夜叉九郎な俺
第9話 大曲の戦い
「来た……か」
赤尾津、羽川の両氏を撤退させた後、軍備を整え直すために大曲城に入っていた俺は遠目で軍勢の姿を確認する。
その数は約450前後といったところだろうか。
現在の此方が率いている軍勢は700前後。
数としては此方が有利だが、一文字に三つ星の旗印が見えるため、敵には確実に矢島満安がいる。
いや……既に満安の姿は見えていると言うべきか。
六尺九寸という体躯に一丈二尺の八角の樫の棒を携えた姿は余りにも印象的だ。
それに遠目で見るだけでも矢島満安が発している空気は赤尾津、羽川の両氏と比べても明らかに違う。
追従している足軽達に挙動には乱れがない。
大将が大将ならば回りの兵の気質も一味違うというべきだろうか。
満安が率いているであろう軍勢は200前後と見えるが、単純に数で計れるものではない。
あれは確実に鍛えられた軍勢だ。
ただの寄せ集めとは訳が違う。
俺が率いている軍勢も家督を継承して以来、鍛え続けたものだがそれに比べても満安が率いる軍勢は強く見える。
総大将である矢島満安の気質が良く表れている軍勢であるといえるだろう。
「噂に違わない猛者である事は間違いないな……存在感が半端ではない」
「……確かに。矢島の悪竜の噂は聞いておりましたが、まさか一目で解るほどだとは」
矢島満安の存在感に驚く俺に同意する利信。
利信も俺と同じように難敵であるだろうという事を察したのだろう。
「して、盛安様。如何にして戦いまするか?」
「そうだな……やはり、赤尾津、羽川の両氏を一気に押し切っていくのが妥当だと思う。利信、やれるか?」
「無論です。赤尾津、羽川と決着を付けられるのであれば……この利信、如何様にも戦ってみせまする」
「頼りにしている。それで、利信がどのように戦うかだが――――」
満安が一筋縄では行かない事を前提として俺は利信に戦う方法を授ける。
要点は赤尾津、羽川の両氏を如何にして蹴散らすか。
連合した軍勢を相手とする戦において重要な要素の一つとして敵方の友軍を撃破するという方法があげられる。
これは敵方の弱い軍勢を先に崩す事で戦の流れを此方に引き寄せる事を前提とした戦い方で、極端に軍勢の力に大きな差がある時ほど有効だ。
早々に友軍を潰す事によって目的とした相手の軍勢を孤立させる――――それが今回の戦の方針。
数で勝っている以上、孤立させてしまえば矢島満安とて不利は否めない。
だが、豪勇で知られる彼の人物を正攻法で崩せるかの保証は全くない。
奇策を用いても良いのだろうが、それでは武辺者として正々堂々とした戦いを好む満安が降る事はないだろう。
何としても自力で勝つしかない。
合戦の目的を考えながら俺は利信らに出陣の下知を下すのだった。
・大曲の戦い
@ A
B CB
A
戸沢軍(合計700)
@ 戸沢盛安(足軽150、騎馬100、鉄砲50) 300
A 前田利信(足軽125、騎馬100、鉄砲25) 250
B 戸沢政房(足軽100、騎馬50) 150
由利十二頭連合軍(合計450)
A 矢島満安(足軽150、騎馬50) 200
B 赤尾津光延(足軽130) 130
C 羽川新介(足軽100、騎馬20) 120
「者共、続け――――! 一番槍はそれがし達が頂くぞ!」
「おおっ――――!」
互いの軍勢が布陣するや否や盛安から軍勢を預けられた政房が自らを先頭にして羽川の軍勢に一気に雪崩込む。
今はまだ年若いが、史実において九戸政実の乱を中心に活躍した政房の先駆けとしての力は確かなもので、戦の口火を切る役目を任されている。
その役割を受けた政房は真っ先に動き始め、敵方に騎馬が少ない事を見た時点で先手を打って、突撃をかけたのである。
「ぐっ……小癪な」
先手を取られた形となり、騎馬を前に出せなかった羽川新介が舌打ちをする。
相対した敵将の戸沢政房が20歳にもならない若者であったため、積極的に動くものだとは読んでいなかったのだ。
若さの分もあり、戦の経験が少ないであろうはずの政房が相手という事で油断があった事は否定出来ない。
しかし、政房は自分が若輩であり、無名である事を深く承知していた。
無名であるからこそ、先手を打ち易いと判断した政房の戦術眼は悪くないだろう。
戸沢政房と羽川新介の戦いは近くに布陣している赤尾津光延の方にも影響を齎しつつあった。
「羽川殿が先手を打たれただと!?」
前田利信の軍勢と相対する赤尾津光延は東側に布陣していた羽川新介の軍勢が攻撃を受けた事に驚く。
布陣して僅かな時間すらも経過していないところでの合戦の合図。
余りにも積極的過ぎる動きに裏をかかれた形となった。
「ぬぬ……奇策を好む者と見ていたが、読み違えたわ!」
光延は初戦を奇襲という形で臨んできた盛安を策士であると踏んでいた光延だが、全く異なる実態に歯噛みをする。
盛安の執った采配は正に正攻法そのもの。
如何に早く、真っ向から相手を駆逐出来るか――――それだけである。
年若い盛安がそれほどの迅速な指揮が出来るとは考えていなかった。
先日の奇襲の場合はあくまで待ち伏せをしていたからだと光延は思っていた。
だが、光延は大きな読み違いをしていた事に今更になって気付く。
盛安は奇襲、奇策よりも積極的な攻め手を得意とする武将だ。
現に盛安は前田利信と戸沢政房の2人を真っ先に動かしている。
