夜叉九郎な俺
第70話 明暗を分けた日





 ――――1582年2月16日





 ――――鳥居峠





 信忠が飯田城に入った日と同日。
 木曽義昌と遠山友忠の軍勢に織田勝長率いる別働隊が合流した。
 いよいよ、本格的に信濃を陥落させるための一大決戦を行おうという腹積もりである。
 鳥居峠での戦は武田家中では勝頼の猶子として扱われてきた勝長からすればある種の踏み絵のようなものであり、織田家の者である事を明確に内外に示す事になる戦。
 そのため、勝長は複雑な思いを抱えつつも武田家を駆逐せんがため采配を執るのであった。

「……義昌殿。勝頼様の派遣した今福昌和殿との戦……十中八九は勝機があるものと心得るが、如何見る?」

「はい……御味方の勝利は疑いようがありませぬ」

「そうか」

 鳥居峠に布陣し、軍勢の備えを済ませた勝長は義昌の返答を忌々しく思う。
 武田家の一門衆でありながら、織田家を”御味方”と呼んだのだ。
 勝頼の猶子であった自分もその点では大差無いのかもしれないが……勝長の場合は勝頼から直々に武田家を離れるように伝えられている。
 自らの意思で勝頼を見限った義昌とは立場が違う。
 こうして、武田家から織田家に戻った勝長が指揮を執る事になるのは皮肉なものではあるが、家に戻った以上は敵同士。
 勝長に出来る事は勝頼の下で学んだ事を存分に発揮し、一人の武士として一人前となった事を見せるだけである。

「……ならば、後は往くのみ。織田勝長として勝頼様に引導を渡す」

 賽は投げられた以上、強い決意を持って挑まなくてはならない。
 勝長は言い聞かせるように自らの意志を口にする。
 人質であったとはいえ、猶子として扱い、様々な事を学ばせてくれた勝頼には大恩がある。
 恩に報いる事が出来るとするならば、勝長の手で戦の行く末を決定付ける事。
 鳥居峠での戦は高遠城を始めとした信濃の諸城の明暗をはっきりとさせるものであり、戦略上の勝敗の分岐点ともなる。
 勝長が織田家と武田家の戦の決着の行く末を決めたとなれば勝頼も本望であろう。
 それが猶子として共にあった勝長に出来る恩返しだ。
 自らの意志を決めた今、躊躇う事など何もない。
 武田家と戦う事が往くべき道ならば、それに準ずるのみ。
 勝長は攻め寄せんと動き始める今福昌和の軍勢を見据えながら、采配を振るうのであった。



















 勝長らが陣を張る鳥居峠に昌和の軍勢が攻め寄せる事を発端にして鳥居峠を巡る戦が始まった。
 攻め寄せる武田家の軍勢に対し、木曽、遠山を主力とする勝長の軍勢は既に峠の中腹にある藪原砦を抑えている。
 相対する形としては高所に織田家が陣取り、麓に武田家が陣取るという形である。
 だが、生憎と戦の勝敗は決していたと言っても良い。
 峠や山を巡る戦では高所を守る側の方が圧倒的に有利だからである。
 無論、精強で知られる武田家の軍勢ならば並の敵が相手であれば遅れを取る事は無いが……敵は多数の銃を備える織田家である。
 高所から鉄砲、弓を射掛けられれば低所に陣取る軍勢ではひとたまりもない。
 進むにも退くにも相当な被害が出る事となる。
 しかし、昌和は退く選択肢を取る事は無かった。
 鳥居峠を奪還しない限り、信濃の諸城が立ち枯れていくだけである事を知っているからである。
 睨み合うだけでは何の進展も望むべくは無いし、無意味だ。
 だから昌和には動く以外の選択肢は存在しない。
 故に攻め寄せた訳なのだが――――。

「武田の状況は解っているが、容赦はしない。……撃てっ!」

 勝長も昌和の置かれている立場に理解を示しつつも容赦する事はしない。
 敵が向かってくるのであれば薙ぎ払うまでだ。
 藪原砦を中心に鉄砲隊を峠に配置した勝長は一斉射撃の号令を発する。
 寄居峠を奪還せんと進軍を開始する昌和率いる軍勢に容赦なく弾丸と矢の雨が降り注ぐ。
 一人、また一人と勇敢な足軽達が倒れていくが、武田家の軍勢はその歩みを止めない。

「長篠の戦で何も学ばなかったとは思えないが……仕方の無い事、か」

 愚直なまでに高所に陣取る織田勢を撃退せんと進む武田勢に勝長は長篠の戦いを思いおこす。
 肉弾戦を仕掛ける武田家に対し、馬防柵で防ぎながら鉄砲を射掛ける織田家。
 形こそ違えど、高所に陣取っている今はある意味で柵で守っているようなものだ。
 敵勢を上から見下ろす事でその姿は丸見えとなるし、峠を登らなくてはならない以上は進軍する方向も目に見えるほど明らかになる。
 自然と長篠の戦いの時のように向かってくるしか方法が無いとなれば一本調子の戦運びとなるのも無理はない。
 それに勝長の下には鳥居峠の地理を熟知している義昌が居る。
 大恩ある勝頼を真っ先に見限った者を当てにするとは不本意ではあるが、木曽谷を本拠とし山岳や峠に通じる義昌が此度の戦で鍵を握るのは間違い無い。
 そのため、勝長は義昌を苦々しく思いながらも重要せざるを得ないのである。
 事実、義昌は勝頼の動きを察し、見事なまでに妨害に成功していた。
 先手を打たれ、地の利も無いともなれば昌和に打つ手は無いのも同然である。

