夜叉九郎な俺
第26話 雑賀孫一





 ――――1580年4月初旬





 信長より鎮守府将軍のお墨付きと奥州総代の役割を与えられた俺は正式に京の地で官職を承った後、石山へと足を運んでいた。
 3月中に京へ行き、4月に差し掛かった段階で石山へと来る事になった事を踏まえると、意外にも官職を上奏してからそれほど日付は要していない。
 朝廷内でも協議はあったはずなのだが、それが思いの外、早く上奏が通った事を見ると信長の権力の凄まじさが良く解る。
 また、官職を上奏する際、信長は俺が公家や朝廷の分の献上品を用意していた事に気付いていたらしく、それ等の品々も一緒に朝廷へと送っていた。
 このまま、献上品を荷物としたまま畿内で活動するのは難しいため、俺としては有り難い事であった。
 だが、信長の眼は此方の思惑の全てを見抜いている事を証明した結果にも繋がっており、一代の傑物の凄味を別の視点でも垣間見る事になった。
 公家や朝廷に対して、何かしらの繋ぎを取ろうとしているという事。
 俺が信長へと謁見した後は間違いなく、そうするであろうと信長は読んでいたのである。
 それ故に信長に献上した品が全てではない事を見抜き、戸沢家の財力が小大名としては破格のものである事を見抜いた。
 鎮守府将軍を上奏するといった背景には戸沢家の力が石高だけで測りきれるものではないと察したからだろうか。
 俺を評価してくれた理由の一つとしては考えられなくもない。
 それに京を訪れた際に感じたのだが、何処となく雅な雰囲気があり、古来より文化の中心であった京は独特の空気と佇まいの屋敷が多い印象を覚えた。
 元より、武家より公家の住まう都であるからだろうか。
 その空気は居心地が良いとも悪いとも言い難く、表現するのが難しい。
 奥州という都とはかけ離れた場所に根拠地を持つ身からすれば如何にも馴染みにくいのだ。
 それは供をしている満安と盛直も同様で京の雰囲気には色々と戸惑ったものだった。
 この中で唯一人、戸惑う事なく俺達を案内してくれたのは京で活動していた過去を持つ甚助。
 京の地で仇討ちを果たした後も修行を目的として、幾度となく足を踏み入れた事がある甚助は都で輿に乗っている公家を見かけても動じない。
 寧ろ、逆に甚助に気付いた公家から「もしや、林崎重信殿ではありませぬか?」とまで声をかけられるほどだった。
 抜刀術と呼ばれる独自の剣術を使う偉大な剣豪である甚助の知名度の高さを改めて実感出来る。
 何しろ、道行く人々でさえ甚助を知っているであろう者達であれば、必ず頭を下げて行くのだから。
 此処最近で漸く、武名が広まってきた程度でしかない俺とは大違いだ。
 やはり、京での仇討ちとその後の活躍ぶりによるものがあるのだろうか。
 甚助から紹介して貰う形で戸沢盛安の名を公家達にも伝えたところ、鎮守府将軍に就任する事が決まったと言う話題を出すまでは気付いて貰えなかった。
 まだまだ、奥州の片田舎の大名でしかないという事なのだろう。
 だが、鎮守府将軍を正式に拝命した時は菊亭晴季や近衛前久といった有力な公家も顔を揃えており、名を広める事には成功している。
 数百年ぶりとなる鎮守府将軍の名は朝廷内でも興味を引くものだったと思われるだけに、この結果は良かったと思う。
 何しろ、甚助が同行している事以外に伝手も何もなかった状態から信長のお墨付きと公家達との知遇の両方を得られたのだから。
 朝廷を通した正式な形で鎮守府将軍に就任出来た事は相当に大きい。
 公家に名を知られる事は後々まで影響する可能性も非常に高い上に中央に対する伝手としても重要な位置をしめる。
 また、公家以外にも甚助の紹介で神医と名高い曲直瀬道三とも面会が叶っている。
 史実の俺は小田原征伐の際に彼の地で流行した病、または参陣する前の強行軍による極度の疲労によって倒れているため、医者との関わりを無視する事は出来ない。
 これまでも健康状態や衛生面等には気を遣うようにはしてきたが、薬草の知識等に関しては不足しているため、医者の話を聞く事は重要である。
 今の歴史は史実とは大きく異なってはいるものの、俺の最期が如何なるかまでは解らないからだ。
 既に現状でも本来ならば大曲の戦の段階で戦死するはずだった利信の弟である前田五郎の運命を大きく変えているが、それでも確証までは持てない。
 少しでも打てる手は打っておかなくてはならないのだ。
 それだけに1週間にも満たない短い日取りでしかなかった京の滞在だが、彼の地での出来事は充分に意味のあるものであったといえる。
 畿内にて行動を開始して漸く1ヶ月ほどが経過しようとしているが―――今のところは順調に事が運んでいると見ても良いだろう。
 だからこそ、このままの流れで鈴木重秀を中心とした雑賀衆の一部を雇う事が出来れば良いのだが――――。















