夜叉九郎な俺
第5話 由利十二頭





 俺が家督を継承して数ヶ月後――――遂に大叔父、戸沢政重が亡くなった。
 その報告に家中は大きく響めいた。
 長年に渡り、父上を支え戸沢家の柱石として力を振るった大叔父は戸沢家中だけでなく、奥州全体においても一目置かれる存在だったのだから。
 齢、86歳という高齢で没する最後の時まで戸沢家の行く末を案じ、一門衆の筆頭として盛り立ててくれた大叔父は紛れもない忠臣だ。
 何しろ、身を弁えた上で僅か6歳という若さで家督を継承した父上を傀儡とせずに仕えたのだから。
 裏切りや乗っ取りといった事が茶飯事であったこの時代において野心を持つ事なく全う出来たのは稀であると言える。
 だが、忠臣として名高かった大叔父が亡くなったというのは戸沢家にとっては大きな痛手であった。
 大叔父ほど長く生きてきた経験と知識の双方を持ち合わせた人物はいないからだ。
 2度目の人生となる俺でも人生においては全てを含めても大叔父の半分を超えるか如何でしかない。
 先の時代の知識や技術を持っているとはいえ、大叔父のような鉄砲伝来以前の頃等といった古い時代特有の知識などは持ち合わせていないのである。
 それに戸沢盛安という人間自体、生まれた頃が戦国時代後期であり、大叔父との年代の差については70年以上もの差が存在する。
 経験という点において、この差は如何あっても縮められない。
 それ故に長らく戸沢家の勢力を維持し、ゆっくりと力を蓄える事に徹した大叔父の手腕は家中において深く信頼されていた。
 もし、大叔父の持つ深い経験と知識がなければ戸沢家は天正年間まで無事に残っていたかも解らないのだ。
 それほどまでに戸沢政重という人物は柱石と呼ぶに相応しい人物だったのである。















 だが、戸沢政重が亡くなったにも関わらず、戸沢家中は思いの外、落ち着いていた。
 当主である俺を含めて、父上も兄上も大叔父が亡くなった後の事を考えていたのか動揺した様子を見せなかったからだ。
 大叔父とは関わりの深い一門衆の誰もが全く動じていない――――この事が家中において大きな意味を持ったのである。
 その甲斐あり、家中では大叔父の死を惜しむ声はあっても戸沢家に見切りをつけようというものは現われなかった。
 史実でも大叔父が亡くなった時は落ち着いて対処する事により、この場を乗り切っている。
 少し違う点をあげるとするならば、大叔父の後継者として平九郎の名を出した事くらいか。
 俺の予測通り、平九郎を指名した時は驚きの声が大半を占めたが、父上や最上家の例を出すと家中は納得した。
 やはり、前例のある事であったからだろう。
 戸沢家は先々代の当主である父上が僅か6歳で家督を継承した際、家中が一丸となって盛り立てた。
 平九郎の場合も成長するまで盛り立てていけば良いという方向で話が纏まったのである。

「大叔父上が亡くなられた事により、角館は3日間喪に服す事とする」

 話が纏まったところで俺は家臣達に喪に服するという旨を伝える。
 期間は3日間。
 日数としては些か、短いが大叔父の死の影響力を踏まえれば決して短くはない。
 黒脛巾衆を配下とする伊達家や羽黒衆を配下とする最上家のように忍を抱えている大名ならば一早く情報を仕入れてくる可能性も高いからだ。
 それに雪解けの季節が訪れつつある今の時期は周囲も活発に動き始める。
 下手を打てば戸沢家の領内に攻め入ってくるのも出てくるかもしれない。

「3日でありますか……。短いとは思いますが、政重様の名を考えれば妥当でございますな。今の情勢で長く喪に服している訳にはいきませぬ故」

 俺が考えている事を察して利信が家臣達を代表して答える。
 戸沢家中の誰もが戸沢政重というの名の重さを理解しているのだ。

「ああ。それに赤尾津と羽川が何処かへ攻め入ろうと準備しているという噂もある。軍備を整えておかなくてはなるまい」

「……赤尾津に羽川が」

 俺の口から赤尾津と羽川の名が出た事で利信の目が鋭くなる。
 赤尾津と羽川の両氏は利信にとって因縁深い相手だ。

「もし、彼奴らが攻めてくるようであれば、赤尾津と羽川は私に御任せ下され」

「解っている。だが、逸るな利信。一度、勝った相手とはいえ足元を巣食われる事になるぞ」

「はっ……申し訳ありません」

 それだけに熱くなりそうな利信を諌める。
 利信は嘗て、赤尾津と羽川の両氏の手によって父親を失っている。
 謂わば、両氏は敵なのだ。
 それで熱くならない訳がない。
 だが、利信は今から6年前に父親の敵であった両氏の当主を自らの手で討ち取っている。
 俺が一度勝った相手であると言ったのはそのためだ。

