風林火山





時代背景
時は戦国時代、1540年代〜1561年までが主な物語の舞台。
原作では、1540年代に主人公である山本勘助が武田晴信の下に仕官する頃から始まる。
しかし、大河ドラマではその仕官以前からの話も描かれており、新たな方向性での表現を示している。
理由としては山本勘助は武田家仕官以前の事は不明点が多く、明らかになっていない事が多いのが理由かと思われる。


考察
この風林火山における注目点はやはり、山本勘助と高坂昌信であると思われる。
山本勘助を主人公とし、その後を継ぐ者として高坂昌信を配置していると言う形をとっているのでは無いかと私は感じる。
話自体は第四次川中島の戦いで勘助が討ち死にするところで終わっているが、川中島の戦いは第五次まであるのである。
風林火山の主観で考えてみるとすればおそらくは高坂昌信が全ての決着をつけたのでは無いかと思われる。





主要人物

山本勘助
風林火山本編における主人公。
だが、その正体には不明点が多い武田晴信の軍師。
一介の素浪人で諸国を旅し、彼独自の視点で各地を観察、情報を集め、兵略、陣法など、
武将の持つべき諸芸を独創的に身に付けていたと言う。
が、やはり不明点が多いと言うだけあり、武田家中の地位も、軍師、足軽大将、築城技術者、忍者と
諸説あってどれも疑わしい。
一般的には第四次川中島合戦で、高名な啄木鳥戦法を献策。
しかし、敵である上杉謙信に見破られて、責任を感じ突撃。
討ち死にしたと言われている。
風林火山においては非常に優秀な軍師として書かれており、軍事だけでなく、政治方面にも能力の高さを
見せている。
だが、優秀とは言え、万能とは言えず時には失策も出している。
しかし、主君である武田晴信からの信任は厚く戦略の大半を一手に引き受け、自身の知略の全てを持って晴信を補佐し、勢力拡大に尽くした。
大河ドラマでは、最後までその能力の冴えは衰えず力を発揮し続けたが、原作では、物語最終盤にて高坂昌信に自身の戦略を否定されている。
自身と晴信も含めた他の武将達全員が気付いていなかったが、勘助の戦略には大きな穴があったのである。
原作ではただ一人、高坂昌信のみがその事実に気付いており、勘助の戦略を否定している。
その事を聞いた勘助は「自分は高坂昌信に敵わない」とまで思い、自身の老いを感じていた。
しかし、大河ドラマでは高坂昌信とのやり取りが大幅に縮小され高坂昌信の指摘も小さなものとされている。
恐らくは、主人公よりも能力が高く、有能な軍師がいると不都合があったためだと思われる。
後、風林火山では諏訪の姫である由布姫とその息子勝頼に忠義を捧げており、晩年は勝頼のために働いている部分も多い。 しかし、勘助があれだけ溺愛した勝頼の運命は世間の知るとおり織田信長に敗れ、滅亡。皮肉なものである。
総合的には、主人公らしく、優秀かつ、信任の厚い軍師と言うのが総評と言っても良いのでは無いかと思われる。


武田晴信(信玄)
風林火山本編における準主役。
山本堪助の主であり、甲斐の国の大名。
前半生は北信濃の村上義清との激戦。そして、後には五回における川中島で幾度と無く上杉謙信と激戦を繰り広げた。
風林火山本編でもその能力の高さと力の冴えが衰える事は無い。
だが、あくまで主人公は山本勘助なので若干、能力は低めに描かれている。
晴信は『甲斐の虎』と言う異名を持つ猛将でその実力はあの織田信長さえ警戒したほどである。
しかし、その能力には些か疑問も在るところでもある。
確かに戦に強く、戦術、政治、外交と言った全ての面で大きな成果をあげている。
だが、領土欲が強く、更に自身よりも戦に強い上杉謙信を相手に十年近くも戦い続けたのは下策と言える。
更に、後継者である息子の武田勝頼に一度も、自身の軍配を預け、采配を取らせていない。
武田勝頼は風林火山本編でも大きな影響を及ぼす諏訪の由布姫との息子であり、純粋な武田の人間では無いのである。
勘助も晴信もその辺りは良く解っていたはずである。
なのに、嫡男である武田義信を駿河制圧戦での決別から自害に追い込み、勝頼を後継ぎとした。
確かに勝頼は優秀であり、猛将としての部分は晴信をも超えていたが、晴信自身は勝頼を後継ぎと明確にしなかった。
これは晴信自身の大きな失策である。
しかし、その辺りも含めても武田晴信は戦国時代きっての英雄であり、猛将なのである。
晴信自身も孫子兵法などを含めた軍学を極めており、自らの弟子にも高坂昌信、真田昌幸と言った名将がいる。
人を惹き付けるだけの魅力を持ち、そして優れた統率者でもあった。それが武田晴信の総評なのでは無いだろうか。


