夜叉九郎な俺
第29話 一段の逸物





 ――――津田信澄
 この名を聞いた事のある人は織田信長の弟、織田信勝こと織田信行の息子であるという認識が強いだろうか。
 信澄は謀叛人の息子であるという複雑な立場にあったが、若くして才気に溢れ、器量もある人物であった。
 それ故にその才覚を見抜いた信長は信澄を一門衆として重用し、嫡男の信忠と並んで各地を転戦させている。
 実際に信澄は播磨における三木城の戦いにて別所長治の援軍として現れた毛利家と戦っており、その際には巧みな采配でそれを完膚無きにまで打ち破った経験もある。
 そのような経緯もあり、信澄は織田家の次代を担う者として大いに期待されたのだろう。
 織田家の中でも羽柴秀吉に並ぶ出世頭と言われた明智光秀の娘を娶り、岳父となった光秀からもその才覚を大きく評価されている。
 だが、優れた才覚と器を持つ信澄は自らの出自と立場が仇となり、史実では本能寺の変の混乱期に丹羽長秀の手によって暗殺されてしまった。
 謀叛人の父親と謀叛人の岳父を持つという立場が信澄を生かす事を許さなかったのだろう。
 津田信澄という人物は生まれながらの立場から織田家一門衆としては非常に複雑な人物であったといえる。

「私のような若輩者に津田信澄様が自ら御挨拶に来られるとは、光栄の極みにございます」

 信長からの遣いの者から報告を聞いて態々、出向いてきた信澄に俺は深く感謝の言葉を伝える。
 まさか、信澄と会う機会が訪れるとは思ってもいなかっただけにその念は尚更、強い。

「ああ、俺も伯父上が認めた盛安殿に会えて嬉しく思う」

 信澄の方も俺と同じような事を思っていたらしい。
 信長から遣いの者が如何のような事を伝えたのかまでは解らないが、信澄はその報告だけで俺に会う事を決断したようだ。
 既に織田家の家中でも俺の名が一部に広まりつつある事を実感する。

「しかし……何故、信澄様は堺へ?」

 だが、堺に信澄が現れた目的は全く予想がつかない。
 何か目的があるのか、無いのか、それすらも解らない。
 見た限りでは信澄は打算的な人物ではないようなのだが――――?

「いや、純粋に盛安殿に会ってみたいと思っただけだ。伯父上も興味があるならば堺で待っていれば会えると仰っておられたしな。
 それで宗易殿に頼んで、こうして盛安殿が来るのを待っていたのだ。畿内へ来たのならば宗易殿の下に訪れるだろうと予測してな」

「なるほど……」

 案の定、信澄は俺に会ってみたいという理由だけで堺で待っていたようだ。
 正直、驚き半分だが……ある意味で大胆とも取れるこの行動は大物である事の証か。
 自分の目で確かめなくては気がすまないという気質は信長にも通ずる部分があるかもしれない。

「して、信澄様と一緒に来られたこの方は――――?」

 信澄がこの場に居る理由が解り、俺はもう一人の50歳を超えたくらいであろう人物の名を訪ねようとする。
 織田家の一門衆でも上位にある信澄がこの場に居るのだ。
 嘸かし、重要な人物であろう、と俺が思った矢先に――――

「……織田信張殿」

 昌長がその人物の名を呼んだのであった。
















「久し振りですな、的場殿」

 名を呼ばれて肯定するように昌長に挨拶をする50歳前後の人物。
 信澄と共に俺の事を待っていたのは織田家の一門衆の一人である織田信張であった。
 信張は中国、北陸、四国等に方面軍を派遣している織田家の中で紀州方面を任されている人物。
 そのためか、雑賀衆とは幾度となく戦を交えており、昌長ともそれが理由で面識があるようだ。
 基本的に信忠や信澄以外に信長が見込むほどの器量に優れた人物がいなかったとされる織田家の一門衆の中でも一つの軍団を任された唯一の人間が信張である。
 また、信張は明智光秀と並び、四国の長宗我部家との外交にも携わっており、織田家の中でも非常に重要な立場に居る。
 それほど知られている人物ではないが、信長が見込んだ人物であるだけに器量のほどは確かな人物だ。

