夜叉九郎な俺
第7話 戦の前の静けさ
大叔父の死後、3日間の喪があけた。
現状では赤尾津氏も羽川氏も動く気配はないが、未だに予断を許す事は出来ない。
両氏に対しては安東家や小野寺家よりも一触即発の状態にあるからだ。
そのため、両氏の領地に近い大曲に拠点を持つ、利信には目を光らせておくように伝えている。
大曲は利信が当初を務める前田氏の代々の所領で、治めている期間は実に100年以上に及ぶ。
配下の戸蒔氏と同じく、大曲にも小さいながら城があるため、戸沢家にとっては重要な地であり由利十二頭に対しては牽制の意味もある地である。
そういった事情もあり、大曲にて利信が動向を探っている限り、両氏は迂闊に動く事は出来ないのだ。
「赤尾津、羽川が動くまでにはもう暫し、時があるだろう。盛直、如何見る?」
「はっ……! 現在は利信殿が大曲におります故、両氏が動く可能性は低いと思われます」
「……やはり、警戒しての事か」
「はい、そのように思います」
「ふむ……」
利信が睨みを利かせている事で両氏が迂闊に動けないという事に同意する盛直の意見に暫し考える。
利信は戸沢家中でも随一の知恵者であり、武将としても目を見張るものがある人物。
赤尾津、羽川の両氏からすれば先代の当主を討ち取った敵でもあるが、それは裏を返せば利信が難敵であると認識している事と同義だ。
大曲に利信がいる限り、彼の地は落とせないというのは多くの人間が思う事である。
「ならば、利信が病……という事にでもなれば動く可能性は高いな」
「はい、利信殿が伏せっているとならば両氏は嬉々として動くでしょう。利信殿の弟である五郎殿は戦下手であります故」
「そうか……これで方針が決まったな」
赤尾津、羽川の両氏に対する利信の影響力を踏まえ、動く方向性が決まる。
利信には病に伏せっている振りをして貰い、両氏を誘き出す。
謂わば、利信を囮として本命を討つという筋書きだ。
だが、あくまで赤尾津、羽川の両氏を動かす事は目標の第一段階でしかない。
まだ、家臣達全員には伏せているが、俺が狙っているのは両氏を追い詰めて由利十二頭の一つである矢島氏を引っ張り出す事である。
完膚なきまでに叩けば、両氏の中では由利十二頭の中でも最強と謳われる矢島氏にしか勝ちの目はないという考えに至るだろう。
それに矢島氏の当主である矢島満安も家督を継承して短い俺があっさりと両氏を撃破してしまえば此方に興味を持つ可能性は高い。
だが、この要諦での本番は矢島氏が出てきてからだ。
現在の矢島氏当主、矢島満安の軍事的な力は群を抜いており、個人の武勇、徒歩戦の巧さのどれをとっても一線級だ。
現代の時代における知名度こそ低いが、その実力は全国レベルといっても間違いない。
しかも、その矢島満安を配下とするならば俺自身の実力で負かす必要がある。
武辺者である満安を従えるには彼の人物を凌駕するか、または満安に認められなくてはならないからだ。
また、矢島氏が動く事で小野寺家が動いてくる可能性もあるが、その点は小野寺輝道がある事情で長期間、領地を離れる事になっているために問題とはならない。
そのため、小野寺家の干渉なく矢島氏と戦える貴重な時でもあるのだ。
俺は現状の事を踏まえつつ、軍備を進めるようにと盛直に伝えるのだった。
(軍備、治水工事とくれば次に思い付くのは鉱山だが……正直、俺に出来る事は殆どないな)
軍事行動の方針が決まったところで俺は次の開発に目星を付けた鉱山の事を思い浮かべる。
現在、戸沢家の領内にある鉱山は現代の時代で明らかになっているものを上げると荒川、日三市、畑、宮田又の4つ。
主に採掘出来る鉱山資源については、荒川が銅、鉛、亜鉛、硫化鉄。日三市が銅、鉛、金、銀。畑が金、銀、鉛、亜鉛。宮田又が銅、金、銀、鉛、亜鉛。
というように非常に豊富な資源が存在する。
特にこの中でも荒川は鉱山としても大規模であり、開発が進めば大きな利益が得られる。
史実においての俺は領内にある一部の鉱山しか見つけられなかったため、その恩恵を余り受けていないが、既に存在を知っている今となれば話は別だ。
開発を進めるべき鉱山が解っているのだから。
資金源という意味では重要なものとして鉱山開発については進める必要がある。
とはいっても鉱山開発については専門分野ではない。
出来る事といったら開発すべき場所を指定するくらいだ。
後は鉱山技師や鍛冶師のような専門の人間に任せるしかない。
そのため、俺には余り干渉の出来る分野ではない鉱山開発については簡単に指示を行う事しか出来なかった。
現代の時代にある良く聞く、転生や憑依といった話では次々と開発し、新しい技術等を導入している事が多いが流石にそう上手くはいかない。
知識があっても容易に出来るものではないし、原理が解っていても実現出来るかという点についても限度がある。
戦国時代に存在する技術では不可能なものも多々あるからだ。
研究をさせて時が進めば再現出来る技術もあるだろうが、生憎とそこまで時間に余裕はない。
1、2年前後くらいならば問題ないだろうが、本腰をいれるつもりなら最低でも5年以上の期間が必要であり、流石にそこまでは時を費やせない。
