夜叉九郎な俺
第10話 夜叉と悪竜





「む――――戸沢盛安殿か!」

 自らの名乗りをあげた若武者の姿を認め、満安が反応する。
 馬上にて槍を構え、一直線に向かってきている。
 その構えは年齢には似合わないほど形になっていた。

「自ら、この俺に挑んでくるとは面白い! この矢島満安、存分に相手になろう!」

 矢島満安と知って尚、挑んできた盛安に悦びを覚えながら満安は得物である八角の樫の棒を構える。
 自身の体躯の1.5倍はあるであろう八角の樫の棒は槍の間合いまで迫ってきた盛安に容易く届く。

「うおぉぉぉぉっっっ!!!!!」

 だが、盛安は馬上で身を捩り樫の棒による一撃を躱し、槍を突き出す。
 槍に対して、長さに勝るよう満安が盛安に向かって突き出した樫の棒の軌道を見切っていたのだ。
 一見、無謀に見えて盛安は案外、冷静らしい。

「ふんっ……!」

 しかし、満安も盛安の槍が届く前に身を躱す。
 六尺九寸もの体躯を持ちながら、満安の動きは決して鈍くない。
 驚異的ともいうべき体躯は見掛け倒しではないのだ。

「はあっっっ!!!」

 だが、盛安も成長途上にある身体を存分に活かしている。
 未だ13歳の若武者でしかない盛安は体躯が小さく、小回りが利く。
 大柄な満安に対して、隙間を潜り抜ける事で対処しているというべきだろう。
 見た目も体躯も対照的な2人ではあるが、双方共に自分の身体の持つ長所を理解し、活かしている。
 馬を操り、その上で自らの得物を振るう盛安と満安は間違いなく、優れた武将であろう。
 何しろ、総大将同士の一騎討ちという古典的なものでありながら、その光景は見る者の誰もが見惚れるほどだ。
 双方の武芸の達者さには驚くべきものがある。
 そう表現しても可笑しくないほど、盛安と満安の一騎討ちは周囲の兵達の誰もが手を出せない世界の中で繰り広げられていた。















@ AB
       A



 戸沢軍(合計510)
 @ 戸沢盛安(足軽120、騎馬50、鉄砲10)   180
 A 前田利信(足軽95、騎馬80、鉄砲25)        200
 B 戸沢政房(足軽95、騎馬35)             130



 由利十二頭連合軍(合計160)
 A 矢島満安(足軽125、騎馬35)            160





 盛安と満安の一騎討ちが繰り広げられている最中も戦は刻々と動いていく。
 その中で利信と政房は羽川新介の軍勢を挟撃し、撃破するに至っていた。

「羽川新介、この前田利信が討ち取った!」

 利信が羽川氏当主、羽川新介の首を取った事を声高々に宣言する。

「ひ、ひぃぃぃ!!! 御当主が討ち取られた、我らはもう終いだ……!」

 羽川氏の軍勢を率いていた総大将が討たれた事で足軽達全員に動揺がはしる。
 指揮を執っていた羽川新介を失った事で軍の統制が乱れ始めたのだ。
 大将を失い、軍の士気も下がった羽川の軍勢は動ける者から我先にと逃げ去っていく。
 その光景は赤尾津氏に引き続き、羽川氏を破った事の証明に他ならない。

「利信殿、御見事な戦いぶり。この政房、感服致しました」

 決着がついた事を認め、近くで戦っていた政房が利信の下へ近付く。
 政房は今度の戦において敵である赤尾津、羽川の両氏に因縁がある利信を立てるため、総大将の首を譲っていた。

