夜叉九郎な俺
第81話 天童頼貞





 ――――1582年4月11日





「……これはやはり、此方を誘っているな」

 釣り野伏を行わんがために先手を取って動き始めた盛安の用兵に頼貞はその裏に隠された意図を察する。
 自らが陣頭に立ち、誘き寄せようとしているのは明らかである。
 大抵の者であれば総大将が最前線に出てきたとなれば、確実に動くだろう。
 何しろ、大将首と言う大功や一番槍の功と言った論功に大きく響くものの全てが一気に手に入るのだから。
 だが、頼貞はそうした功に逸る武将でもなければ、大将同士の戦を望む武将でもない。
 寧ろ、義光と長年に渡って争ってきただけに警戒心が強く、挑発には如何なる事があっても応じない武将であった。

「藪を突けば蛇が出る。備を堅持し、付け入る隙を与えるな」

 頼貞は盛安の狙いを明確に察し、守りを固める事を重視する旨を伝令する。
 我先にと突撃する満延には決して動かないようにと指示を出しているし、特に問題はない。
 単純な気質ではあるが、戦に関する感覚は満延も確かなものを持っているのだから。
 咄嗟の判断に関しては信用がおける。

「この戦は腰を据え、時をかけた者が勝つ。急ぐ限り勝機は無い」

 盛安の機先を制する形を崩すならば此方が隙を与えなければ良い。
 義光との戦いでも迂闊に動けば、恐らくは頼貞の方が負けていた。
 それだけに裏に策があるであろう戦については頼貞の方が盛安に比べて駆け引きに勝る。
 長年を戦場で生きた経験も含め、頼貞は今までの相手とは別格であるとも言えた。

「さしずめ、自らが敵を誘き寄せ、伏兵にて撃破すると言ったところか。……上手い手段を考えるものだ」

 奥州では馴染みの無い戦術である釣り野伏をいとも簡単に見破った頼貞は盛安の采配に感心する。
 確かに短期決戦または寡兵で大軍を撃破するのであれば、これほど適した戦術もそうは無いであろう。
 精兵を率い、大将自身も統率力を兼ね備えていなければ決して成しえぬであろう釣り野伏を実行出来るという事は盛安は紛れもない名将だ。
 頼貞は今までの盛安の戦歴を鑑みつつ、その戦術の難しさを察する。
 恐らくは最上家や伊達家であっても実践する事は出来ない。
 斯様な高難度の戦術を駆使しようとしている事から察するに盛安が早期に最上八楯の軍勢を撃破し、流れを引きよせようとしているのは明白だ。
 ならば、頼貞に要求されるのは盛安の意図を挫き、流れを乱す事。
 眼前の大将首を目にしても動かないと言う選択肢を選んだのはそれが根底にあるからこそだ。
 自らの役目は先鋒として戦運びを円滑に進ませる事である。
 後はじっくりと腰を据え、義光が如何なる采配を振るうのかによって動きを変える――――それだけだ。
 頼貞は交戦の構えを整えたまま、盛安の動きを躱すかのように守りを固めるのであった。





















「……釣られないか」

 俺自らが陣頭に立ち、釣り野伏の構えを取ったが敵は動く気配を全く見せない。
 眼前に大将首をちらつかせれば、武勇の士と名高い延沢満延あたりが釣られてくるだろうと踏んでいただけにこの反応は意外だった。
 俺さえ討てば最上家が戸沢家を取り込む事もそれほど難しい事じゃない。
 それが解っているにも関わらず、目の前の大きな餌に釣られないとなれば先鋒の天童頼貞は余程、警戒心が強いと見える。

「長年に渡って義光と戦ってきたのなら当然か……」

 だが、頼貞が長年に渡って争ってきた相手が最上義光ともなればそれも頷ける。
 自ら太刀を取る勇将でありながらも奇策を好み、一筋縄ではいかない武将である義光には正攻法で挑んでしても勝てはしない。
 頼貞は義守に従う者として長くに渡って義光と敵対してきた立場にある。
 義光の在り方を敵の視点で見続けてきた頼貞には策を弄する事に耐性が身に付いているのだろう。
 俺が陣頭に出てきた段階で策があるのだと判断してくる事には何も違和感はない。
 寧ろ、此方が頼貞の立場だったら同じ事をしただろうと思う。