「御初に御目にかかります。私は織田信張と申しまする」

「戸沢盛安にございます。武名高き、織田信張殿に御会い出来て嬉しく思います」

 物腰柔らかに挨拶をする信張。
 信澄と比べても歳相応の冷静さを持つ信張は俺を見ても、意外そうな視線を向けては来ない。
 信長の遣いの者から俺の年齢を含めた事情を先に聞いていたからだろうか。
 若くして、鎮守府将軍に就任した俺を見ても、訝しむような様子はない。
 寧ろ、信長が見込んでくれたという点を評価してくれているようにも見える。

「それでは、皆様も御集まりなされた事ですし……戸沢家中の方々も御座り下さい。茶を馳走致しましょう」

 俺が信張の人物を見極めようと見つめていると、宗易が座るようにと促してくる。
 此処に来た目的は宗易の茶の湯を楽しむために訪れたのだったという事を俺は漸く思いだす。
 信澄と信張という意外な人物と遭遇する事になってすっかりと忘れていた。
 俺は後に続いている満安らを始めとした戸沢家中の者達に宗易の言う通りにするようにと伝え、席につくのであった。
















 人数としては宗易を除けば、8人と茶の湯の席としては些か人数が多い形で茶会は始まった。
 実のところを言えば、この場に居る戸沢家中の者は誰も茶の湯を嗜んでおらず、幸いにしてある程度の知識だけを持っている俺だけが作法に倣っている。
 満安も盛直も四苦八苦ながら俺の振る舞いに倣い、何とか作法通りにしながら茶を飲む。
 それに対し、昌長と重朝は比較的慣れている様子で茶の湯を楽しんでいる。
 恐らくは茶席の経験があるのだろう。
 本願寺の法主である顕如は一向宗の長でありながら、この時代でも有数の文化人でもあるため、茶を振る舞う事があった可能性は高い。
 その証拠が俺の隣で平然としている昌長と重朝の振る舞いである。
 傭兵という立場でも法主の立場にある顕如と密接に関わってきた雑賀衆ならではの教養といったところだろうか。
 意外な姿に俺も正直、驚いたと言うのが感想だ。
 また、剣豪として諸国を廻った甚助も京で活動していたためか、作法に関しては慣れ親しんだ様子だ。
 公家とも面識があったし、嘗ては足利義輝の下に居た事もあるのだから、それも当然かもしれない。
 それを見て、俺は少しくらいは家中でも広めておくべきだったかと思案する。
 流石に現状の段階で畿内へと行く事はもう無いだろうが、天下が完全な形で治まれば畿内で活動する機会もまたあるだろう。
 その際に地方から訪れた大名が家臣達を伴うのは当然の事なので、ある程度の教養等は嫌が応にも要求されてくる。
 ましてや、今の俺は鎮守府将軍の立場にあるため、尚更だ。
 朝廷に任命された将軍である俺とその家臣達が教養を持ち合わせていないとは笑い事である。
 後々、時が空いた頃合いには茶の湯の席を設ける事も検討しなくてはならない。
 所謂、風習とも言うべきものではあるが、これも仕方のない事だろう。
 教養というものは何だかんだで必要なものなのだから。
















「信澄様。話があるのですが……聞いて頂けますか?」

「解った、聞こう」

 四苦八苦する満安らの様子を見ながらも一通り、茶の湯を楽しんだ俺は宗易に頼み込んで、別の間に信澄と2人きりで語り合う場所を設けて貰っていた。
 満安ら戸沢家中の者と昌長と重朝の雑賀衆の面々は信張に紀州での戦いの事や、石山合戦終結後の事を話し合っている。
 紀州の事や畿内での戦については詳しい知識の少ない満安と盛直には信張のような豊富な経験を持つ人物の話を聞く事は良い機会になるだろう。
 それに信澄を連れ出した際の時間、満安らには退屈な時間を過ごさせてしまう。
 信張や雑賀衆の話ならば、充分に学べる話を聞ける事だろう。
 そういった背景を伴いながら、俺が信澄と2人だけで話すのは天下の事。
 今でこそ、信長の手によって天下の形は殆ど定まりつつあるが、それは危ういバランスのもので成り立っているという事。
 信長という柱があるからこそ、今の織田家があり、天下が治まっているのだ。
 これについては信澄も俺と同じような事を考えていたらしく――――

