夜叉九郎な俺
第55話 戦場に潜む者





 伊達輝宗率いる軍勢と佐竹義久、相馬盛胤率いる連合軍との戦が終結したその頃――――。
 別働隊を任されていた伊達政宗は敵方の本隊を率いる相馬義胤との戦に臨んでいた。

「相馬義胤など、蹴散らしてくれるわ!」

 伊達家にとって因縁の相手である相馬家との戦に初陣でありながら敵総大将である義胤との戦という事もあり、勇んだ様子で陣頭に立つ政宗。
 初めての戦場にも関わらず、声高々に叫び堂々と得物を抜いて指揮を執ろうとしている姿は一人の武将として高い目標を持っているが故の事だろうか。
 それとも、純粋に宿敵である相馬家にだけは負けたくないという思いがあるからだろうか。
 何れにせよ、政宗は相馬家の意表を突くかのように前面へと押し出す。

「藤次に負けるか、相馬義胤の首は俺が取る!」

 同じく初陣を迎える成実も政宗に負けじと後に続く。
 幼い頃より、政宗以上に武芸に修練に熱心であった成実は自らの武勇にはそれなりの自負がある。
 同年代であり、共に修練した時期もある政宗に劣った事は一度たりとて無いし、今では相手を務めた景綱をも凌いでいるといっても良い。
 毛虫の前立に示した退かないという心意気もあってか、成実は政宗よりも勇んでいるようであった。

「政宗様、成実様! ……仕方がない。私は御二方と行きますので、元時殿は援護を御願いします」

「心得た。若殿達の事は景綱殿に御任せする」

 初陣で勇み立っている互いの主君に景綱と元時は困った様子を見せながらも迅速に対応する。
 共に政宗、成実が幼い頃から仕えている者同士であるためか、こういった時に如何に動くべきかは誰よりも理解していた。
 無鉄砲な部分もあり、常人には理解出来ないような行動を取る事も多い若き主君に追随するのは並大抵の心構えでは出来ない。
 身を以って尽くす事に躊躇いがないからこそ可能なのである。
 それに鉄砲隊を預かっている元時が援護し、政宗達の補佐を委ねられている景綱が後を追うのは理に適っていると言えるだろうし、間違いではない。
 堅実とも取れる判断は冷静に事態を見ている事の証明だろう。

「綱元殿は……」

「景綱と共に政宗様を追う。みすみす、後ろに居て主君に従わなかったとあっては親父殿に叱られてしまうからな」

 景綱は念を押すように政宗の別働隊に軍勢を率いる立場で参陣している最後の人物である鬼庭綱元に問いかける。
 綱元は姉である片倉喜多の異母弟であり、景綱からすれば血の繋がらない兄という複雑な立場にあるが、共に政宗付きとして仕える者同士でもある。
 そのためか、当然といった表情で共に政宗を追う事に賛同する綱元。
 伊達家の忠臣である父、鬼庭良直にも若き主君である政宗の事を託されているだけに景綱に言われるまでもなかった。

「解りました、共に行きましょう」

 景綱も良直の気質は良く理解しているため、綱元が共に行く事を了解する。
 此処で政宗に従わなければ、後で何を言われるか解らないと言うのは喜多の実弟である景綱も同様だからだ。
 血は繋がっていないとはいえ、良直は父親同然でもある。
 良直の方も景綱の事は実の息子のように期待をかけてくれているだけにそれを裏切る真似は出来ない。
 そのため、慌てて後を追う事を決断するのだが――――これは大きな間違いであった。
 今でこそ相馬家との戦でしかないが、この戦の裏には強大な存在がある事を政宗を含め、景綱達はその存在に気付いていない。
 故に真っ先に義胤の首を狙うべく先走った政宗と成実を止めなかったのだが……。
 この先にはまだ見ぬ、鬼の存在が控えている。
 そして――――その鬼と呼ばれる人物によって、政宗の初陣となったこの戦の結末が大きく変わる事になるとは、まだ誰も知らない。



















「ほう……甥も中々やるものだな」

 義胤の率いる軍勢が戦い始めたのを遠目で見ながら、義重は呟く。
 数で勝っているとはいえ、幾度となく輝宗に苦渋を味あわせてきた義胤を相手に正面から優勢に立つ事はそう簡単な事ではない。
 騎馬隊を中心に個々の戦力の勇猛さに関しては相馬家に軍配が上がり、伊達家との戦を多く経験している義胤は武将としても一人前だ。
 年頃が義重と変わらないために老練であるとは言えないが、少なくとも奥州では中々の戦歴を持っている。
 その義胤を初陣であり、戦を経験していない政宗が単純な攻めで押しているのは彼の人物の資質の現れだろうか。
 若いながらにも中々、侮れないように思う。