「だが、釣り野伏には次の段階がある……悪いが無理にでも動いて貰うぞ。満安と秀綱に伝令を出せ!」

「ははっ!」

 しかし、釣り野伏を普通の戦術だと思っているのであれば大間違いだ。
 確かに俺自身が餌となって釣り出すとなれば、それに釣られなければ伏兵にて撃破するという戦術は成立しない。
 だが、釣り野伏は敵が釣られない場合でも成立させる術がある。
 それは側面に展開する部隊に脇を突かせる事によって敵を釣り出す方法だ。
 本来ならば、伏兵で片を付ける戦術である以上、地形や状況に左右されるのが当然だが釣り野伏に限ってはその限りではない。
 彼の戦術が恐ろしいのは敵が動かない場合でも戦術を成立させる事の出来る臨機応変さにある。
 九州の島津家がターニングポイントである木崎原の戦い、耳川の戦い、沖田畷の戦いと言った数々の戦に勝利してきたのはこの戦術の秘める潜在能力が大きい。
 寡兵で大軍を撃破した事で知られる島津義弘、島津家久の戦いぶりは正にそれを体現したものであった。
 頼貞が動かないのであれば、動くしかない状況を作り出してしまえばいい。
 そう都合良くいくとは思えないが、義光の率いる本隊が動く可能性だってある。
 いっその事、釣り野伏の特性を全て活用するまでだ。
 伊達家の援軍の分も踏まえれば兵力は此方が如何しても劣ってしまう。
 寡兵で大軍を撃破するには戦術を駆使するしかない。
 それも短期決戦となれば尚更だ。
 とにかく、敵を動かして各個撃破出来る状況を作り出す事が決め手になる。
 決着をつけるために使える時はそう多く残されていない。
 俺は若干の焦りを覚えつつも采配を振るうのだった。





















「……動きがあるか。些か、仕掛けの頃合いが不自然だ」

 暫くの時を睨み合う形となり、警戒していた頼貞は盛安が動いた事を状況から察する。
 何故、そう判断したかについては特に理由などは無い。
 如いて言うのであれば、敵勢を釣り出すのに失敗したとなれば動く以外に戦術を成立させる術が無いからだ。
 そのため、盛安が何かしらの采配を振るった事は明らかである。
 相対する軍勢には目立った動きは一切、見られないが……。
 長年に渡って戦場で生きてきた自らの勘がそう告げているのだ。
 盛安の動きを完全に防ぐ事は出来ない。
 ならば、此方も相応の対応を必要とされる。

「満延に伝令だ! 矢島満安が来る、とな」

「ははっ!」

 深く考えるよりも早く、頼貞はすぐさま伝令を出す。
 今までは動かないようにと厳命していた満延に戦の構えを取るようにと。
 現在の状況的に動きがある事を察知した頼貞は此方も動くべきであるとの判断を下したのだ。
 恐らく、動かなければ思惑に嵌まってしまう。
 盛安は決して無策で動く気質の武将ではない。
 知勇を兼ね備えているからこそ、動くには必ず裏がある。
 義光との戦でそれを嫌と言うほど思い知らされた頼貞はそう判断した。

「義光殿に早馬を! 鮭延秀綱の奇襲あり、と伝えろ」

「畏まりました!」

 更に頼貞は義光に早馬で秀綱が動く可能性がある事を伝えるように命令する。
 此度の戦で伏兵、奇襲といった芸当で最も力を発揮するのは矢島満安か鮭延秀綱の何方かだ。
 盛安自身が陣頭に立って囮を務めているのであれば自然と選択肢は両名に絞られる。
 物見の報告では大量の鉄砲を備えた軍勢も居るようだが、其方は速戦では活用しにくいため、奇襲を仕掛けてくる可能性は高くない。
 今の盛安の方針が速戦である以上、腰を据えた戦い方を得手とする頼貞からすれば至極、読みやすいと言える。

「判断は悪くない。此方を釣り出せないのならば、他の方法で誘き寄せれば伏兵は成立する。だが――――」

 盛安の采配は確かに歴戦の武将と比べても何の遜色も無い。
 伏兵の活用の仕方、奇襲を必要とする頃合いの読み方も奥州で並ぶ者はそう居ないだろう。
 だが、安東家との戦の顛末で盛安の手の内を垣間見た頼貞は決して、侮る事は無い。
 17歳になろうと言うばかりの若者であっても、実績については既に奥州でも屈指のものを持つ盛安は義光にも劣らぬ強敵だ。
 故に頼貞は最強の敵と相対したと言う事を念願に置いて戦を進めている。
 一寸の油断すらも許さない相手との戦は義光との争いで散々だと思うほどに経験してきた。
 それだけに頼貞の采配は何時にも増して冴えていたと言える。
 兵は詭道なり――――戦は騙し合いであり、如何に有利に戦えるか備えるのが道理である事を頼貞は根底から理解していた。
 盛安の采配は明らかにそれを実践している。
 頼貞が動きを察する事が出来ているのは同じ事を実践しているだけに過ぎない。
 相手が動こうとした頃合いを察してその動きを抑えるのもまた、兵は詭道の一端である。