真田幸隆
風林火山本編における準主役。
神算鬼謀、表裏比興の者と言われている真田昌幸の父親であり、真田家の開祖とも言っても良い名将である。
風林火山本編においても山本勘助の良き、友であり優れた軍師である。
しかし、原作にはその登場機会は非常に少ない。
その分、大河ドラマでは非常に見せ場が多く、勘助に並ぶ軍師として描かれている。
因みに愛妻家でもあり、妻との間には五人もの息子がいる。
その誰もが優れた武将であり、教育の上手さも伺える。
特にその息子達の中でも三男にあたる真田昌幸は幸隆をも凌ぐ軍師であり、名将である。
勘助があまりに資料が少ないため、事実上の武田晴信の軍師はこの真田幸隆と言っても良いのかもしれない。


由布姫
風林火山本編における重要人物の一人。
武田晴信の側室の一人であり、武田勝頼の母親である。
風林火山本編でも、その立場は重要であり、勘助にも晴信にも大きな影響を及ぼしている。
元々は諏訪頼重の娘だったが、父親である頼重が晴信に敗北し自害すると諏訪に幽閉される。
後に晴信の側室となり、武田勝頼を生む。
原作でも、大河ドラマでもその存在感は大きく、特に勘助からは崇拝と言っても良い位の目を向けられる。
その反面、立場の都合もあり、晴信の正室である三条婦人からの評価は悪く、幾度と無くぶつかり合う。
ただ、大河ドラマの方では三条婦人との仲も決して悪くないため、原作に比べると穏やかに過ごせていると言っても良い。
しかし、若くして病にかかり、病死してしまう。
これにより、勝頼はもう一人の側室である於琴姫に引き取られ育っていく。
由布姫は輝ける美貌を持ち、そして儚く散っていった姫である。 実際はその短い生涯から詳しい人となりを見る事は難しい。
だが、その存在は大きく、晴信にも勘助にも大きな影響を与えたと言っても良いのでは無いだろうか。


於琴姫
風林火山本編における重要人物の一人。
武田晴信の側室であり、おそらくは名将と名高い仁科盛信の母親である。
風林火山本編でも重要な立ち位置で由布姫とも関わりのある姫である。
元々は、甲斐の油川家の息女であり、由布姫には内密で晴信の側室となった。
しかし、於琴姫自身も由布姫の存在を知らず、勘助によってその存在を知らされる。
御互いに側室と言う立場と言う都合もあり、由布姫とは気があった様である。
後に、若くして由布姫が亡くなった時、勝頼を引き取り自身の子である盛信と共に育てる事になる。
於事姫は深い包容力を持った女性で勘助にとっても勝頼にも大きな存在だと言える。


