夜叉九郎な俺
第45話 決戦前夜
――――1581年1月
盛安が正式な形で鎮守府将軍に就任し、庄内を平定した激動とも言うべき1580年が終わり、新たなる年となった。
昨年は戸沢盛安、津軽為信、安東愛季を始めとした北奥州に勢力を持つ人物達が主に動きを見せていたが――――。
南奥州でも蘆名盛氏が逝き、時代が次の段階へ進みつつある事を予感させる。
奥州の北部では勢力図が大きく塗り変わった事によって戸沢家と安東家が睨み合う形となり、奥州の南部では蘆名家の衰退を示すかのように一人の英傑が逝った。
これにより齎されるものは果たして、如何なものであろうか――――。
此処から先の奥州の歴史の歩む先は盛安を含め、誰にも解らないものとなりつつあった。
「これより、安東家との戦における陣容を伝える」
俺の立場を含め、大きく事態の動いた昨年が終わり、新たな年となった。
いよいよ、安東家との戦に挑むという事で俺は家臣達を角館に集め、新年の挨拶を終えたところで戦における陣容を伝える。
俺が愛季との戦を前提として動いていたのは家督を継承した段階より公言していた事であったためか、家臣達も来るべき時が来たという様子で口を挟む者は居ない。
内陸に位置する領地を持つ戸沢家にとっては目の上のたんこぶである安東家を倒す事は長年の悲願であるからだ。
安東家との戦にさえ勝てば、眼前の道が大きく開けるという事は家中の誰もが理解していた。
「まずは俺と共に出陣する者だが、矢島満安、的場昌長、戸沢政房、鈴木重朝、前田利信……そして、大宝寺義興とする」
「な、何と!?」
軍勢の指揮を執る者の名前を上げる中で意外な名が出てきた事で大きく響めきがはしる。
先の庄内の平定の戦の際に新たに戸沢家中に加わったばかりの大宝寺義興の名が上がったからだ。
満安、昌長はそれぞれに奥州と畿内でその名を知られる無双の勇士にして、戦上手。
重朝は雑賀衆の上席であり、屈指の鉄砲使い。
政房も若手でありながら軍勢の調練などを任されている身であり、家中でも有数の武勇の士として知られている。
利信は一門衆以外の重臣を代表する人物であり、壮年に達した今では老練で此度の安東家との戦のような大事を任せられる者である事は明らかだ。
だが、義興だけは立場が違う。
確かに出羽国でも有数の勇将として知られる大宝寺義氏の実の弟にして、義興自身も兄に負けず劣らずの勇将である事は知られている。
しかし、戸沢家においては昨年に降ってきた際に家臣として迎えられたばかりであって立場が良いとは言い難い。
安東家という宿敵を前にして、雑賀衆の面々以上に新参の立場にある義興が選ばれた事は驚きに値する。
「義興は亡き、義氏殿と共に幾度となく愛季と戦ってきた人物だ。遣り口は知っているだろうし、因縁もある。これ以上に相応しい者も居ないと思うのだが?」
驚く家臣達を後目に俺は義興を参陣させる理由を説明する。
義興は兄である義氏の下で愛季とは幾度となく戦ってきた人物であり、由利の支配権を争ってきた身である事を踏まえれば、此度の戦に加わる理由としては充分だ。
史実でこそ、最上義光に遅れをとってはいるが義氏と共に戦ってきた義興は20代の半ばという年齢でありながら中々の経験を持っている人物でもあった。
しかも、為信とも少なからず関わりがあり、景勝とも関わりのある義興は今の戸沢家の立場からすれば信用に値する。
そういった意味では重要な局面での戦であるからこそ、愛季との因縁があり、尚且つ為信とも関係のある義興を戦に加えるのは間違いではない。
「……確かにその通りです。義興様より安東家の事を御存知の方は家中には居りませぬ」
家臣達は愛季との因縁があるのは戸沢家の者だけではない事を理解し、頷く。
戸沢家が安東家と敵対する理由とは別の形であったとはいえ、大宝寺家も敵対していたのは事実なのだから。
しかも、津軽家とも安東家と戦う事を理由にして、一定以上の繋ぎを取っている。
戸沢家が庄内を得るために戦う事になったとはいえ、本来ならば共に安東家と戦う間柄になっていた可能性は大いにありえた。
俺が義興を抜擢したのはそういった大宝寺家の立場も含めての事だ。
それに安東家との雌雄を決するのは亡き、義氏の悲願でもあった。
義興の心情も踏まえれば、此度の安東家との戦における意気込みは戸沢家の従来の家臣達をも凌ぐものなのかもしれない。
