夜叉九郎な俺
第4話 政重、逝く





 戸沢盛安の大叔父、戸沢政重。
 齢、70歳を超えても尚、政治面、軍事面の双方に的確な助言をし、戸沢家を支え続けた大黒柱。
 通盛の父、戸沢秀盛の代から長年に渡って仕え続けた政重は戸沢家にとっては欠かせぬ存在であり、一門衆の長老として重きをなしていた。
 しかし、盛安が家督を継承した現在は病の床に伏せっている。
 政重は3代に渡る長い間、戸沢家のために身を粉にして仕え続けた人物であるが最早、老齢であり病に倒れるのも充分に考えられる事であった。

「……殿」

「盛直、か」

 俺が大叔父の下へと訪れると、そこには守役である白岩盛直の姿があった。
 その様子を見ると俺と同じく、大叔父を見舞いに来ていたらしい。

「大叔父上の容態は如何だ?」

「今のところは落ちついておられるようです。御話になられますか?」

 盛直に大叔父の事を尋ねると今は落ちついているとの返答が返ってくる。
 ちらりと視線を向けると、幾分かではあるが顔色も悪くない。
 これならば、会話をする事は叶いそうだ。

「ああ、話をしたい。盛直は席を外してくれるか?」

「畏まりました」

 盛直にこの場を外すように伝える。
 ここから先の話は戸沢家の事に大きく関わってくる話だ。
 俺の守役である盛直ならば、聞いても別に構わないかもしれないが、今回に限っては遠慮して貰おうと思う。
 何しろ、今回は戸沢家の歴史にも関わる可能性が非常に高いからだ。
 それに俺が大叔父に話そうとしている事は他の人間に聞かれたら反対される可能性も考えられる。
 既に戸沢家の当主となった身ではあるため、話を押し通す事も出来るだろうが……念のためだ。
 盛直がこの場を離れて姿が見えなくなった事を確認し、俺は大叔父の枕元へと座り込むのだった。















「大叔父上、九郎が参りましたぞ」

「ごほっ……ごほっ……。おお、九郎殿か……」

 俺の声を聞き、咳き込みながら返答する大叔父。
 一応は小康状態にあるようであるが、それでも体調はそれほど思わしくないらしい。

「このような姿で申し訳ありませぬ。先日の九郎殿の晴れの姿を拝めなかった事、誠に残念に思いまする……」

「……大叔父上」

 心底、申し訳ないといった表情で語る大叔父の様子に俺は投げかけるべき言葉が思いつかない。
 俺の元服の儀と家督継承の儀に立ち合えなかった大叔父の気持ちを考えると余計な言葉は慰めにもならないと思ったからだ。
 それに大叔父は誰よりも俺が家督を継承するその日を待ちわびていた人間である。
 幼い頃から政治、軍事、学問、外交といった一通りの事を鍛えてくれたのは他ならぬ大叔父だ。
 父上を含めた一門衆の誰よりも俺に期待し、自らの持つ知識を全て与えてくれた。
 その恩は何事にも変えられない。

「継承の儀の事は盛直から全て聞き申した。戸沢九郎盛安……良き名にござる」

「……有り難うございます」

「九郎殿……いや、盛安殿。儂が口を開く事が出来る今のうちに御伝えしたい事がございまする……」

 大叔父はゆっくりと言葉を紡ぐ。
 俺に伝えようとしている事はもう既に解っている。
 1度目の人生では言われるままに頷いただけであった大叔父の言葉。
 史実では俺の生存中には影響のなかった事であるが、この時の言葉は俺が小田原にて死亡した後に影響した。
 俺の死後に起こった事で、歴史的には些細でしかない事だが、戸沢家にとっては大事である出来事。
 大叔父の言葉に何も考えずに従った故に起きた出来事――――御家騒動だ。
 俺が急死した事による家中の混乱と兄、戸沢盛重の謀反――――それが戸沢家で起こった御家騒動だ。
 特に兄上が謀反を起こした理由は察するに余りある。
 史実では子のいない大叔父に養子をという話が持ち上がった際、出家した兄上を養子にという話だった。
 だが、この時の兄上は俺に家督を譲ってから1年の時すらも経過していなかった。
 余りにも早い復帰であるといえる。
 しかし、兄上は自身では戸沢家の当主としての務めを果たす事が出来ないと解っていたからこそ、俺に家督を継承させた事に納得していたのだ。
 にも関わらず、再び呼び戻されて、今度は俺の家臣として仕えなくてならない。
 正直、兄上には酷な仕打ちであったと思う。
 何しろ、先代の当主から一門衆へと格下げされてしまったと言うべきなのだから。
 兄上の中でどれだけの苦痛があったのかは窺い知れない。
 常人ならば我慢するのも辛い事だ。
 恐らく、俺が死亡する事により、憤りをなくした自分の意思が爆発してしまったのだろう。
 だからこそ、本来の俺の記憶の中では知る由もない事も理解出来るという状態になった今、この時の対応は悔やみきれずにはいられない。
 偉大なる大叔父の言葉だからという事で全てに従ったが……自分で理解出来る今ならばその間違いにも気付く事が出来る。
 あの時、俺が大叔父に対して如何ように返答すべきであったかが。















「儂は長年に渡り、戸沢家に仕えて参りましたが……恥ずかしながら子がおりませぬ。出来れば、盛重殿を我が家に迎え入れたい」

 ゆっくりとした口調で語る大叔父の言葉から出てきた言葉の内容は史実における大きな分岐点ともいうべき話。
 兄、戸沢盛重を大叔父の養子へと迎え入れる事。
 1度目では疑いもなく、頷いたその選択――――他ならぬ大叔父の頼みであるが、頷くわけにいかない。
 この時の選択こそが後に戸沢家の御家騒動の元となった可能性が高いからだ。