「いや、こうして今度の戦で赤尾津、羽川の首を取れたのは政房の御陰だ。……感謝する」

「勿体ない御言葉です」

 利信も政房が自分の気持ちを汲んでくれた事を理解している。
 大曲を中心に所領を持つ、利信の家は長年に渡って赤尾津、羽川の両氏と争っていた。
 謂わば宿敵という間柄と思えば良いだろうか。
 先代の前田の当主である父を両氏との戦で失っている利信からすれば赤尾津、羽川は因縁深い相手であり、討つべき相手。
 今度の戦は利信にとって、待ちに待った機会であったともいえる。
 それに盛安と政房の配慮の御陰で双方の首を自分の手で取れたのだ。
 利信からすれば主君と同僚の心遣いに感謝するしかない。

「一先ず、盛安様と合流しよう。流石に矢島が相手となれば、盛安様も苦戦は免れぬ」

「そうですな。一刻も早く殿と合流し、矢島殿との戦に決着をつけましょう」

 両氏を討った事により、任されていた友軍の撃破という目的を達成した利信と政房は盛安と合流するべきと判断する。
 赤尾津、羽川の両氏の軍勢が戦力とならなくなった今、残る敵の戦力は満安の率いる軍勢のみだ。
 しかし、数は少なくとも満安の率いる軍勢の強さは決して侮れない。
 大将の矢島満安の性格が色濃くあらわれた矢島氏の兵達は勇猛果敢で徒歩戦に強い。
 騎馬の者も、八升栗毛と共に戦場を疾駆する満安に遅れを取らないように精鋭揃いだ。
 盛安が改めて編成し、鍛え直した戸沢家の軍勢に比べても劣るものではない。

「よし、これより我らは盛安様の下へ加勢しに参る! 敵は悪竜の異名を持つ、矢島満安だ。皆、心してかかれ!」

「応っ!!!!!」

 満安自身の強さと軍勢の強さの両方を踏まえ、利信は残っている兵に激を飛ばす。
 赤尾津、羽川の軍勢とは違う矢島の軍勢を相手にするには油断の一つもあってはならない。
 寧ろ、大曲での戦はここからの仕上げが本番なのだ。
 盛安が目標としているのは戦に勝利し、満安を配下とする事。
 それには赤尾津、羽川の軍勢を撃破し、矢島の軍勢を孤立させる必要があるとしていた。
 現在、利信と政房が目的を果たした状態にあるため、残るは満安を囲むのみ。
 総仕上げともいうべき段階にまで戦は進んでいる。
 利信と政房の成すべき事は盛安と合流し、敵に残ったのは満安だけであると証明する事。
 孤立した上で如何なる選択をするかは満安次第だ。
 それで、この戦の結果が明らかとなる。
 大曲の戦いは残すところ後、僅かの段階まで来ていた――――。















「「おおおぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!」」

 盛安と満安の振るう得物が鈍い音をたてながら一合、また一合と打ち合う。
 もう、一騎討ちを始めてから数え切れないほどに打ち合っただろうか。
 盛安と満安は自らの得物を槍と樫の棒から太刀に切り替えて戦っている。
 互いに取り回しの難しい得物よりも扱いやすい得物の方が戦いやすいと判断したからだ。
 馬上で繰り広げられる打ち合いはそれほどまでに長く行われていた。
 一騎討ちは満安の方が圧している形勢といったところだが、際どいところで盛安が踏み止まっていると言ったところだろうか。

「盛安殿、若いのに中々の腕前だ。正直、驚いたぞ」

「それは此方も同じだ満安殿。悪竜の異名に相応しい武勇……見事としか言いようがない」

 圧されているとはいえ、互いに強敵というべき相手と一騎討ちを演じる事に満足しているのは盛安も満安も同じのようだ。
 満安が嘗てない強敵である事に盛安は嬉しさすら覚えている。
 一度目の人生でもこれほどの使い手を目にする事は殆どなかったのだ。
 同じ奥州内で嘗ての盛安に匹敵していたであろう人物は伊達成実くらいのものだろう。
 満安の名は元々から聞いていたが、直接戦う事がなかっただけにどれほどの力量であるかは解らなかった。
 だが、こうして戦う機会を得て、一騎討ちを演じる中で盛安は満安が伊達成実をも超えるであろう武勇の士である事を認める。
 やはり、悪竜と呼ばれるその名は伊達ではないようだ。