最後こそ道を違えたとはいえ、盛り立ててきた兄の意志を継いで宿敵とも呼べる愛季と戦う事はそれこそ、望むところだろう。
「ははっ! 盛安殿の御好意……この大宝寺義興――――感謝の念にたえませぬ」
俺が指名した意味を察したのか、義興は平伏して感謝の意志を伝える。
義氏の目標としていた事を引き継ぎ、成し遂げる機会を与えられた事は今まで兄を盛り立ててきた弟としてこれほど嬉しいものはない。
それに由利をめぐって争った宿敵と戦える事は武士としての本懐でもある。
大宝寺家が戸沢家に取り込まれた事により、訪れる事はないと思っていた機会が与えられた事に義興は唯々、涙を流し感謝するのであった。
「周囲に対する抑えに関してだが……鮭延秀綱、戸沢盛吉を主な守将とし、備える事とする。特に伊達家、最上家、小野寺家の動向には警戒するように」
愛季との戦に挑むにあたり、警戒すべきなのは最上家を始めとした周囲の諸大名。
特に庄内を欲しているであろう最上家の現当主である義光の動向には大いに注意しなくてはならない。
今の段階では大きく勢力を増した戸沢家に対して、仕掛けてくる可能性はそれほど高くはないが――――。
出羽北部の統一を行っている間に動く可能性は充分に考えられる。
義光は僅かな隙も見逃さないような人物であるからだ。
しかし、庄内に関しては離反する可能性のある豪族を排除し、一門衆の盛吉に守備を任せているため、義光が相手でも調略は容易ではない。
正攻法で相手にするにしても、盛吉は長年に渡って戸沢家の中核として働いてきた歴戦の武将であり、俺に比べても余程老練だ。
盛吉の気質からすれば、義光のような人物を相手にするにあたっては俺よりも向いている。
それに秀綱を残したのも義光を警戒しての事。
些か過剰過ぎるくらいとも思われがちだが、愛季を除けば彼の人物が尤も出羽国内でも恐ろしい。
謀略を得意とする知将でありながら、自らが前面に出てくる事をも厭わない勇将でもある義光は紛れもなく、出羽南部において随一の器量を持っている。
そのような相手に対するつもりならば、知勇共に兼ね備える秀綱でなければ守りきるのは難しいだろう。
また、小野寺家の動向を探る事に関しても、秀綱より適した人物は戸沢家中には居ない。
旧主である彼の家を理解し、詳細に渡ってまで把握しているのは秀綱一人だからだ。
小野寺家が最上家に同調して北上してくるか否かの判断を見極めるにしても、庄内に接している真室城を任されている秀綱が尤も位置的にも相応しい。
庄内へ進む可能性があった場合でも秀綱を抜かなければならないからだ。
最後に警戒すべき相手である米沢の伊達輝宗も決して侮れない存在ではあるが、戸沢家とは領地を接していないために比較的、楽ではあると言ったところか。
しかしながら、忍である黒脛巾衆を抱えているだけあり、何かしらの工作を仕掛けてくる可能性がないとも言い切れない。
だが、康成を召し抱えた事で此方も伊賀の忍者衆の一部も動かせるようになっているので、黒脛巾衆を相手にしても充分に対抗出来る。
そのため、輝宗に関しては義光ほどには警戒しなくても構わないだろう。
「尚、此度の戦に挑むにあたり最上義光に備えて、越後の上杉景勝殿に援軍を要請してある。万が一の事態があれば、共に戦う事になるだろう」
但し、最悪の事態である伊達家、最上家、小野寺家が連合して動くという可能性も零ではないため、上杉家にもその際の援軍要請を行っている。
流石に先の庄内平定においても援軍を出して貰っているために再度の要請を行うのは気が引けるが……此処は万全の態勢を整えるべき時。
出羽北部の統一戦の最中にあって、背後を任せられる盟友である上杉家の力を借りるのは戦略上でも当然の事だ。
それに今の頃合いでの再度の援軍要請は春日山城で景勝、兼続の両名との会談を行った際に織り込み済みである。
上杉家との同盟は出羽北部の統一の助けにもなる事を見越しての事でもあるだけに景勝もそれを承知している。
盟約通りに動いてくれるならば、本庄繁長が義光に備える事になるだろう。
「畏まりました。殿が御不在の間は御任せ下さいませ」
安東家攻めを行なっている最中の事についての説明に家臣達を代表して盛直が頷く。