「……父上」

 傍で良く戦場を見るようにと申し渡され、待機していた義宣が義胤が劣勢である事を察し、何か言いたげな表情で義重の名を呼ぶ。
 だが、その様子に不安の色はなく、寧ろ動く時が近いのではと察した様子だ。
 敵方の政宗と同じく初陣の身である義宣だが、戦場での機敏には聡いらしい。
 義重自身も若い頃から陣頭で戦い、戦場での見る目を養ってきたが、義宣も初陣なりに感じるものがあるのだろう。
 もしかしたら、政宗や成実の戦いぶりに触発されたのかもしれない。
 意外と落ち着きのある性格である義宣だが、流石に此度ばかりは逸る気持ちがあるようだ。

「ああ、今が動く時だ。義宣は俺とこのまま前に出るぞ」

「解りました、父上」

 義宣の様子に若い頃の自分を重ねつつ、動く時だと告げる義重。
 あくまでも此度の戦の目的は相馬家の助力ではあるが、流石に劣勢の状態で此方から動かないという事はない。
 戦の主軸となる義胤が政宗に敗北したとなれば戦はそこまでとなってしまうからだ。
 助力を頼まれたのに無下にするわけにもいかない。
 いよいよ、坂東太郎の戦を義宣に見せる時が来たのである。

「我が甥、伊達政宗よ――――如何なる者であるか見届けてくれよう」

 それに自らの戦を見せる相手は義宣だけではない。
 甥である政宗に対しても戦を見せつけなくてはならない。
 義兄である輝宗が期待し、伊達家の将来を担う者と言われる政宗に戦の何たるかを叩き込む。
 義重と戦い、何を得るか、何を失うかで政宗の今後の真価が解るというものだ。
 だが、盟友である景勝から伝え聞く盛安の事といい、女性ながらに戦に才覚を持つ甲斐姫といい次の世代と言うべき人物達の事を見ていると……
 そういった若い人物の一人である政宗にも何かを期待したくなる。
 此処で一敗地に塗れる事で一皮剥けるのか、それとも、そこまでで終わってしまうのか。
 何れにせよ、輝宗が才覚の片鱗を見たというのならば間違いはないと義重は思う。
 盟友の一人である武田勝頼の家臣である真田昌幸にも2人の才覚ある息子が居るとも聞き及んでいるし、これは新たな時代が近付きつつあるのを示している事に相違ない。
 輝宗もそれを察しているからこそ、此度の因縁の戦に政宗の初陣を迎えさせたのだろう。
 それ故に義重と戦う事になったこの戦は色々な意味で影響を与える事になる。
 勢力に関しても、個人に関しても。
 特に戦場で”鬼”と呼ばれる人間が如何な者であるかを見る事になるのは武将としての在り方にも影響を及ぼす。
 そういった意味では初陣を迎える若い世代である義宣や政宗にとっては此度の戦が後々の糧となるのだ。
 義重は軍神と呼ばれた上杉謙信の薫陶を受けていた頃の自分の身を思い出しつつ、遠く先に見える伊達家の旗印を見据え、軍勢を動かすべく采配を執るのであった。



















「義胤め、大した事はないなっ!」

 自ら相馬家の軍勢に切り込み、戦う政宗は思っていたよりも手応えがない事を感じつつ声を張り上げる。
 精強で知られ、輝宗が苦戦しているとされる相馬家の軍勢は政宗にとってはそれほどのものとは思えなかったからだ。
 これは軍勢の数に大きな開きがあるのも一つの要因ではあるのだが、初陣を迎えたばかりの政宗にそれを深く熟考する事は出来ない。
 昂る気持ちが先走るあまりか、錯覚している部分があるのだろう。

「ああ、これならば、まだ小十郎達との訓練の方が歯応えがあるくらいだ」

 そのため、政宗と同じ時を迎えている成実も特に疑問を挟む事もなく、それに同意する。
 若くして伊達家中随一とすら評されている成実からすれば並大抵の相手ではそのように感じてしまうのかもしれない。
 決して弱くはない相手であっても、まともに打ち合う事すら出来ないのだから。
 成実に迫り来る相馬家の軍勢は一合の下に斬り伏せられている事からもそれが窺える。

「だが、義胤とて馬鹿ではあるまい。次の動きを見せる前に小十郎達と合流せねばな」

 政宗は成実の戦いぶりなら大抵の事は乗り切れると思っているが、戦は水物であると聞いている以上、油断は出来ない。
 先陣を切るために景綱達よりも前に出てきたが、此処が見極めどころだろう。
 今よりも更に深入りして何かあれば、それこそ如何なるか解らないからだ。
 義胤のような数多くの戦を経験している武将が手を打ってこないとは考えられない。
 今が優勢なのも政宗、成実の攻めが予想以上であったに過ぎなかったからでしかないのかもしれなかった。