上杉謙信(輝虎)
風林火山本編における最大の強敵。
『越後の龍』と呼ばれる戦国最強の猛将でその人生と経歴はまさに孤高の人間である。
妻を持たず、欲を持たずと言った謙信の行動は全て武田晴信とは真逆と言って良い。
大河ドラマでは非常に出番も多く、勘助とも接点があるために非常に面白い立ち位置なのだが……原作では出番が少ない。
しかし、原作では謙信の姿を描く事無く、その存在と名前で晴信を窮地に追い込み続けた。
その点でも武将としての能力の高さは評価しても良い。
しかし、その反面、政治には疎く実際に政務を放り出していた時期もあると言う。
その点では自身の後継ぎである上杉景勝に大きく劣り、宿敵である武田晴信にも大きく穴を開けられている。
その上、謙信の考え方じたいも殆ど他者に理解される事も無かった。
まさに孤高の人間であり、毘沙門の化身とまで言われた謙信ならではと言える。
忠実に謙信の教えに従っていた上杉家の人間は上杉景勝と直江兼続くらいであろう。
理解者は少なく孤高ではあったが思う存分に自らの力を奮い命を燃やし続けた。
その点では武田晴信よりも恵まれていたのでは無かろうか。


村上義清
風林火山本編における序盤の宿敵。
世間ではあまり知られていないが、武田晴信に合戦での敗北を味合わせた数少ない武将である。
しかも、晴信の生涯の敗北回数は僅かに三回で、そのうちの二回は義清によってつけられたものなのである。
その点を見ても戦の駆け引きにおいては武田晴信を凌駕していると言える。
しかし、計略や工作において晴信に後れをとり、最終的には嘗て自らが信濃から追い出した敵、真田幸隆によって敗北するに至る。
大河ドラマでも原作とはあまり変わらず、その能力の高さは本物である。
しかし、原作では真田幸隆の出番が殆ど無いため、最後の経緯は殆ど描かれていない。
大河ドラマでは勘助に並ぶ軍師として活躍している真田幸隆と激戦を繰り広げる。
最終決戦である第四次川中島の戦いでも真田幸隆との直接対決を演じている。
しかし、最後に幸隆は勘助の援軍に駆けつけているため、最終的には敗北しているのだと思われる。
勇はあれど、智は足りず、これが村上義清の総評と言えるかもしれない。


板垣信方
風林火山における大物の一人。
晴信の父親である武田信虎時代から仕えている老将の一人である。
晴信の教育役でもあり、父親の様な存在でもあった。
更に、山本勘助を召抱えた人物とも言われており、序盤のキーパーソンである。
原作でも、大河ドラマでも優れた人物として描かれており、忠義に篤く、能力も高い名将である。
しかし、村上義清との合戦で戦死し、晴信を悲しませた。
この老将の死が与えた影響は大きく、晴信に大きな成長を促した。
勘助にとっても重要な人物であり、勘助の進むべき道を示してくれた恩人である。


高坂昌信
風林火山における最大の傑物。
『武田四名臣』と呼ばれる晴信の直臣の一人である。
甲陽軍艦の著者とも言われており、甲陽軍艦にしか名前の存在しない軍師・山本勘助を表に出した張本人でもある。
あまり、有名な武将とは言えないが、その武将として能力は非常に優れていた。
特に軍の指揮において天才的なまでの才覚を持ち、その用兵法は武田軍団随一と言われている。
風林火山本編でもその能力の高さはそのままなのだが、大河ドラマでは大幅にその能力を封印されている。
大河ドラマでは序盤から登場するものの、その分で名将として描かれる事が殆ど無かったのである。
後に勘助に養子として招かれる事になるが、原作に比べるとその能力は大きく下がっている。
原作では本当に最後の最後で登場し、勘助の戦略を否定すると言う大物として登場する。
しかも、その指摘と着目点は見事にあたっており、勘助も自らの老いを感じたほどであった。
その後も、第四次川中島の戦いにおける海津城の築城に関わったりと能力の冴えを見せ付けた。
少なくとも原作では上杉謙信にすら負けないと言っていた勘助が自身の敗北を認めた唯一の人物である。





総評
原作は一冊の文庫に纏められているため、あまり大きく人物を描けなかったのが難点である。
大河ドラマはその原作をベースにオリジナルの展開を多く盛り込み、原作の部分が薄れているのが難点である。
しかし、書かれている物語、流れはまさに男の物語と言える。
武田晴信と上杉謙信との戦いを全く違う視点で書いた物語。
それが風林火山なのでは無いかと私は考える。




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