数に勝り、矢島満安という強敵を抱えている事を前提とし、先に赤尾津、羽川の軍勢を撃破する事を狙ったのだ。
「も、持ち堪えよ! 仕掛けてきた敵は我が方と数は変わらぬぞ!」
盛安の狙いに気付いた光延は声を張り上げ、鼓舞するが既に遅い。
羽川を一気に押していた政房の軍勢に呼応し、利信の軍勢も攻め寄せてきたからだ。
利信が攻めてくるや、先手は貰ったとばかりに利信率いる軍勢の25丁に及ぶ鉄砲が盛大に音を鳴らし、光延率いる軍勢の耳を貫く。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
鉄砲を使った戦の経験のない赤尾津の足軽達が怯えたように浮き足立つ。
いきなり、五月蝿い音が鳴ったかと思うと周囲には鉄砲が命中し倒れた者の姿が幾人と見える。
弓の風を切るような音とは全く違う鉄砲の前に光延の率いる軍勢は混乱する。
「前田利信、見参! 赤尾津光延、その首……貰う!」
利信は浮き足立ったその隙を見逃さず、騎馬を率いて一気に突撃する。
混乱した軍勢に対して、騎馬の突撃は非常に有効だ。
ろくに反撃も出来ず、槍衾等による防御も失念している軍勢では騎馬を防ぐ事は出来ない。
また、騎馬の突撃で生き延びた者も後に続く、足軽に次々と討ち取られていった。
「前田利信……!?」
突撃してきた戸沢の軍勢の中に光延は利信の姿を認める。
だが、姿を見つけたのは利信の方が早かったらしく、その手には槍が構えられていた。
「覚悟!」
光延の姿を認め、真っ直ぐに利信が槍を突き出す。
互いに敵同士である利信と光延は互いの姿を見知っており、その姿は戦場であっても見違える事はない。
迷いなく振るわれる利信の槍は光延を貫いた。
「ぐふっ……」
利信の槍を身に受け光延は血を吐き出しながら崩れ落ちる。
もう、動く事も言葉を発する事も叶わない。
利信の槍は確実に光延の命を奪い取る。
鎧の間隙を的確に突いた利信の槍が深々と突き刺さるのが光延の見た最後の光景であった。
@ ACB
A
戸沢軍(合計630)
@ 戸沢盛安(足軽150、騎馬90、鉄砲30) 270
A 前田利信(足軽105、騎馬90、鉄砲25) 220
B 戸沢政房(足軽100、騎馬40) 140
由利十二頭連合軍(合計250)
A 矢島満安(足軽140、騎馬40) 180
C 羽川新介(足軽60、騎馬10) 70
「流石に強い……! 鉄砲でも物ともしないか!」
赤尾津光延が利信に討ち取られた頃、俺は満安との戦を開始していた。
手始めに弓、鉄砲を射掛けたが満安の軍勢は怯む事はない。
この頃の奥州の鉄砲の普及率は余り高くなく、鉄砲の音に慣れていない者も多い。
だが、満安率いる軍勢は鉄砲の音などに臆する事はない。
「おおおぉぉぉぉっっっっ!!!」
何故ならば、鉄砲の音以上に激しい声音を常日頃から聞いているからだ。
満安が裂帛の気合と共に一丈二尺の樫の棒を振るう姿は正に悪竜の名に相応しいほどで、彼の人物が動く度に複数の足軽達が討たれていく。
何しろ、一人一人を一撃で確実に討ち取っていくのだ。
しかも、鉄砲が驚異であると踏んだ満安は迷いなく愛馬である八升栗毛と共に鉄砲隊の中に飛び込んだ。
如何に鉄砲が優秀であるとはいえ、乱戦となってしまえばその力が発揮される事はない。
満安はそれを感覚的に理解しているのだろう。
俺が率いていた鉄砲隊50人の内、既に半数近くである20人が討ち取られている。
また、騎馬の方も一度の接敵で10騎失った。
僅かな時間で全体の1割の兵を討ち取られた形だが、半数以上は満安一人に討ち取られている。
此方も初撃における弓、鉄砲隊の活躍によって20人を討ち取っているが、被害は此方の方が大きい。
しかも、今現在も満安が単騎で次々と盛安の軍勢を討ち取っていく。
満安の奮戦ぶりを見る限り、恐らく100以上の損害は避けられない。
このままでは盛安の軍勢の方が先に崩壊してしまうだろう。
数による劣勢を容易く覆すほどの圧倒的な武勇を見せつける満安は凄まじいものがある。
「……矢島満安、悪竜の名に恥じない戦いぶりだ。俺も負けてはいられない」
その姿を見て、俺も自分の血が滾ってくるのを実感する。
この身は前世でも夜叉九郎または鬼九郎と呼ばれた身。
目の前で圧倒的な武勇を見せつけられては黙ってはいられない。
前世で夜叉と呼ばれたこの身は2度目の人生を送る事になった上で遠い先の時代の知識を得ても本質は変わらないようだ。
普通の転生者であればこのような事はないだろうが……猛者を前にして、逆に奮い立つのが解る。
――――戦いたい。
俺の身体が満安の姿に思うのはそれだけだ。
悪竜と称された満安の姿に夜叉九郎と呼ばれたこの身が動かないはずがない。
寧ろ、猛者を前にして俺が臆する事はありえない。
ならば、やるべき事は唯一つ。
「戸沢九郎盛安、見参! 矢島満安殿、一手御相手願おう!」
それは猛者の前に自ら名乗り、立ち向かう事。
大将自らが陣頭に出てこそが盛安の戦の真骨頂であり、本来の戦い方。
自ら太刀を取り、槍を取って戦う――――それが……夜叉九郎、戸沢盛安なのだ。
だから、俺は躊躇いもなく矢島満安に戦いを挑むのであった。
From FIN
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