「大叔父上、それは出来ませぬ。兄上は俺に家督を譲ったばかりです」

 だから、俺は嘗てとは違う返答を返す。
 思えば前の時の兄上は何も言わずに大叔父の言葉に従ってくれていたが、本当は応じたくはなかったのだろう。
 大叔父の養子となってからの兄上は何かと複雑な気持ちを抑えているかのような表情を見せる事が多かった。
 兄上の中で様々な葛藤があったのは想像に難くない。

「そう……ですか。無理を言って申し訳ござらぬ。盛安殿がそう言われるならば何も言いますまい」

 俺の拒否の言葉に残念そうに俯く大叔父。
 だが、俺の方にも代案はある。

「いえ、大叔父上の後を継ぐ事が出来るのは兄上以外にもおります。……俺の弟、平九郎を後継ぎに迎えて下され」

「平九郎殿をですか……」

「はい、平九郎はまだ幼いですが……他に前例がないわけではありません」

 それは弟、戸沢平九郎を大叔父の養子に迎える事である。
 史実では俺の死後に家督を継承した平九郎だが、俺の家督継承当時はまだ3歳でしかない。
 平九郎は幼過ぎるために大叔父の後継者から外れていた。
 しかし、3歳前後で後を継承した例は他にもあるため、前例にないわけではない。
 出羽国内では身近な例が幾つか存在しているからだ。
 俺の父、戸沢道盛や最上家先代当主、最上義守の例がそれに当たる。
 父上は6歳で家督を継承しているし、義守も2歳で家督を継承している。
 例え、幼くとも周りの体制が出来上がっていれば幼くとも立ち行くのだ。
 幸いにして現在の戸沢家は俺自身が若くて当主になったという事もあり、家の体制は確立されている。
 平九郎に大叔父の後を任せても大きな問題はない。
 幼ないと言う問題点は時が経てば自然と解決する事であるからだ。

「そう……ですな。通盛殿も幼くして家督を継いでおりましたし……平九郎殿を儂の後に迎えても問題はございませぬな」

 大叔父も俺の言わんとした事を理解し、提案に頷く。
 平九郎を養子に迎える事で大叔父の後継ぎの問題を解決し、隠居した兄上を再び表舞台に呼び戻す事のない唯一の選択肢。
 病に倒れる以前の大叔父ならば容易に気付けたであろう事だ。

「盛安殿……過ちを気付かせてくれて申し訳ありませぬ。儂は危うく、盛重殿に辛い思いをさせるところであった……」

 大叔父も自分でそれを理解しているらしく、弱々しく苦笑する。
 自らの衰えを深く感じているのかもしれない。

「最早、盛安殿は儂がおらずとも大丈夫にござるな……安心致し申した。これで、儂に心残りはございませぬ」

「何を言われる、大叔父上。俺などまだ、未熟者に過ぎません」

「御謙遜なさらずとも良い。盛安殿が利信らに命じた事は既に聞き及んでおります故」

「大叔父上……」

「それに八十以上も付き添った身体にござる。己の引き際と言うものは儂が一番、解っております」

「……はい」

 大叔父のその様子に俺は頷くしかない。
 引き際であるという言葉の意味――――それは遠くないうちに大叔父が亡くなるという事。
 既に80歳を超える老齢にある大叔父は俺以上に身体の芯からそれを実感している事だろう。
 1578年(天正6年)の間に自分が必ず死ぬという事を。

「本来は政を盛直や利信らに頼るようにと、もう一つ伝えようと思っておりましたが、今の盛安殿ならば心配はありませぬ……。
 これならば、儂は何時でも安心して眠る事が出来まする。盛安殿、貴方の御活躍……彼の世にてゆっくり見物させて貰うとしましょう……」

「……承知致しました大叔父上。この戸沢九郎盛安。必ずや大叔父上の御期待に応えて御覧にいれまする」

 だから、俺は大叔父に最後となるであろう言葉を伝える。
 これが最後に顔を合わせる機会であると理解しているからだ。
 例え、大叔父に数ヶ月ほどの命があるにしても、残りの時間は床について動く事は出来ない。
 それに俺も家督を継承した今となっては進めていかなくてはならない事柄が多々、存在する。
 今のこの時がゆっくりと大叔父と会話を交わす最後の機会なのだ。
 何も言わずとも俺と大叔父はそれを理解していた。
 最後に互いの視線による無言の会話を交わした後、俺は大叔父の下を後にする。
 ここから先はもう、後戻りは出来ない。
 大叔父の後継ぎに平九郎を指名した事により、僅かではあるが違う歴史を歩み始めたのだ。
 その第一段階とも言うべき事が終わった以上、ここから先がどれだけ分岐するかは誰にも解らないだろう。
 俺は数え切れないほどにあるであろう先に至る道筋を思い浮かべながら天を仰いだ。
 大叔父には史実と異なる歴史を見せる事が出来ない事を残念に思いながら。
 だが、こればかりは如何にもならない。
 大叔父の運命を変えるには全てが遅過ぎたのである。
 知識が覚醒した段階で既に床についていた大叔父に対して、俺に出来た事は平九郎を後継者に迎えるという異なる結果のみ。
 例え、前世の記憶があるといっても出来る事には限界がある。
 何事も全てが思うがままに出来るなんて夢のまた夢の話でしかないのだ。
 それを象徴するかのように数ヶ月後――――戸沢政重は静かに眠りについたのであった。































 From FIN



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