夜叉九郎な俺
第72話 消える鬼達





 ――――1582年2月20日





 ――――太田城





 北条家に織田家からの武田家征伐参陣の要請が届いた頃と同日。
 織田家と武田家の動向を読んでいた義宣は天を仰ぐ。
 何れはこの時が来るであろうと踏んではいたが、実際にこうして時が来ると中央は思った以上に情勢が動いている。
 盟約を結んでいる織田家が動く事は明白であっただけに状況としては必然的であったのかもしれない。

「勝頼様……申し訳ありませぬ」

 甲佐同盟以来、佐竹家は武田家からの要請を受け、織田家との和睦交渉を請け負ってきたがそれが果たせなかったが故に勝頼は苦境に陥っている。
 父、義重と同年代であり、同じ祖を持つ源氏の者として親しく関係を持っていた勝頼の力になれなかった事は義宣も残念に思う。

「しかしながら、織田家に弓を引くような真似は出来ない。……盟約を破るのは我が佐竹家の名折れだ」

 だが、佐竹家はこれ以上、武田家のために動く訳にはいかない。
 織田家と関係を持っている以上、肩入れし過ぎれば盟約を破る事になるからである。

「……義宣様。悔いても如何にもなりませぬ。武田家の命運は元より尽きていたのですから」

「義久殿……解っています。勝頼様は先代の信玄公の負の遺産を受け継ぎ過ぎた。……故に滅ぶべくして滅ぶのだと思う」

 武田家の命運は尽きていたであろう事を読み取っていた義宣に代弁するかのように言う義久。
 思えば、先代の当主である信玄が亡くなった段階で残っていた家中の問題が一切、解決していなかった時点で先行きは不透明だったように思う。
 義宣自身は義重の傍で武田家の情勢を聞きながら育ってきたので義久が淡々と言うのも当然だと判断する。
 滅ぶべくして滅ぶ――――それは不義の人であった信玄の生き様を聞く限り尚更だ。
 義重は同じ祖を持つ者として、信玄の事を恥を知らぬ人であると評していたが……それは互いの在り方の違いに理由がある。
 特に一番の大きな違いは盟約を結んだ相手に対する態度だろうか。
 義重も信玄も類希なる外交の才覚を持つ人物ではあり、共に強大な同盟網を築き上げた事でも知られている。
 特に今から30年近く前に締結された三国同盟とも呼ばれる、武田家、北条家、今川家の同盟は嘗てない程の同盟であった。
 しかし、今川義元が桶狭間の戦いで戦死した後は信玄の態度は一変する。
 鉱山を持ち、港も治める豊かな国である駿河を狙う方針に転換したのだ。
 一方的に盟約を破棄し、今までの盟友を追い落とす等、信玄の方針は一貫して不義でしかない。
 乱世であるからと言えば、其処までとしか言えないが――――これでは何れ信を失っても無理のない事であった。
 それに対し、佐竹家は反北条家の立場を明確にするための同盟として織田家、上杉家、武田家、宇都宮家といった大名間との同盟を結んでいる。
 無論、関東における反北条勢力の盟主として、その立場を違えた事は無い。
 あの上杉謙信ですら、一時期は北条家と和睦を結んでいるのだから義重の方針は徹底していると言える。
 それ故、義重は家中でも他の大名家からも信頼されている。
 織田家から友好的な立場で見られているのもその潔さがあっての事かもしれない。

「しかしながら、盟友が滅ぶのを黙って見過ごす訳にもいきません。義久殿、武田家の方々が領国にまで落ち延びて来られた際は受け入れたいと思うのですが……」

「良き考えであるかと存じます。義重様は現在、甲斐殿を戸沢家に送り届けるために御不在ではありますが……門戸は開いておくようにと申されておりました」

 義宣は武田家に対しても最低限の義を果たす方針を示し、義久もそれに同意する。
 当主である義重は前もって義久に告げていたようではあるが、次代の当主である義宣が方針を同じくしているのは親子の意思疎通が見事に出来ているからだろう。
 この点でも信玄と義信、勝頼の親子関係とは大きな違いであった。

「流石は父上……考える事は御見通しか。しかし……父上も自ら甲斐を送り届けるとは余程、盛安殿に興味がおありのようだ」

「無理もありますまい。夜叉九郎、鬼九郎と言う武名を持つ盛安様の事を同じく鬼と呼ばれる義重様が興味を持たない訳がありません。
 それに鬼姫と呼ばれ、恐れられる甲斐殿を態々、所望するのも理由の一つでございましょう。私は面白き御方であると見受けます」