「利信の事が赤尾津、羽川の両氏に思う事は解る。だが、此方に攻め入ってくるとも決まってはおらぬのだ。今は動くな」

「……畏まりました」

「だが……槍を合わせる事になれば利信には存分に働いて貰うつもりだ。宜しく頼むぞ」

「ははっ!」

 利信が先走らないように念を入れつつ、遠まわしに軍備を整えるようにとの意味合いを含めて頼むと伝える。
 俺の言葉の裏にある意味を察したのか利信は深々しく頭を下げた。
 利信は戸沢家中でも大叔父に並ぶほどの随一の知恵者で、此方の言いたい事を次々に理解してくれる頼りになる人物だ。
 だからこそ、利信を無駄な事で失わせるわけにはいかない。
 そのために俺は利信に自重するようにと促したのである。

「赤尾津と羽川の動向は気になるが……皆も慌てるな。各自、何時でも動けるように準備を整えよ」

「はっ! 畏まりました!」

 利信に俺の意図を伝えた後に改めて、家臣一同にも同じく備えるように伝える。
 赤尾津、羽川の両氏を始めとした由利十二頭の動向次第で此処からの動きは大きく変わってくる。
 流転の時は早くも近付きつつあるのだった。















 大叔父の死に際し、喪に服すという旨を皆に伝えた後、俺は自室へと戻って状況を整理する。
 動きが気になるのは由利十二頭と言いたいところだが……俺としてはそれ以外の動きも気になる。
 現状において、戸沢家と敵対関係にあるのは主に由利十二頭の赤尾津氏、羽川氏で間違いない。
 両氏においては前田利信が交戦している上に双方の先代の当主を討ち取っている。
 既に和睦が出来ない段階にまで関係は悪くなっているのだ。
 しかし、赤尾津氏と羽川氏だけでは戸沢家に対抗する事は出来ない。
 一豪族でしかない赤尾津氏と羽川氏の持つ力では到底、戸沢家の力には及ばないからだ。
 それに家督を継承した直後から進めている領内の改革が終わればその力の差は更に大きく広がる。
 統一されていない烏合の衆でしかない、由利十二頭に負ける要素は少ないといえる。
 だが、由利十二頭以上に警戒する必要のある相手が出羽国内には存在する。
 それは南の小野寺家である。
 小野寺家は戸沢家と力が拮抗しており、勢力圏も大差はない。
 戦うともなれば総力戦の覚悟すらしなくてはならないほどだ。
 史実の俺は小野寺家との戦いに勝利し、勢力拡大に成功しているが、それは今から10年近くも後の事である。
 既に史実よりも小野寺家と早く決着をつけるために手を打っているが、成果が現れるのはもう少し先だ。
 今すぐ小野寺が動けば苦戦を強いられてしまうのは間違いない。
 ましてや、現在の当主は小野寺家の全盛期を築き上げた小野寺輝道なのだ。
 戦上手な上に頭も切れるという人物で油断が出来ない。
 そのため、現在の由利十二頭は由利郡に近い勢力圏を持っている大宝寺家よりも小野寺家に付き従うという考えを持つ者も多い。
 小野寺輝道という人物もまた、出羽国内における大物の一人なのである。
 大叔父が亡くなったという報せを聞いたら如何ように動いてくるかは解らない。
 そういった意味でも輝道の存在は戸沢にとって厄介である。
 唯一の救いをあげるなら、輝道の息子である小野寺義道が猪突猛進な気質を持っている事だろうか。
 小野寺家の全盛期を築き上げた輝道だが、自らの息子の教育や振る舞いには手古摺らされているらしい。
 俺と同い年である義道もそろそろ初陣が近い頃だが、出てくるとすれば戸沢家との戦の可能性が高い。
 そうなれば互いに不倶戴天の敵であると認識している両家の次代の当主同士が顔を合わせるにはちょうど良いくらいだ。
 輝道の方もそう思っているらしく、俺に対抗して義道に家督を譲ろうとしているという話も聞く。
 小野寺家が動く可能性は確実とまではいかないだろう。
 となれば、やはり動く可能性が高いのは由利十二頭となるが……流石に確実に動きてくるかまでは解らない。
 戸沢家の柱石であった大叔父が亡くなった事を知ればすぐに動くだろうが、それでも動き始めるまでには時間がある。
 何れにせよ、俺の方も確実に準備を済ませておかなくてはならない。
 恐らく、由利十二頭との戦いが今後の俺の行く道の最初の第一歩となるのだろうから――――。
