「ふむ、そうですか……雑賀衆を戸沢家の戦力にしたいと」

「はい。一部だけでも良いので出来れば」

 雑賀衆を雇うにあたって俺が現在、交渉しているのは元の雇い主である本願寺顕如。
 長年に渡って信長と戦ってきた石山本願寺の法主である。
 初めは信長との関わりを伝手に鎮守府将軍に就任した経緯がある俺は門前払いされてしまうかと思ったが、意外にも快く面会に応じてくれた。
 嘗ては織田家に対して、徹底抗戦を唱えていただけに苛烈な人物だという想像をしていたが思いの外、穏やかで落ち着き払った人物である事に驚かされる。
 やはり、門徒を纏める法主という立場にあるだけに懐が深いのだろうか。
 寛大な人物である事は間違いないようだ。

「信長との戦も終えた今、私の方は別に構わないのですが……如何です?」

 俺の話に対し、顕如はこの場に同席しているもう2人の人物のうち、30代半ば頃の年齢の人物の方に尋ねる。
 既に信長との大戦を終え、戦を続ける理由のない顕如からすれば多少の融通が利くのだろう。
 判断は尋ねた相手に委ねるという事らしい。

「そうだな、話を聞く限りは戦の機会が貰えるみたいだから雑賀衆としては有り難てぇが……」

 しかし、委ねられた人物は俺からの要求に大きく迷う。
 豪族であり、傭兵でもある雑賀衆としては織田家によって統一が完了しつつある畿内よりも別の地の方が戦の機会が多く都合が良い。
 それは彼自身が一番良く解っている。
 だが、戦が終わったとはいえ長年に渡って補佐してきた雇い主である顕如の下からあっさりと離れる事には躊躇いがあるのか考え込む様子を止めない。

「別に私の事は気にしなくても良いのですよ? 自分の身くらいは何とかします」

「いや、法主の事は親父から直々に頼まれてるんだ。雑賀孫一を名乗ってる身としては法主を放っておくわけにはいかねぇ」

「そうですか……。重秀には苦労をかけたので思うように動いて頂いても良いと思っていたのですけれども……」

「……法主」

 顕如の身を案じ、此方の要求を躊躇っているのは雑賀衆の中でも俺が最も陣営に加えたいと考えている人物、鈴木重秀である。
 名前としては通称の雑賀孫一の方が有名だろうか。
 重秀は戦国時代を代表する鉄砲使いで、猛将としても知将としても指揮官としても超一流と謳われる全国屈指の武将の一人。
 織田家と本願寺との間に勃発した石山合戦では幾度となく攻め寄せる織田勢を撃破し、信長の本陣に鉄砲を撃ち込んだ事があるとさえ言われているほどだ。
 更には火縄銃の扱いに関しても信長に先駆けて、釣瓶撃ち、組み撃ち、三段撃ち等の様々な戦術を編み出したと言われており、騎馬鉄砲も実用化させたという話もある。
 畿内における軍神とも言うべき重秀の武名は凄まじいものがあり、織田家に苦渋を飲ませた名将としても名高い。
 それだけに重秀を雇えるか否かは奥州での今後の戦略そのものにすら大きく影響してくる。  俺が重秀を誘ったのはそれだけの影響力を持っている人物であり、味方と出来ればこれほど心強い人物もいないからだ。
 徒歩戦の満安、奇襲戦の秀綱を抱えている今の戸沢家に重秀が加わればこれから先に大きく勢力を伸ばしてくるであろう伊達家の武将を相手にしても引けは取らない。
 また、動向次第では衝突が避けられない最上家、南部家に対しても同様で重秀を中心とした雑賀衆の精鋭が居れば大きく牽制する事も出来る。
 こういっては大袈裟かもしれないが、重秀の登用は正に今後の明暗を分けようとしているほどのものであった。















