接してきた相手を無視する事は流儀に反する。
 兼続も盛安を信じても良いと言っているならば、景勝には否という理由はない。
 新発田重家の件については周囲の目を考慮した上で、相応の恩賞を約束する事を良しとする。
 景勝はこうして、重家に与える恩賞の方向性を確定するのであった。















「しかしながら……此度の件を踏まえると戸沢殿とは機会があれば直接、御会いしてみたいものです。中々の器量の持ち主であると見受けます故」

「……うむ」

 重家の恩賞について話を纏め、一息したところで兼続は盛安の事を好意的に評価する。
 同盟の打診の件と御館の乱の戦後処理についての推察は共に的を射たものであり、戸沢家の現状についても考慮されていた。
 乱を経て、出羽国における盟友であった大宝寺家と手切れし、新たな盟友を欲していた頃合いに同盟の打診を行うとは先を良く踏まえた証拠だ。
 話によれば景勝と同じく、家督を継承して僅か1年程度というが、これは侮れるものではない。
 僅か1年と数ヶ月で由利十二頭を抑え、酒田をも抑えた盛安は紛れもない戦上手。
 出羽国内では正に新進気鋭とも呼べる活躍ぶりである。
 同じく、戦上手で知られる上杉家としてはそのような相手こそが味方に欲しい勢力であった。
 最上家、蘆名家、伊達家に手を焼いている現状において、出羽国内における盟友は是が非でも必要なため、盛安のような味方は望ましい。
 今後は大法寺家とも戦う事になるであろう事も踏まえれば、尚更だ。
 酒田を得た戸沢家の存在は思っている以上に大きい。
 同盟の打診がきた事は上杉家にとっては朗報ともいうべき事であった。
 そういった意味でも、此方が欲している事と自らが欲している事を見極めて行動を起こしてきた盛安の着眼点は中々のものである。

「なれど、今は此方も後始末を行なっている最中。同盟に応ずるとの返礼を送った上で、戸沢殿とは時を見て正式に御会い致しましょう」

「……そうだな」

 兼続の言葉を受け、景勝は頷く。
 同盟を結ぶ事に異論は全くないが、今はまだ顔を合わせる余裕のある時ではない。
 御館の乱という一つの壁を越えたばかりの景勝と兼続がおかれている現状は天の時地の利人の和も揃っていないのだ。
 天の時は乱を経たばかりの消耗した状態では望むべくもなく。
 地の利は乱に介入した外敵を退けたばかりでは整ってもおらず。
 人の和は乱を収めたこれから築きあげるもの。
 亡き、上杉謙信が遺した天、地、人を揃える事が今の景勝と兼続にとって必要なものであり、後を継いだ者として成さねばならない事。
 戸沢盛安と正式に会うのはそれらが揃ってからだ。
 だが、何れにせよ最上家、蘆名家、伊達家といった奥州の敵に対して、戸沢家という味方が得られる事は確実に事態の好転へと繋がる。
 後は一刻も早く家中を纏め上げられるかだが、これについては景勝や兼続らの手腕に全てが掛かっている。
 謙信から引き継いだ上杉家を新たな体制に移行するのはこれからが本番なのだから。
 景勝と兼続は成すべき事を新たにし、その意思を強くするのであった。















 ――――1579年
 御館の乱が終結し、戸沢盛安が酒田を得たこの年。
 史実では存在しなかった戸沢家と上杉家の間に同盟が結ばれた。
 本来ならば庄内にまで勢力圏を広げる事がなかったであろう盛安が動いたが故に結ばれる事になったこの同盟。
 戸沢、上杉の両家からすれば最上家に対する牽制の意味を持つ、此度の同盟は敵対する者が多い現状においては如何しても必要なもの。
 御互いが望むべくして結ばれるに至ったものであったが、この同盟は後に盛安の運命を大きく変える事になるのである――――。































 From FIN



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