「もし、伯父上の身に何かあれば――――今の天下は覆される事になるだろうな」

 との返答が返ってきた。
 これについては同意する以外に他の返答はない。
 信澄もその事を良く実感しており、不躾とも取れるこの問いかけにも苦笑混じりで答えてくれた。
 ならば、信長の身に何かあった場合に後を継げる者が居るかと尋ねると――――

「やはり、嫡男である信忠殿だろうな。もし、それ以外に誰かと言うのならば――――伯父上の天下の形を唯一、理解しているであろう人物、羽柴秀吉しか居ないと思う」

 意外にも俺が口にするよりも早く、羽柴秀吉の名前があっさりと出てきた。
 信澄が言うには秀吉の事を信長の天下の形を理解している人物だと言う。
 ならば、如何して秀吉がそうだと言えるのかと問いかけると――――

「播磨の戦の折に陣を共にした際に天下の事を訪ねてみたのだが――――秀吉は”皆が笑って暮らせる世”を望むと言っていた。
 秀吉が言うには伯父上が成そうしている事が乱世の業を打ち砕く事にあるのならば、それこそが”皆を泣かせている戦”を終わらせる事になるのだと。
 それ故に俺は伯父上から直々に物事を学んでいる信忠殿の事を除けば、秀吉しか伯父上の成そうとしている事を繋げる事は出来ぬと思っている」

 尋ねた俺が言うのも何だが、信澄からは見事なまでに明確な答えが返ってきた。
 俺は一度目の時に僅かな時間しか秀吉と会う事は出来ていなかったが、信澄の評価は的を射ていると思う。
 確かに史実での秀吉は晩年に汚点を幾つか残しているが、それも人間らしさがあり、超越していた人物ではない事を教えてくれている。
 何処まで一人の人間らしいのが秀吉と言う人物なのだ。
 その点が時代の全てを超越した天才、または狂人とも言われる信長との大きな違い。
 だから、秀吉は史実でも信長の後の天下の継承者と成り得たのだろう。
 俺は此処までの問答で信澄が秀吉の事を評価し、先の事も見据えていると言う事を実感する。
 このような人物を無駄な事で失わせるわけにはいかない。
 俺は信長の身に万が一があった場合に幾つかの事態を想定して信澄に如何、動くべきかを伝える。
 謀叛人の息子という立場故に信澄は真っ先に狙われるという事。
 もし、その際に攻め寄せてくる相手が信澄の手勢よりも多いのならば、自らの身を第一にして脱出する事。
 逃げる先は秀吉の下か、無理を承知で行動出来るのならば奥州にて俺が責任を以って保護するという事。
 他にも講じる事の出来る策は幾つもあるが――――信澄に出来る限りの方策を考え、伝える。
 無論、これらの策はあくまで信長の身に何かがあればという事なのだが――――

「解った。伯父上の身に万が一があれば、盛安殿の言う通りにしよう」

 信澄はあっさりと俺の意見に同意してくれた。
 しかも、空論でしかないはずの俺の話を真面目に聞いた上でだ。
 それに対して俺が何故、同意してくれたのかを尋ねると――――

「その眼は嘘を言っているものではないからな。俺は盛安殿とは此度が初対面ではあるが……話を聞いてみて、信頼の出来る人物だと思った。それが答えでは不服か?」

 との言葉が返ってくる。
 此処まで初対面の人間の言葉を聞いてくれた信澄の器の大きさに俺は思わず身が震えた。
 信澄は本当に”一段の逸物”と称されるに相応しいだけの人格と器量を持ち合わせている。
 その姿を初めて目にした時に感じた、誰かに似ていると感覚は信長に通じる部分が何処かにあったからだ。
 改めて、それを確信した俺は信澄に深く頭を下げ、2人だけで行われた話は幕を閉じる。
 傍から見れば俺と信澄が交わした会話は何の事だかは解らないと思う。
 だが、この時に交わした会話が本来ならば歴史の闇に葬られていくはずであった人物――――津田信澄の運命に大きな影響を与える事になるのは確かな事であった。
































 From FIN



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