「成る程……義久殿の申される通りだ。父上が興味を持つには充分過ぎる。それに……甲斐から聞いた”あの事”も理由の一つかもしれない」

「はい。義重様は甲斐殿から聞いた南蛮の軍勢の率い方に甚く興味を持たれた様子。自らそれを行い、日の本全ての諸大名の度肝を抜くとまで仰れていました」

「其処は師とも言うべき謙信公の影響かもしれないな……。あの御方も単身で家を出奔したりと余程、変わった御方であったと聞いている」

 今は所領から離れている義重の事を思い浮かべながら義宣は微笑む。
 義重に何処か無鉄砲な部分があるのは今や伝説の人となりつつある軍神、上杉謙信の薫陶を受けていたからだろうか。
 自らが率先して陣頭に立つ事といい、秘密裏に領内から出て行く事といい、良く似ていると言っても過言ではなかった。
 しかし、盟友である武田家が滅亡の道を歩んでいるにも関わらず、当主が不在というのは頃合いとしては良いとは言えない。
 義重もそれは解っていたはずだ。
 本来ならばこのような火急を要する時こそ、義重の力が必要なのであるが――――。
 義重が不在となっている背景は今より、一月以上前にまで遡る事になる。





















 ――――1582年1月上旬





「……盛安殿は雪解けを見計らって上洛するつもり、か。甲斐を嫁がせるならば上洛する前か戻った頃合いとして欲しいとの事らしい」

 新たな年である1582年(天正10年)となって数日。
 白河の地で奥州の動向を探っていた私は義重様の下に戻っていました。
 盛安様から婚姻の日取りについての話が来ていたとかで義重様から急遽戻って来るようにとの事で。

「そう、ですか……」

 書状の内容は私が以前に予測していた通り、上洛に関する事が書かれていたみたい。
 盛安様が上洛前にこうして便りを送ってきたのはきっと私にも本能寺の変に関わって欲しいからと言うのも理由にある気がする。
 遠い先の時代でも尚、語り継がれる本能寺の変は直接的に関わる事になれば何が起こるかは全く予想出来ない。
 もしかしたら、盛安様一人では方策が思い浮かばない場合だって考えられる。
 だけど、同じく先を知る私が居れば別の視点での意見を出せるかもしれない。
 知恵を搾り出すなら盛安様が一人で考え込むより、一緒に悩んで相談し合う方が良いに決まってる。
 もう一つの期日である上洛が終わった頃合いと言うのは恐らく、全てが終わってからと言う意味。
 無事に畿内から奥州へと戻る頃を見計らってとの事で、これについてはどちらかと言えば、佐竹家の状況を考えての事だと思う。
 盛安様は織田家が何れ武田家を攻める事を知っているからこそ、全てが終わった頃を見計らっている。
 義重様が武田家の真田昌幸殿を通じて甲佐同盟を結んだ以上、その盟約による立場の事を踏まえているんじゃないかと私には予測がつく。
 何れにしても、盛安様は分岐点となるだろうと言う今の時期だからこそ私の事を求めている。
 だから、私としては是非とも盛安様が上洛する前に嫁ぎたいのだけど――――。

「俺としては盛安殿が上洛する前に嫁がせるべきだと考えている。甲斐が盛安殿と共に立ちたいのであれば是非とも上洛は経験しておくべきだ」

 義重様は意外にも時期は早い方が良いと言う。
 私としては今から一ヶ月後には一つ目の大きな事件が起こる事を知っているからこそ、義重様は動かないかもと考えたけど……。
 流石の義重様でも未来予知までは出来ない。
 天性の勘を持つ義重様でさえも織田家が何時、武田家に攻め込むかなんて解るはずが無くて。
 そう考えれば私がこうして、先を知っているからこその考え方をしてしまう事を踏まえると……盛安様も同じように考えている可能性は非常に高い。
 だからこそ、白河で私が懸念していた事が現実になる可能性だってゼロじゃないと思う。
 なるべく考えないようにしていたけど……もしかするかもしれない。

「はい。私も可能ならば早く嫁ぎたいと思います。ですが……宜しいのですか?」

「構わぬ。俺としても盛安殿には興味がある。出来る事ならば直接、顔を合わせたいとも考えていたからな」

「義重様……」

 私が何処かで盛安様の事で気にしているのを見抜いているのか義重様は婚姻の話はこのまま進めるべきだと言う。
 盟友である武田家が何時、攻められる事になるか解らないのも承知した上で。
 義重様は何も言わないけれど……多分、感覚的に織田家が武田家征伐の軍勢を起こすのは間もなくだと気付いている。
 だけど、盟約の事もあって義重様が武田家に働きかける事は不可能で。
 自ら盟約を違える事を良しとしない御家柄である佐竹家の方針を考えれば無理もない事なのかもしれない。
 混迷を極めようとしてる時が迫ってきているのにも関わらず、婚姻のために動いてくれる義重様に私は唯々、感謝するほかありませんでした……。





















「成る程、甲斐は盛安殿が上洛する時期に戦になる可能性があると見ているのだな?」

「はい。義広殿の御厚意で白河に居させて頂いた折に感じたのですが……最上義光殿の動きが怪しいかと」

「ふむ……俺も義光殿が何れ、盛安殿と戦う事になるとは思っていた。……となれば甲斐の婚姻の際は軍勢も連れて行くべきだな。
 大々的に動かすのは北条の動きを誘う事になるかもしれぬが……仕方あるまい。万が一の事も考えられる」