「戸沢の若様。少しだけ考えさせてくれねぇか?」

「……解った」

 重秀は盛安からの要求について考えを纏めるべく思考の海に沈む。
 奥州での戦に雑賀衆の力が欲しいというのが盛安からの要求。
 石山合戦と呼ばれる織田家との戦が終わった今、次なる戦場として畿内から遠く離れた奥州というのは悪くはない。
 畿内は最早、織田家による統一が進んでおり、自由に動き回れる戦場が殆どないからだ。
 それに対して奥州は未だに鉄砲がそれほど多くなく、雑賀衆の力を見せつけるにはもってこいの地であり、初めての戦場となれば采配の執り甲斐もある。
 また、盛安も鉄砲の価値を良く解っているため、雑賀衆が軽く扱われる事はない。
 更にその上で財貨も相応のものを支払うつもりであるし、場合によっては所領を預けるとも考えているという盛安からの条件は破格ともいって良かった。
 待遇としては流石に本願寺からの条件には及ばないが、あくまで雇うのは雑賀衆の一部をという点を踏まえれば、本願寺のからの条件にも劣らない。
 盛安が雇いたいと言っているのは重秀ともう一人の目星のつく人物、それに加えて雑賀衆の軍勢のうち、300前後というもの。
 要するに優秀な指揮官を1、2名と1万石前後で賄えるほどの少数精鋭の軍勢が欲しいという事だ。
 如何に小大名であるとはいえ、これだけの条件を提示してくるという事は戸沢家の力は重秀が思っている以上に備わっている。
 奥州は金、銀、銅等の鉱山資源が豊富だと聞いているが、盛安にはそれによって得た財貨を上手く活用するだけの経済感覚もあるのだろう。
 雇い主として見れば上々の人物だと重秀は思う。
 だが、如何に戸沢家からの待遇が良くても、盛安が優れた人物であっても重秀には応じるわけにはいかない理由があった。
 雑賀衆の上席でもあり、豪族の連合の纏め役でもある鈴木家の一門衆である重秀は高齢となってしまった父、鈴木重意に代わって紀州を纏めなくてはならないのだ。
 現状は兄である鈴木重兼が重意を補佐しているが、石山合戦の終結に際し、派閥が抗戦派と和睦派に分かれてしまった紀州を纏める事に苦戦している。
 何しろ、法主である顕如や雑賀衆の上席である重秀が和睦に応じたにも関わらず、顕如の嫡男である本願寺教如を始めとした一部は徹底抗戦を唱えているのだから。
 特に次代の法主である教如が徹底抗戦の構えを見せているのは大きく、紀州でも重秀と並んで雑賀衆の上席にある土橋守重がそれに同調している。
 これで万が一、顕如の身に何かあれば教如を抑える者が誰も居なくなり、和睦した意味もなくなってしまう。
 そのため、重秀は顕如の身の安全確保と雑賀衆の暴走を抑えるために畿内を離れるわけにはいかず、要求された軍勢を預ける事は可能でも盛安に応じる事は出来ない。
 せめて、雑賀衆が和睦派に統一されていたならば、顕如の許可の事もあり、応じる事も吝かではなかったのだが――――。

「悪い、戸沢の若様。あんたの要求は雑賀衆にとっては是非とも応じたい内容だが……やはり、応じられねぇ。
 俺には如何しても今は畿内を離れられない事情があるんだ。残念ながら――――俺が行く事は出来ねぇな」

 現在の自身を取り巻く状況を優先し、重秀は盛安に拒否の返答を返すのであった。
































 From FIN



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