「由利十二頭……如何したものか」

 考えをある程度纏めたところで俺はぽつりと言葉を漏らす。





 ――――由利十二頭





 由利十二頭は出羽国由利郡の各地に存在し一揆結合の形をとっていた豪族の総称である。
 出羽国内の一部である由利郡には戦国大名と呼べるほどの勢力が存在せず、それぞれが個別に安東家、小野寺家、大宝寺家、最上家に従っていた。
 名の通り、十二の豪族達によって成り立っており、その勢力圏は正確に定める事が難しいほどで考えるだけで混乱を招きかねない。
 由利十二頭は主に矢島氏、仁賀保氏、赤尾津氏、打越氏、子吉氏、下村氏、玉米氏、石沢氏、滝沢氏、岩屋氏、羽川氏、禰々井氏が存在している。
 本来は他にも由利十二頭の中に数えられると言われている潟保氏、芹田氏、沓沢氏などが存在するがその点についても定かであるとは言い難い。
 由利十二頭とはそれほどまでに混沌とした勢力なのである。





 現状、赤尾津氏、羽川氏とは既に敵対しているが、残りの勢力とはまだ敵対しているわけではない。
 しかし、由利十二頭は安東家を中心として出羽国内の大名にそれぞれが独自に協力している。
 戸沢家は安東家、小野寺家の双方と敵対しているため、それに属する由利十二頭の勢力とは自然と敵対関係にある。
 最上家、大宝寺家に属する由利十二頭の勢力については敵対関係になってはいないが、越後の上杉家で御館の乱による影響でそれも崩れ始めている。
 大宝寺家が上杉家の威を借りる事で勢力を維持してきたためだ。
 上杉謙信という強大な存在が背後にあったからこそ、出羽国内で確固たる地位を築いていた大宝寺家にとって御館の乱は死の宣告に近い。
 後ろ楯を失った大宝寺家には最上家に対抗する力は残っていないからだ。
 そのため、大宝寺家に従っていた由利十二頭の勢力は小野寺家や安東家に従おうとしている。
 これは戸沢家にとって都合の悪い事であり、小野寺家と対峙するには不利な要素となる。 
 由利十二頭は小勢力ではあるがつくづく、頭痛の種にしかならない。

「此方も由利十二頭の何れかを味方に引き込むか……?」

 こうなればいっその事、此方も由利十二頭の何れかを勢力下に置いてしまおうかと思う。
 だが、戸沢家に従ってくれそうな由利十二頭の勢力に思い当たりはない。
 それでも、味方にするに足る相手は……。

「矢島、しかないか」

 俺は由利十二頭の一にして、随一の豪勇の士である矢島満安が当主を務める矢島氏を思い浮かべる。





 ――――矢島満安





 六尺九寸(2m7cm)の体躯を誇る怪男児で四尺八寸(1m44cm)の大太刀と一丈二尺(3m60cm)の八角の樫の棒を得物とする猛将。
 満安は同じ由利十二頭の仁賀保氏と長年に渡って争っており、史実においては何と4代続けて仁賀保氏の当主を討ち取るほどの驚異的な武勇を見せつけている。
 また、本人も徒歩による戦に長けており、由利十二頭の中でも随一の戦上手としても知られており、他の十一頭に対しても負けなしである。
 下手をすれば出羽国内には満安に勝る武勇の士は存在しないと言っても良いかもしれない。
 現代の時代における知名度こそ非常に低いが、矢島満安は紛れもなく奥州随一の猛将であると言える。





「矢島満安……彼の人物しか味方にするべき人間はいないな」

 現在は小野寺家の側に属している満安だが、由利十二頭の中では一番の変わり種で武辺者である彼の人物ならば、戸沢家に与する可能性は零ではない。
 矢島満安という人物は自身と同じような、武勇の士を好むからだ。
 そもそも、出羽国内で敵なしというほどの武勇を誇る満安に対抗出来る人物はそういない。
 満安は自分の相手に相応しい武勇の士に餓えているのである。
 ならば、俺が満安と戦い、彼の人物を打ち負かす――――選択肢としてはそれしかない。
 武勇の士を知るには此方も武勇の士として刃を合わせるのが手っ取り早いからだ。
 出羽国が誇る豪勇の士にして怪男児、矢島満安。
 彼の人物こそが俺が味方とすべき人物なのだ。

「そういえば、味方とする人物で思い出したが……彼の人物は今頃、如何しているのだろうか?」

 矢島満安を引き込むという結論に達したところで俺はふと、ある人物の事を思い出す。
 俺が思い出したのは自分が死ぬ時の最後に立ち会った人物。
 特徴的な髭を持ち、俺が自分の分まで生きてくれと委ねた人物。
 彼の人物の姿は俺の記憶の中でも深く根付いている。
 家督を継承したばかりの今ではまだ、面識はないが……ふと、思い出してしまった。
 1度目の人生の最後の時を共に過ごした齢の離れた盟友の事を。
 これからの事を考えながら、俺が思い出したのは戸沢盛安の25年という短い人生の最後を見届けてくれた一人の人物――――。














 その名を――――津軽為信といった。































 From FIN



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