「だが、この戦は俺の勝ちのようだ。満安殿……最早、貴殿に勝ちの目はないぞ」

 赤尾津、羽川の両氏を撃破した利信と政房の軍が此方へと向かってくるその姿を見ながら盛安が言う。
 合戦に及び、長い時間に渡って一騎討ちを繰り広げている間に戦の大勢は既に決まっていた。
 利信と政房の軍勢は見事に盛安の指示通り、早急に両氏の軍勢を撃破する事に成功したのだ。
 これにより、この場に残っている由利十二頭の軍勢は満安の率いる手勢のみとなっている。
 満安の手勢は数にして、残り約160。
 それに対して、盛安の手勢は残り180。
 特に満安が獅子奮迅の活躍を見せたため、盛安の軍勢の損害は非常に大きい。
 だが、盛安と満安の率いていた兵の数の差こそ縮まってはいるとはいえ、友軍である赤尾津と羽川が敗れた今、全体の差は大きく広がっている。

「……そのようだな」

 満安もそれを理解出来ないほど、道理を知らない人物ではない。
 多勢に無勢。
 しかも、盛安は前もって戦の運びを想定していたかの如く、手を回している。
 単騎で突破する事は決して不可能ではないが、その場合の末路は仁賀保氏に攻め滅ぼされる結末しかない。
 3倍もの軍勢の包囲を突破した場合、残る兵力は殆ど残らないであろうからだ。
 矢島氏が消耗し、軍勢も残り少ないとなれば先代よりの敵である仁賀保氏の侵攻を招くだけになる。
 満安としても仁賀保氏の手に掛かって逝く事だけは認めたくはなかった。
 撤退しても後に待つのは自らの死だけだ。

(些か、若いが胆力、武勇、采配。どれも申し分ない。赤尾津、羽川を討った手並みといい、中々のものだ。持っている器は悪くない)

 戦の流れを終始、掴んで離さなかった盛安の事を満安は悪くない人物であると判断する。
 13歳という年齢については若いとも思うが、満安自身も漸く、20歳を過ぎた程度だ。
 まだまだ伸び盛りであり、これからが油の乗り始める時期。
 その自分よりも更に若いという点を踏まえれば盛安の将来性は充分過ぎるくらいである。

「ならば、もう一合だけ相手になって貰おう。俺の本気を相手に如何様に対処するかで判断させて貰う」

 盛安の事を認め、満安はもう一度、樫の棒を手に取り構える。

「解った。これを最後にしよう、満安殿」

 満安の意図を理解した盛安は太刀から槍に持ち替え、相対する。

「――――」

 互いに得物を構えたまま、静止する盛安と満安。
 先程まで熾烈な一騎討ちを演じていた2人の前に完全に時が静止したかのようになる。
 一歩も動く事なく、僅かな身動ぎもなく、盛安と満安は視線のみを交えている。

「うおぉぉぉぉぉっっっ!!!!!」

 暫くの時が経過したところで、満安が盛安に向かって樫の棒を振り下ろす。
 盛安へ迫る樫の棒は一騎討ちを演じていた時よりも更に速く、唸りを上げている。

「――――」

 だが、盛安は一歩も動かない。
 樫の棒を見る事なく、満安の姿をじっと見つめている。
 満安が動いた事も意に介していないかのようだ。
 盛安は迫り来る樫の棒の動きを視界に捉えていながらも満安だけを見据えている。