「昌和殿……最早、これまでだな」

 只管に討ち取られていく武田勢の姿を見ながら、勝長は勝敗が決した事を確信する。
 既に昌和の率いる軍勢は600騎にも及ぶ者達が倒れていた。
 最早、大多数の者が鉄砲に倒れ、士気も奮う事はない。
 事実上、軍勢は崩壊したと言える。
 勝長はそれを見て、これまでであると判断したのだ。

「……はい、呆気無いものですな」

 昌和の軍勢が満身創痍で撤退した事を見届け、義昌が勝長に同意する。
 地の利を抑え、終始に渡って一方的な展開を見せた鳥居峠の戦いは呆気無いものであるといっても過言ではない。

「……だが、本来ならば楽に終わった戦では無かったはずだ」

 しかし、勝長は此度の戦を楽に終わるはずのものでは無かったと判断する。
 戦上手である勝頼が鳥居峠の奪還を命じてきた以上、何の手を打たなかったとは思えない。

「……季節に助けられたな」

 恐らく、冬であるが故に得た勝利である。
 今の季節の信濃は雪深い道も多く、場所によっては軍勢を動かす事も難しい場所も存在しているからだ。
 勝長が思うに鳥居峠を奪還する際には高遠城の仁科盛信が動くのが本来の筋書きであったはずである。
 盛信の率いる軍勢が別働隊として戦に参加していれば戦の経験が多いとは言えない勝長で凌げたかは解らない。
 戦のいろはと言うべきものは勝頼の猶子であった頃に真田昌幸に教わったものだが……。
 現実に軍勢を動かした経験があると無いとでは随分と違う。
 義昌を始めとして補佐する者が居たのも、初陣である勝長を補佐するためであり、その経験の無さを考慮したものである。
 正直、信忠のはからいには感謝するしかない。
 勝長が思う通りに戦の采配を執れるか否かまでは未知数の部分があった事も否定出来なかっただけに万が一の想定をしていたのは理に適っていた。
 敢えて確執のある義昌を下に付けたのは一種の踏み絵のようなものなのであろうが、これも仕方ない事だろう。
 勝頼の猶子であった事は一部の将兵に疑念を持たせるには充分な要素であったからだ。
 何れにせよ、季節を含めて様々な要因が重なりあい、鳥居峠の戦における勝敗が決した事で武田家は更なる苦境に陥る事となる。
 勝長が自ら勝頼に引導を渡すと言った言葉は正に現実のものとなりつつあったのだ――――。



















 ――――2月18日





 ――――上原城





 連日のように各地から届けられる敗報や凶報に上原城の軍議は紛糾していた。
 滝之沢城の陥落に始まり、松尾城、大嶋城、飯田城、鳥居峠と次々に失っていく信濃防衛には欠かせない要害。
 全てが此処、数日間での報告であり、特に2月16日に失ったものは戦略的にも最重要のもの。
 それだけに此等を尽く失った事は信濃の戦線が完全に崩壊した事を示していた。

「敵が高遠城に攻め寄せるのを待ち、儂が自ら全軍を率いて決戦を挑む!」

 勝頼は全ての報告を聞いた後に口を開く。
 今までは山県昌満、横田尹松らと言った家臣達の議論や意見を黙って聞いていたが、一向に打開策と言うべきものは出てこない。
 幾ら、策を吟味しようとも戦力としては予備兵力も少なく、勝頼の率いる本隊を動かす以外には実現に難点のあるものばかりであった。
 勝頼が自ら全軍を率いて決戦を挑むと言う発想に至ったのも無理はない事である。

「……流石に無謀だぞ、勝頼殿」

 勝頼の意見に信豊が反対する。
 一門衆の中でも猪突猛進の人物の一人と言われる信豊も余りにも酷い報告の前には意気消沈してしまっている。
 開かれる軍議にも数回に一度ほどしか参加しなくなり、議論したところで無意味である事を既に理解していた。

「だが、動かなくては勝機を見い出す事も出来ぬ!」

「しかし……此処で我らが敗れれば立ち直れぬだけの打撃を受ける事になる」

「ならば、如何せよと言うのだ!」

 信豊と激しく言い争う勝頼だが、既に自身も憔悴しきっている。
 本来ならば信豊の言い分に一理あるのだが、今の勝頼にはそれを気遣う余裕がない。
   吐き捨てるように口にした言葉も唯々、言い返すだけのものにしかならなかった。