俺に確実と断言出来る時間は残り10数年しかないのだから。
現在の俺と似た境遇となった人間の行う方針でも内政チート、技術チートと良く聞くが……地力の弱い戸沢家ではそれらの多くが実現不可能なのだ。
実際にそれが出来るだけの力を得たとしても、その頃には伊達家や最上家、南部家、蘆名家といった大勢力を相手にして動かなくてはならない。
技術の発展を進めながら対処するという、余力を残す事は不可能だろう。
そういった事情もあり、現状の段階において鉱山開発を進めるのはあくまで資金源の要素と鉱山資源の利用がメインなのであった。
(とりあえず、このまま鉱山開発が進めば資金源に関しては最終的には何とかなる。だが……現状は治水工事以外と合わせてもこれ以上の発展は難しいな)
しかし、鉱山開発が進んでも戸沢家の領地にはまだ問題があった。
その問題とは海や港がない事で、要するに港町を持っていないという点である。
戦国時代における港町は流通の要で、物資の流通には欠かせないものである。
各地から物が集められ、それらを他の土地へと送り、物資を売るという流れで発展を続ける港町は経済的に大きな意味合いを持つ。
史実でも発展した多くの大名やそれ以前の時代の覇者の何れも港町を重視し、その発展には大きく力を注いだ。
物資の流通の中心となる港町は戦国時代でも重要視されているのである。
だが、戸沢家にはそれがない。
現状、港町は海に面した領地を持つ安東家に抑えられており、陸路での流通の主軸となる川の流通も安東家に抑えられている。
また、出羽国内には有名な港町として酒田の町があるが、それも戸沢家の現在の力では治めるに至らない。
物資の流通による発展は現状に関しては何も期待出来ないのだ。
もし、港町を抑えるつもりならば酒田の町が最大の目標となるが……それについても由利十二頭を始めとした勢力を打ち破らなくてはならない。
現状の戸沢家では領内の開発で限界が近いのである。
とはいえ、発展の余地として豊富な鉱山資源がある分だけ非常に恵まれているという事を幸運に思うしかない。
寧ろ、死亡フラグ的な要素がないのでずっとマシなのである。
(領内の発展が難しいのならば……軍事行動を優先すべきという事でもある。やはり、軍備が整ったら積極的に動かなくては)
そういった意味では条件は恵まれているというべきだし、領内の発展が難しいなら一定以上の水準を満たせば勢力拡大に専念出来る。
何れにせよ、港町を確保するには酒田の町まで勢力圏を伸ばさなくてはならないし、由利十二頭の幾つかを撃破しなくては次には進めない。
更には安東家、小野寺家との決着をつけて出羽国の北を統一しなくては目標ともいえる史実とは違う結末を迎えるには程遠い。
後、数ヶ月くらいの時は必要になるであろうが……いよいよ、軍事行動を起こすべき時が近付いてきたようだ。
第一の目標は赤尾津、羽川の両氏を完膚なきまでに叩き、矢島氏を表舞台に引き攣り出す事。
そして、矢島満安を配下とし、小野寺家と戦う事。
この際には思案する事が幾つかあるが、制限時間としては今から2年も残っていないため少し急ぐ必要がある。
時に制限がある以上、俺の考える構想は出来る限り、1580年中で完遂させなくてはならない。
史実通りならばその頃から最上義光が動き始める時期になるからだ。
なるべく、義光が動く前に成果を得ておかなくては後々で不利になる。
俺は領内の開発に限界がある事を踏まえながら、方針を決めていくのであった。
こうして、方針を定めて準備を進める事、数ヶ月――――。
季節も秋となり、徐々に冬が近付いてきたその頃、遂に戸沢盛安は最初の行動を起こし始めた。
大曲に所領を持つ前田利信が病に伏せっているという情報を由利十二頭の赤尾津、羽川の両氏に流し、盛安は気付かれないように軍勢を動かす。
目的は大曲城に攻め込んだ赤尾津氏、羽川氏を一気に蹴散らすためだ。
意図的に大曲へと攻め込ませ、奇襲にてそれを打ち破る。
その際には首を取るまで戦うのではなく、両氏の当主を矢島氏の所領へと逃げるように仕向けるのだ。
自ら強敵である矢島氏を呼び寄せる事になってしまうが、これが成すべき目標の最終段階。
武辺者として有名な矢島満安との戦に勝ち、彼の人物を配下とする事。
これが盛安の狙いであり、由利十二頭との戦に挑む最大の理由である。
財貨も武器も様々な方法があれば得る事は出来るが、優れた将という存在は何よりも得難い。
ましてや、矢島満安は伝説というべき多くの武勇伝を持つ人物なのだ。
多数の話を現代という時代に遺した人物というのは決して多くはない。
それに史実では直接戦う機会を得られなかった相手でもあり、盛安も思わず血が疼いてしまう。
幾ら先の時代の知識を得ようとも夜叉九郎と呼ばれた武勇の士としての性格や側面はなくならない。
寧ろ、其方の面の方が戸沢盛安の本質そのものであるからだ。
時は――――1578年、9月。
家督を継承して3度目の季節となるこの時が戸沢家18代目当主、戸沢盛安の名が史実とは異なる歴史の表舞台に立つその時であった。
From FIN
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