「読み合いとなればこの頼貞、そうは引けを取らぬぞ」

 盛安の戦運びに感嘆しつつ、頼貞は笑みを浮かべる。
 此処まで戦のし甲斐があるのは久方振りだ。
 策を読み合い、采配を見極めると言う戦術家同士の戦は決して多くはない。
 奥州でも屈指の戦歴を重ねてきた頼貞にとっても読み合いの戦を経験したのは義光と続いた争いの時くらいのものだ。
 それだけに盛安との戦には相応の意識を集中させている。
 この事は今の戦場において決定的な差であると言っても良い。
 盛安が逸っている限り、頼貞には終止に渡って采配を読まれ続けるであろう。
 だが、盛安は未だそれに気付かない。
 満安と秀綱を動かそうとしていた今この時も頼貞には全て読まれていた事を――――。





















「頼貞殿より早馬! 鮭延秀綱の奇襲に注意されたし、との事!」

「相、解った」

 頼貞からの早馬による報告を受けた義光は扇子は鳴らす。
 先鋒同士が読み合いの戦になる事はとうに承知していただけに自らの思い描いた通りの展開に進んでいるからだ。
 盛安が速戦を選んでいるのは守りを固めるよりも迎撃してきた段階で理解していた。
 それに対して、頼貞が動きを読み取るであろう事も。
 この手の戦についての頼貞の感覚は信用に値するだけに義光は躊躇う事なく応じた。

「光安に秀綱めの動きに備えるように伝えよ。仔細は説明せずとも光安ならば解るだろう」

「確と承りました」

 義光は軍勢の一部を預けている志村光安に秀綱の動きを抑えるように命じる。
 秀綱は奇襲を始めとした機動戦を得意とする知勇兼備の将。
 相手は難敵ではあるが、最上家にもその秀綱に対して匹敵するであろうと言われる光安が居る。
 義光が奇襲を防ぐ役目を任せたのは才覚を認めているからだ。
 歳は若いが年齢は秀綱とそう変わらない。
 恐らくは互角以上に戦う事が出来るだろう。

「盛安め……早々に動いてきおったか。中々に侮れぬ奴よ」

 此方が動かないと見るや、次の一手を打ってきた盛安に義光は侮れない相手であると判断する。
 先の数々の戦における盛安の武名は疑いようもないものであったが、年齢が若過ぎるために駆け引きはそれほどでも無いだろうとみていた。
 だが、実際に蓋を開けてみれば予測以上に動きが早い。,
 機を待ち続けるのではなく、機を動かして戦を動かすとは簡単に出来るような事ではない。
 軍勢を鍛え上げた上で率いる者自らに類まれな統率力が要求されるのは如何見ても明らかである。
 如何に義光であっても盛安のような真似は決して出来ない。
 それ故、侮れないと言ったのである。

「だが、その逸りがある限りはこの俺には勝てぬ。政宗よ、覚えておくが良い。戦ちたければ機を良く見る事だ」

「ふん……」

 盛安の用兵について感心しつつ、政宗に戦に必要なものが如何なるものであるかを伝える義光。
 政宗は戦の才覚は無いが、頭の回転は早い。
 盛安の用兵は理解出来ずとも、義光の言わんとしている事は解るだろう。
 表情は不満そうに見えるが、一応の納得はしているみたいである。

(……しかし、こうも早くに手を打ってくるとはやはり、頼貞に先鋒を命じていて良かったわ)

 義光は先陣を希望していた政宗をこの場に残して良かったと心底思う。
 盛安の用兵は拙速を重んじ、奇策という手段を取ってきた。
 政宗ではこれを対処する事は決して敵わないだろう。
 もし、義光自身が采配を振るっていても対処出来たかの確証はない。
 これは頼貞だからこそ、盛安の奇策に応じる事が出来ている。
 長年に渡って争ってきただけに頼貞の恐ろしさは身をもって知っているが……。
 盛安がこうして、義光と同じ経験をする事になるとは皮肉なものだと義光は自嘲気味に笑みを浮かべる。
 如何にも出羽の覇者になろうとする者には頼貞は鬼門になるらしい。
 天文の大乱の頃より戦場に立ってきた歴戦の名将は正に立ち塞がる強大な壁であると言っても良いだろう。
 そして、その壁によって盛安は戦の流れを掴む事が出来ていない。
 戦は始まったばかりではあるが、現状は最上家が有利であると言わざるを得ないだろう。
 最上八楯が盟主、天童頼貞――――彼の名将を打ち崩さない限りは義光の率いる本隊にまでは決して届かせる事は出来ないのだから。
 盛安が思わぬ苦戦を強いられる事になるのは一重に頼貞の存在がこの戦場に在るが故のものであった――――。


































 From FIN



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