「如何もこうもない。勝頼殿と真田安房の構想通り、甲斐に戻って決戦すべきであろう」

「……信濃では戦にならぬとでも言うのか」

「その通りだ。信濃の者達は我ら武田の者に恨みこそあれど、恩義を感じているものは殆ど居らぬ。元々から本気で武田のために戦おうと思っている者など真田だけだ。
 しかし、肝心の真田安房は上野の戦線を任され、信濃には居ない。一度、甲斐にまで戻って招聘せねば”信玄公の眼”の力を借りる事は出来ぬ」

「だが、それでは!」

「……高遠を見捨てる事になるだろうな。されど、仁科殿を犠牲にするくらいはせねば、諏訪の者達から不満が出るだけだ。相応の対価は払わねばならぬ。
 それに甲斐こそが我ら武田の本領であり、一蓮托生の者共がひしめいている。甲斐国内で戦ってこそ、地の利と人の和を得られると言うものだ。
 もし、それでも駄目なのであれば、真田安房の申し出に従って上州へと退けば良い。……武田の本流は常陸の出であるのだからな」

「しかし、五郎を見殺しにするわけには――――」

「そのための高遠ではなかったのか、勝頼殿」

「ぐ……」

 信豊の言う事は全て正しい。
 嘗て、信玄によって喰い破られた信濃の国は武田家の者に恨みこそあっても恩義を感じている者は殆ど居ない。
 事実、一門衆にまで迎えられていた義昌が真っ先に離反しているのだから。
 この時点で信濃の者達が武田家のために戦おうと考えてはいない事が見て取れる。
 次々と自落していく城の事も踏まえれば、それは尚更であるとしか言い様がない。
 しかし、武田家のために戦おうとした者が居ないと言う訳でも無いのだ。
 真田昌幸を筆頭に諏訪家の一門衆である諏訪頼忠ら一部の者達は最善を尽くそうと懸命に働いてくれている。
 それだけに勝頼が甲斐に退くには相応の対価を払わねばならなかった。
 信豊が高遠城を犠牲にするしかないと言ったのは勝頼の実弟である仁科盛信が在城しているからこそ。
 一門衆の中でも最も勝頼に近い立場にある盛信がその身を挺する事で信濃の国衆にも示しがつくと言うものである。
 信豊の進言は理に適っているし、間違いは一つもない。
 解っている、解ってはいるのだが――――。

「……信豊の申す事に一理はある。だが、此処に至っても織田家に同調すると見られていた北条家は積極的に動いている様子はないし、景勝殿が動く可能性もある。
 上州に関しては安泰であるし、一条信就や依田信蕃といった頼りになる者達も居る。このまま陣を構え、情勢を観望し、時が来たら動くとしよう」

 勝頼には高遠城を見捨てると言う選択肢を選ぶ事は出来なかった。
 一門衆の中で最も勝頼を理解し、頼る事の出来る数少ない人物である盛信を見捨てるなど出来はしない。
 それに勝頼の中にはまだ、高天神城が陥落したおりに援軍を送る事が出来なかった時の衝撃が根強く残っていた。
 全ては自らが陥落させた高天神城を奪還された事から崩壊の兆しが見え始めたのだから。
 父、信玄とは違うと言う事を証明した高天神城ではあったが、綻びを見せる事になったのもまた高天神城であった。
 勝頼の行動が全て裏目に出始めたのも、自らの武勇を象徴する彼の城が陥落してからだ。
 それだけに盛信の事を関係なしに高遠城を見捨てるわけにはいかない。
 今度こそ万が一の際に援軍を送らねばならないのだ。

「……そうか。勝頼殿がそのつもりならばこれ以上は何も言わぬ」

 勝頼の決断にさもありなんと言った様子で信豊は溜息を吐く。
 高天神城の事を引き摺っているは解るが……最早、その段階はとうに過ぎている。
 景勝が動く可能性があると言うのも、現状の段階では望みが薄い。
 織田家は越中方面からも進軍を開始しているのだから。
 もし、実際に景勝が援軍を出してくれていたのだとしても間に合う保証は何処にもない。
 勝頼の決断は希望的観測に基づくものでしかないのだ。
 この場に昌幸が居れば何かしらの手を打つか、勝頼を説得する事も出来たのであろうが、居ないのでは如何する事も出来ない。
 他の幕僚達とは違って、信豊は自らの思う事を一切包み隠さずに進言したが、それも聞き入れられないとなればこれ以上は軍議に参加する理由もなかった。
 結局、信豊はこの日に行われた軍議を最後に上原城では一切の進言を勝頼には行わなくなる。
 此処にきてまたしても、勝頼の決断は裏目に出たと言うべきだろう。
 上原城に入っている人物の中でも唯一、信豊だけが勝頼に強く意見を言える人物であっただけにその進言が無くなる事は大きく影響する。
 自らの首を絞めるかのような形で終決させる事となった軍議はこれから先の情勢の推移を示唆しているかのようであった。
 事実、これから先の数日間に齎される報告は全て勝頼が望んでいたものではなく、更なる情勢の悪化を伝えるものだけだったからである――――。


































 From FIN



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