盛直は春日山城で俺が景勝と兼続との盟約の話をしている現場に立ち会っているだけに既に細かいところまで理解しており、真っ先に頷くのも当然の事だった。
「うむ、盛安が居らぬ時の対応は慣れておる。安心して愛季との決着を付けてくるが良い」
盛直に続いて頷くのは父上。
先々代の当主であり、俺が不在の間の角館の統治を代行している父上は俺が居ない時でも如何に判断するべきかを熟知している。
景勝からの援軍の事、伊達家、最上家、小野寺家の動向の事についても父上からすれば、充分に予測の範疇だ。
長年に渡って戸沢家を支えてきたのは伊達ではないだろう。
そういった意味ではこうして、俺が前面に立てるのも父上の存在が大きい。
いや……寧ろ、父上の存在なくして此処までの勢力を築けたであろうか。
これは正直、俺だけでは到底、出来なかった事だと思う。
愛季との戦に関しても、父上が後ろを守ってくれている事が有り難い。
宿敵を前にして、自らの全力を傾ける事が出来るか否かは重要な事だからだ。
今でこそ、正面切って敵対している訳ではないが、伊達家、最上家といった大名が動く可能性がある今の状態では如何しても其方にも意識を向けざるを得なくなる。
その分を引き受けてくれるのだから、これほど助けになるものはない。
隠居の身であるにも関わらず、父上が率先して動いてくれるのはそれを理解しての事なのだろう。
こうした父上の心遣いに感謝しつつ、俺は改めて宿敵である安東愛季の打倒の念を強くするのであった。
――――1581年1月下旬
当初の予定通り、盛安は角館を出陣した。
此度の戦に挑むにあたり、率いる軍勢、その数――――実に3000。
庄内平定における戦に動員した兵力を更に上回るほどの大軍である。
しかも、この中には雑賀衆を合わせて600丁もの鉄砲(ミュケレット式200も含む)を動員している。
新式の物を含め、これほどの数の鉄砲を揃えられたのはやはり、畿内での活動があったからだろう。
雑賀衆が動員している鉄砲隊の半数以上を占めているのがそれを大きく象徴している。
また、ミュケレット式の銃を準備しているのも愛季が鉄砲隊を動員する事を見越しての事だろうか。
真っ向からの火力による戦になった場合に射撃速度で勝るつもりであるのは想像に難くない。
但し、今の時期は雪や雨が降る事も多々あるため、鉄砲隊に過度な期待をする事は命取りとなる。
盛安はそれを見越し、此度の戦にはミュケレット式に並ぶ、もう一つの切り札であるギリシャの火も準備していた。
天候の崩れ易い時期では水では消えない性質を持つ、ギリシャの火はいざという時には絶大な力を発揮するからだ。
寧ろ、此方の方が戦における肝と成り得るかもしれない。
盛安は様々な戦況や状況を予測した上で持てる兵力や武器の多くを動員しているのだといえるだろう。
だが、これは盛安に対する愛季も同じである。
愛季が此度の戦のために率いてきた軍勢の数は――――実に4000。
盛安が動員した兵力よりも3割以上も多い大軍である。
これだけの兵力を此度の戦のために準備してきたのは流石の安東家といったところであろうか。
戸沢家が大きく勢力を拡大し、動員出来る兵力を増やしたにも関わらず、未だにそれを上回っている。
力の差は大分縮まっているとはいえど、これは安東家の力が強大である事を明確に示していた。
更に愛季は戦に挑むにあたり500丁ほどの鉄砲を揃えてきている。
背後に控える為信の存在にも備えている事を踏まえれば、此方もまた大量の鉄砲を動員してきたといえるだろう。
今までの安東家が運用してきた鉄砲の数から考えても、事実上の総力をあげての動員である事は想像に難くない。
盛安も愛季もそれだけ、此度の戦の重要性とその意味を理解しているのだ。
出羽北部の覇権を争い、戸沢、安東の両家の雌雄を決する事になるであろうこの戦が自らの分岐点になる可能性が高いという事を。
戸沢盛安と安東愛季がそれぞれの思惑を持ちながら、唐松野の地に布陣したその時を以って、いよいよ奥州の歴史の中でも激戦の一つであるとされる戦が始まる。
出羽北部のおける最大の戦として伝えられる事になるこの戦は後に――――
――――『唐松野の戦い』と呼ばれる事になる。
From FIN
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