 私が義光殿に警戒すべきだと言う事に同意する義重様。
 義広殿からも私が懸念していた事を聞いていたのかもしれない。
 戸沢家と最上家が何れ、戦う事になるのは予測が既についていたみたいで。
 視野の広さは流石としか言えない。
 だけど、義重様を以ってしても秘密裏に軍勢を動かす事は容易とは言えなくて。
 万が一の事態を想定して仕切りに考える様子を見せている。
 秘密裏に軍勢を動かしつつ、奥州まで辿り着く方法――――私には思い当たりが一つだけあった。

「義重様、私に考えがあるのですが……聞いて頂けますか?」

「……うむ」

 悩む義重様に私はその術を説明する。
 大々的に軍勢を動かせないのであれば、神出鬼没に軍勢を動かすのが上策。
 だけど、この術は言うのは簡単でも実行するのは至難を極める事になる。
 私が義重様に提示するのは概要としては至ってシンプルなもの。

「前もって集結する地を決め、軍勢を少人数に分けて移動させると言うのは如何でしょうか。移動する経路は各々の自由とすれば他の諸大名にも気取られる事はありません。
 また、奥州までは距離があるので集結する地は何箇所にも決めておき、集結と分かれて移動する事を繰り返します。……義重様、如何思われますか?」

 道のりの途中で立ち寄る場所を決めて、軍勢の移動、集結、解散を繰り返して北上すると言うのが私が考えていた方法。
 これはイタリアを代表する英雄、カルロ=ゼンが1380年のキオッジャの戦いの際に行ったと言われる神出鬼没の艦隊運用が大元のヒント。
 カルロ=ゼンは半年以上にも及ぶ長い期間に渡って潜伏し続けつつ、最後まで気取られる事なく、艦隊による奇襲を成功させた名将の中の名将。
 元は陸戦の指揮官であったと言われる身から瞬く間に海戦を極めたとされる鬼才であり、イタリア史上で有数の武名を誇る彼の人物の戦術は日本では全く馴染みがないもの。
 軍勢を分けて密かに移動させると言う術は彼の人物が傭兵に慕われる人物であったとされるのも成功の要因の一つと聞いた事があります。
 神懸かり的な采配と圧倒的と評するのも生温く感じる程の支持の双方を兼ね備えた英傑、それがカルロ=ゼンと言う人物。
 日本ではそれと同じものを持っていると断言出来る人物の多くは既に鬼籍に入っていて、この世には居ない。
 そう――――島津義弘殿、島津家久殿、立花道雪殿、鈴木重秀殿、真田昌幸殿といった歴戦の方々や義重様を除いて。
 後々にもなれば、毛利勝永殿、真田幸村殿、立花宗茂殿と言った方々も候補に上がるけれど……。
 何れにしても成し得る事が出来ると言える人物は極少数に限られてくる。
 それだけに私が口にしたこの作は荒唐無稽でしか無いのかもしれない。

「面白い。確かにそれならば北条にも気取られる事なく移動出来よう。少ない人数で動くのならば道中で見咎められる事もない――――正に上策だ。
 俺も謙信殿から様々な事を教わってきたつもりであったが……流石に斯様な術は思い付かなかった。……これは甲斐が考えたのか?」

「いえ……私の考えではありません。南蛮に伝わる軍略です」

「……そうか。だが、南蛮の軍略であろうがこれ以上に上策と言える手は存在しない。至急、手筈を整えるとしよう」

 半ば不可能に近いとも思える私の進言に我が意を得たりと言わんばかりの表情で実行する事を宣言する義重様。
 義重様が即断即決の人物である事は佐竹家に来てからは良く見ていたけれど……。
 まさか、此処まで難しい策を容易いものだとするとは全く思いもしなかった。
 これも坂東太郎、鬼義重とまで呼ばれる程の武威を誇る義重様であるからこそ可能なのかもしれない。
 関東において此処まで兵に慕われる人物もそう居ないのは間違いないのだから。
 頼もしい義重様を見ながら私はそのような思いを強くする。
 やっぱり、英傑は英傑を知るのだと言う事を目の当たりにしながら――――。





















 こうして、戸沢盛安と成田甲斐の婚姻のために秘密裏に佐竹義重が動き始める。
 素早く軍備を整えた義重は懐刀である義久に不在の間は義宣を助けるようにと後を託し、歴戦の将である太田資正に万が一の防衛を任せる事にした。
 自身は甲斐姫と盟友、真壁氏幹と師である愛洲宗道を伴って奥州へと向かう。
 甲斐姫の進言を受け、未だ誰も試みた事が無いであろう軍勢の運用方法を実行する義重。
 圧倒的な武威と軍神の後継者と言われる神懸かり的な采配を持つ彼の人物であるが故に実行する事が出来た日本史上でも稀な行動。
 並の人物であれば瞬く間に失敗に終わるであろうその行軍は義重が上杉謙信にも匹敵する人物である事の証明として後の時代へと語り継がれる事になるのであった――――。


































 From FIN



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