「そうだな。一番槍で充分に先陣を切る事は出来たし……此処からは小十郎達を交えて戦を進めよう。流石に俺達だけでは難しいだろうしな」

 成実も政宗の意見に同意する。
 武芸に関しては自負出来るものを持つ成実ではあるが、それに自惚れるほど自信過剰ではない。
 政宗の家臣である景綱や成実の直臣である元時の経験には敵わないし、2人よりも更に歳上である綱元に関しては言わずもがなだ。
 戦に関しては場数を重ねてきた者には及ばない事を成実は自覚している。

「しかし、俺達の率いる軍勢よりも相馬の方が少ないが故に有利なのは解るが……」

 だが、場数が足りないとはいえ、成実は義胤の動きが聞いていたものと違う事に気付いていた。
 如何も何かを待っているかのようにも思えるのだ。
 相馬家の軍勢が思ったよりも手応えがなかったのは成実の武勇の賜物ではあるが、それでも違和感が拭えない。

「……藤五も気付いたか」

 それは政宗の方も同様で相馬家の積極性が崩れている事に思うところがあった。
 先程までは義胤と思われる人物の姿が遠くに見えていたのだが、今ではそれが見えない。
 後ろに退いた可能性も考えられるが、義胤の気質からすれば考えにくい。
 政宗はそれに違和感を覚えたのだ。

「ああ、背筋がぞっとするような感じがある。これは何か来る――――」

 同じく成実も政宗と同様に何かがある、と口にする。
 言葉にはし辛いものがあるが、背筋に冷たい何かが撫でるような感覚。
 周囲の空気が底冷えするような感覚。
 正に形容し難いものが近付いているような気がする。
 消えた義胤の姿と積極性に乏しい相馬家の軍勢。
 これが何を示すのかは流石に解らない。
 景綱や元時であれば気付いたかもしれないが――――。
 今の政宗と成実にはそれを読み取るだけの経験や知識がまだ足りなかった。
 何かがあるだろうと思っても如何いった動きを見せるのかの予測までは出来ないのだ。
 こればかりは初陣を迎えたばかりであるが故に仕方がない事なのではあるが――――。
 成実の「何か来る」という言葉を肯定するかのように何時の間にか周囲に展開していた敵勢の数が大きく増していく。
 義胤が率いているはずのものとは全く異なる軍勢。
 その数は政宗が指揮を委ねられた手勢よりも更に多く、1000丁以上にも及ぶであろう大量の鉄砲を抱えている。
 此度の戦において伊達家が準備していた鉄砲は300前後である事を踏まえれば、ゆうに3倍以上もの数を揃えてきたのだ。
 これは少なくとも相馬家の軍勢では在り得ない。
 彼の家の動員兵力の総数は1300前後でしかないのだから。
 騎馬を中心とした軍勢を率いる義胤の立場からすれば途方も無い数だ。
 奥州でそれほどの鉄砲を揃えている大名など戸沢家くらいしか存在しない事からして、何処かの大名が助勢している可能性も決して否定は出来ない。
 政宗と成実がいま一つ理解出来ない中で目の前に現れた軍勢が旗印を掲げる。

「まさか、佐竹の鬼叔父か――――っ!」

 翻ったのは扇に月丸の家紋――――佐竹家のもの。
 相馬家と戦う上では現れる可能性は零ではなかったが、まさか初陣となる此度の戦で出てくるとは思いもしなかった。
 成実が背筋がぞっとすると口にしたのも佐竹家という大物が控えていた事にほかならない。
 予想だにしていなかった新手の前に政宗は思わず、佐竹家の軍勢を率いているであろう人物の名前を紡ぐ。
 佐竹の鬼叔父こと、佐竹義重。
 伊達家とは長年に渡って争ってきた敵の一角である上杉謙信の盟友にして、その軍配の後継者と名高い人物。
 初陣の相手とするならば、これほど高い壁となる相手は存在しない。
 扇に月丸の旗印を掲げた多数の鉄砲を抱えた軍勢と今、戦う事は命懸けのものにしかならないだろう。
 今現在の政宗と成実では如何があっても手に余る。
 だが、そんな政宗達の事情とは関係なしに坂東太郎と呼ばれる名実共に関東から南奥州にかけてその名を轟かせる猛将が早くも目の前に立ち塞がる。
 これが果たして、何を齎すのかは解らない。
 唯、はっきりと政宗と成実に理解出来た事は――――この戦場が地獄と成り得る可能性があるという事だけであった。


































 From FIN



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