「……完全に俺の負けのようだな」

 盛安の寸前で棒を止めながら、満安は自分の負けを認める。
 最後の一撃は満安の本気を前にして盛安がどのような反応をするかを確かめるためのもの。
 それ故に満安は樫の棒に得物を切り替えて、最後の一撃を放ったのだ。
 しかし、盛安は満安が寸止めで終わらせる事を始めから察していた。
 満安が盛安を殺そうとは思っていなかった事を何処かで感じていたのだろう。
 いや、互いに一騎討ちを演じ、通じ合うものがあったと言うべきだろうか。
 得物を合わせる事で互いの力量を大いに認め合ったのである。
 盛安も満安も自ら得物を取って戦う武勇の士であるだけに通じるものがあったのだと言える。

「こうなっては最早、何も言う事はない。この、矢島五郎満安。盛安殿に従おう」

 一騎討ちを凌ぎきり、大曲の戦を制した盛安に満安は従う事を決断する。
 盛安との戦いは一騎討ちに関しては満安が優勢であったが、合戦においては盛安が勝利している。
 受けた被害は決して多くはないが、友軍であった赤尾津、羽川が撃破され孤立した今となっては戦を続ける事は現実的ではない。
 それにこの場を突破したとしても仁賀保氏という敵を抱えている満安には後がない。
 満安にとって仁賀保氏と決着をつけるまでは腹を切るという選択肢も論外だ。
 選択肢としては考えるまでもなかった。

「……満安殿、感謝します」

 盛安も満安の決断に感謝の言葉を伝える。
 もし、このまま戦うならば満安を始めとして尽く、討ち果たさなくてはならなかったからだ。
 盛安を含め、この場の誰よりも武勇に優れ、八升栗毛という名馬を駆る満安を捕らえるなど、不可能に近い。
 それに盛安が率いていた鉄砲隊の多くを討ち取り、弓をも容易く叩き落してしまう驚異的な身体能力を誇る満安を討ち取るのも困難を極める。
 最後まで戦うのならば此方も相応の被害を覚悟しなくてはならない。
 下手をすれば盛安の方が討ち取られる可能性もあっただけに満安が従うと決断してくれた事は幾ら感謝しても足りなかった。
 寧ろ、満安の決断がこの戦の結末を決めてくれたと言っても良い。
 こうして、満安が盛安に降るという決断をした事により、大曲の戦いは多少の被害のみで終結したのである。





 ・大曲の戦い結果





 戸沢軍(残り兵力 510)
 ・戸沢盛安(足軽120、騎馬50、鉄砲10)   180
 ・前田利信(足軽95、騎馬80、鉄砲25)        200
 ・戸沢政房(足軽95、騎馬35)             130



 由利十二頭連合軍(残り兵力 160)
 ・矢島満安(足軽125、騎馬35)            160



 損害
 ・戸沢軍    190
 ・由利十二頭連合軍    290(大将討死により、この中の190は逃亡)



 討死 赤尾津光延、羽川新介





 悪竜の異名を持つ、矢島満安と戦ったこの大曲の戦いは戸沢盛安の名を大いに知らしめた。
 何しろ、家督を継承して1年も経過しない間に豪勇と名高い満安と一騎討ちを演じ、由利十二頭の赤尾津氏、羽川氏の当主を討ち取ったのだ。
 若干、13歳である盛安の初戦として見れば驚異的な戦果であるといっても良い。
 この時の戦での先頭に立って自ら得物を振るうという戦いぶりと満安との一騎討ちで見せた武勇から、盛安は後に夜叉九郎、鬼九郎の異名で呼ばれる事になる。
 戸沢盛安と矢島満安が矛を交えた大曲の戦い――――。
 これは本来ならば起こり得る事のなかった戦であった。
 しかし、大曲で行われた戦は現実であり、嘘偽りのないもの。
 この戦は史実とは違う道を歩み始めた歴史を証明する狼煙でもあったのだろう。
 奥州に名を残す夜叉と悪竜の2人が邂逅を果たしたこの戦は、史実とは違う歴史における最初の出来事となったのであった。































 From FIN



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